幕開け
「社長、私どもの会社ではこれ以上社員を雇う余裕などございませんが」
言い終わらないうちに、有里の瞳がみるみる水分を増して、輝き始める。
(あーこりゃ面倒そうな……)
駄々っ子のような彼女を諫めることなど、天邪鬼で目つきの鋭いこの男ならお手の物だろう、とお手並み拝見とばかりに放置する。
「すまん有里!!泣くなって……」
事もあろうにおろおろと取り乱し始めた彼の調子に、思わず口がぽっかりと開く。
(は!?)
その後もあの手この手で彼女の機嫌を取ろうと、子供相手を甘やかすようにご褒美を与えようとする彼を茫然と見ていたが、さすがに段々と心配になってきた。
「おいお嬢。駄々言っても始まらねぇよ」
「お……お嬢!?」
へんてこな顔で俺を見つめてくる2人に、俺は首を傾げる。
そんなに変なことを言ったつもりはない。
たっぷり一拍後、
馬鹿でかい彼女の楽しげな音が、場を満たした。
「お嬢って!……お嬢って!」
笑いすぎて噎せ返る彼女に、そんなに可笑しいか、と問うと、さらにボリュームは上がった。
「……社長」
地響きの様な声。一気に冷え込む場を背に、ゆっくりと恐る恐る振り返る。
「嘘泣きなんて、あんまりです」
置いていかれた子犬のように尾を垂らすのが見えた気がして目を擦る俺を置いて、今度は彼女が彷徨きだした。
「ごめん!泣かせるとは思わなくて……」
その言葉に彼が背を向けると、また彼女の虫が騒ぎ出す。
「元は実が言うこと聞いてくれないのが悪いんじゃないか」
「無理なものは無理なんです」
(おいおいマジかよ)
こんな子供らに俺は助けられたのか、と深くため息をつき、仲裁に入る。
「その辺にしないか2人とも」
虚を突かれたように静止する2人。
「まず有里。
やりたいことだけ言って、無理って言われたら駄々を捏ねるのではなく、相手の言い分を聞くこと」
実に向き直る。
「そして実。
無理、とだけ言うのではなくて、ちゃんと説明して2人で考えるべきだろ。
有里は確かに子供っぽいが、ちゃんと物事は見えている女なんだから」
叱られたことに納得がいかない、とでも言うように他所を向く実の横顔に、わざと叩きつけるように言葉を投げる。
「それとも、彼女の事を信じられないとでもいうのか?」
「そんな事はない!!」
あまりの激昂ぶりに思わず身を逸らす俺を見て落ち着きを取り戻したのか、実は小さく謝った。
「はい。すみませんでした……」
「私こそ、ごめん……」
じゃあ仲直りな、と手を強制的に結ばせると、苦笑された。
「流石にそれは子供扱いすぎる」
少しはしゃいだように、悪戯っぽく言う有里に、温かいものが胸に宿る。
俺はそれを、大切に仕舞って、2人に向かった。
「相手と自分の意見が食い違ったら、自分の言い分、相手の言い分をちゃんと話し合えば、案外新しいものが浮かんでくるもんなんだぜ?」
ちょっとくさかったか、と顎の下に少しばかり生え揃いだした髭を撫でると、今までの喧騒が嘘のように素直に、2人の子供は頷いた。
「ところで、お前ら、歳は?」
暫しの沈黙、後、
3人で顔を見合わせ、少し笑い、改めて自己紹介をする。
(有里は18、実は17、で俺が26か。有里のが年上ってのはちょっと意外だな)
そう思って彼女を見ると、確かに身体のラインは大人の女だった。
(まあ強気なつり目は俺の好みじゃねぇし、そもそもこいつがいるみたいだしな)
実を見ると、所々に青年らしさが目立って見えた。
(女の扱いを分かっていないのも頷けるな)
声もよく聞くと、喉のラインが出っ張りきっていない、あどけない声をしていた。少しばかり隈が目立つせいで損をしているらしい。
(こいつらは、俺が守ってやりたい)
強く心に響く音を聞いて、
斬の新しい生活が始まった。
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