夏の墓 4/8



 この寒冷期の終わりはずっと先になるだろうと思われていたらしい。

 恐竜のときは結構すぐに終わったはずなのに。どうしてかと言えば、落ちてきた隕石から謎のガスが出ているから。日光を遮るのは衝突や噴火で巻きあげられた塵だけではなく、その謎のガスもそう。そして塵や灰がどのくらいで落ち着いてくれるかはともかく、そのガスがどのくらいで地球の寒冷化をやめてくれるかは、よくわからなかったらしい。

「本当にいいの?」

 と何度も訊かれた。大人からも、子どもからも。全員が全員心配そうな顔をしていて、内心で世季はこう思っていた。

 こいつら、本当にわかってんのか。

 俺が「やっぱりやだ」なんて言い出したら、お前らの中の誰かがその穴埋めする羽目になるんだぞ。

 コールドスリープを使おう、という話になっていた。寒冷化が進んでいく世界で、シェルターに籠って、この長い冬の終わりを待とう、という話。

 でももちろん、全員が眠ってしまっては困る。どのくらいの時間がかかるかわからないのだから、作った機器だっていつまで使い物になるかわからない。

 だから、それを管理する人間が必要だった。機械の異常をチェックして、凍眠とシェルターを維持するための人員が。

 管理者、と。

 そう名前がつけられていた。

 誰かがやらなければならなかった。残念ながら完全に人工知能に管理を任せるにはまだ科学の発展は途中だった。機械修理に長けて、周囲の環境の変化をチェックできて、不測の事態がやってきてもこの集団を維持できるだけの機転と能力を持つだけの人員が、常にひとり。

 生贄のように見えたのだと思う。

 人ひとりの寿命で終わるとは思われていなかった。だから、管理者はたったひとりでその一生を過ごすことになるとも。凍眠から覚めて、さあこれから新しい世界を開拓していくぞ、という場面でまとめて5分くらい黙禱でも捧げられて終わってしまうような存在だと。

 そう知っていて、引き受けた。


「いいよ。自分で決めたことだから」




 2日寝てない。

 ずっと中央ホールで目を光らせている。移動するには絶対にここを経由する必要がある。だから、自分の他に誰かが入り込んできているとしたらここを通るはずで、

2日の間誰も通らないということはひょっとすると本当に誰もいないのかもしれない。

 なんだったんだ、と実のところ、そのことばかり考えている。

 あのとき。

「パッチワーク・アソート」とラベリングされたUSBを開いて、ゲームか何かを進めたとき。思わず画面を終了させてしまったけれど、あれはどう聞いたって人の声だった。

 それも、自分の名前を呼んでいた。

 まさかと思う。誰か自分の知り合いが、面白半分で凍眠前に仕込んだ悪戯なのだろうと思う。けれど、それにしてはリアルタイムな反応だった。限りなく生の声に近い。ドラマだの映画だの大量に見てきたから簡単にわかる。あの自然な調子は、もし演技だとしたらよっぽどの役者じゃない限りは出せない。そしてこのシェルターの中に俳優はいない。たぶん。

 わけがわからん、と思ったから、的を絞ることにした。

 困難は分割せよ、とはよく聞く話である。巨大な問題は分割して、一つ一つ細かい部分から解消していくことで最終的な解決を図るのがよい。そこで、まずは当面の危険となりうる「自分以外に存在するシェルター内の人間」を仕留めることにした。ひょっとするとこいつがさっきの声の主で、捕まえれば諸々の問題が一気に解決するかもしれない。

 場合によっては、殺害も視野に入れている。

 自分がやられるということは、ほとんどシェルターに残る人類の絶滅を意味しているのだから。

 しかし何といっても不毛だった。なにせ、この2日間一切の収穫が得られない。人の姿は見えないし、物音はしないし、どころか気配だってひとつも感じない。自分の身動きだって制限されるようなレベルの感知センサーを有効にしてからも、何一つとしてひっかかるところはない。

 ぴ、と時計の時刻が「12:00」に切り替わる。

「……ダメだ。流石に眠くなってきた」

 このへんがやめどきか、と首を回して世季は立ち上がる。どうしようもない。眠らないで見ているだけならあと2日くらいはいけそうだけれど、そうなると判断能力が低下して咄嗟のときの対応ができなくなる。侵入者はいる……はずだがここまで見当たらないとなると何か著しい勘違いをしている可能性もある。

 最も重要なのは、このシェルターを維持することだ。

 トラブルが発生したときに、頭が回りませんでした、では話にならない。

 自室のベッドで少し仮眠でも取ろうか、と思ってからふと、

「――――あ、」

 朦朧とし始める意識の中で、ふと気付いた。

 なんでこんなことを忘れてたんだ、と思う。いや、もちろん理由はわかる。普段こんな閉じた環境で暮らし続けて、タスクの遂行に必要なだけの知識もすでに得ていて、そういう行動が初めから選択肢に上ってこなかったのだ。

