夏の墓 3/8
世季はこのシェルター集団に吸収されたときのことを、何となく覚えている。その前のことは、それこそあんまり覚えていたくないようなことばかりだけれど。
隕石が降って、火山が噴火して、津波が押し寄せて、空はいつまで経っても夜みたいに真っ暗で、仕事に行ったまま両親は二度と帰ってこなくて、少し長い留守番は押し入り強盗から逃げるようにして終わった。今にして思えば身体が小さいのがかえっていい方向に働いたのかもしれない。どんなに小さな隙間でも通ろうと思えば通れないことはなかったし、食いでのない昆虫でも腹を満たすことができた。ただ、本当に、これだけは全く記憶がないのだけれど、主観時間で8年前のあのころ、飲み水はどうやって確保していたのだろう。灰まみれの水のことはいくらでも思い出せるけれど、まさかそれを直接飲んだわけでもないだろうし。
いつものように廃墟になった民家で食べられるものを探していたら、同じことを考えてたらしいガリガリの中年と行き会って、包丁を向けられて、そのへんにあった電話機かなんかを投げつけてやって、必死で逃げているうちに辿り着いた。どういう施設だったのかよくわからない。コンクリートの塀にぶち当たって、ほとんど取っ掛かりもないはずのそれを世季は上り切った。どうやったのかは自分でも覚えていない。無我夢中で、もう一度やれと言われてもたぶんできないだろうと思う。
有刺鉄線に絡まって悲惨なことになりながら、なんとかその塀の中に落ちた。落ちた、という言い方は本当に正確で