「……インターネットがあるじゃん」

 正確には、もうインターネットではない。かつての情報通信網は、いまはただの廃墟と化した。ただかつてそこにあった情報をそのまま保存しただけの、抜け殻のような姿があるだけ。でも、このシェルターのデータアーカイブにかなり多くの部分が保存されている。

 検索してみればいいのだ。「パッチワーク・アソート」。その名前を。

 自室へ。それからアーカイブソフトを起動して、検索窓が浮かび上がればそこに文字を打ち込む。1分とかからない。

「……バーチャルアイドル?」

 2020年ころに結成されたバーチャルアイドルの5人組。世季もこの文化については何となく知っている。動画投稿プラットフォームを中心にした配信タレント業の一種。どんな経緯で発達したのかとか、そこまでは知らないけれど。やたらにアーカイブ量が膨大なので、ドラマシリーズに飽きたらこっちも見てみようと思っていたのだ。

「いやあ、違うよなあ。……違うよな?」

 そんなグループがどうしてこのシェルターで、今頃問題になっているのかさっぱりわからない。さすがにこれじゃないだろうと思って他のページも確認してみるけれど、しかしこれ以外に正解になりそうなものは見当たらない。

 そんなわけないよな、と思いながら、その公式HPとやらをクリックしてみた。

「……マジで言ってんのか?」

 ふたつ、信じられないものを見た。

 ひとつは、そのHPに載っているキャラクターが、あのUSBを開いたときに画面に出てきた5人のキャラクターと完全に一致していたこと。

 もうひとつは。


「このキャラ――俺と同じ名前……?」


 たったひとりだけの男性キャラクターの名前。

 確かに、「ヨキ」と書かれている。

 がたん、と背後で音がした。

「誰だっ!!」

 振り向いても誰もいない。2徹ごときが何するものぞ。日頃の運動習慣の賜物で、世季は素早く部屋を駆け出て行く。

 中央ホールには、もう誰もいない。

 コンソールに走った。

 もう頭の中に眠気の靄はない。ぱち、とシェルター全域のカメラを一画面に表示。ぎょろぎょろと瞳を動かして、何か、何かないかと手がかりを探る。

 あった。

 が、信じられない。

「凍眠室……?」

 場所を記憶して、世季は中央ホールを出る。向かう先は決まっている。服を脱いで、全身の滅菌処理を行って、替えの服に着替えて、凍眠室へ。

 どこまでも広がっているようにすら見えた。

 棺桶のように、一定の間隔で。薄暗く、冷たい部屋に、コールドスリープの装置が夥しく置かれている。

 迷わず、世季は進む。さっきの監視カメラで確認していた場所。一瞬だったけれど、間違いはないと思う。

「――これだ」

 ひとつの装置の横で立ち止まる。

 確かに、世季は見たのだ。

 この装置だけ、真っ白な息を吐いていた。

 ありえないことだけれど。完全な密閉を施しているはずの装置で、冷気が洩れだすなんてこと、絶対にないはずだけれど。

 誰かが内側からでも、外側からでも、その装置の扉を開かない限り絶対にありえないことだけれど。

「……ありえねえ」

 開けること自体は、そこまで難しいことではないのだ。

 いつかの不測の事態に備えて、内側からでも外側からでも、力で開くようにはできている。けれど、たったひとつ、不可能なことがある。

 数百年を見越して冷凍保存している装置なのだ。

 そしてその稼働のオンオフは、複雑な手続きを踏まなければ絶対にできない。管理者だって、次の管理者を起こすためにはその人物をあらかじめ指定して、「自分の心拍が停止したら」なんてややこしい条件をつける手続きをしなければならないし、もう一度使用するとなると、もう世季の手に負える話ではない。適当に温度を下げたらコールドスリープになるというのだったら、南極の氷の下にでも埋めておけばいいのだ。当然、数百年を超えるための冷凍技術というのは生半可なものではないし、しかもとんだ突貫工事だったから、世季だってこうして管理者として目覚めるまで本当にコールドスリープが成功するか半信半疑でいたくらいなのだ。

 だから、ありえない。

 ここにしか、隠れられる場所がないとしたって。

 こんな普通に出たり入ったりなんかしたら死ぬようなところに、人が入っているだなんて。

 宇宙人でもない限り、

「ありえねえ……けど、」

 屈みこんで。

 こんこん、と指の骨でノックしてみて。

 がちゃり、と。

 雪のように冷たく、それは現れた。



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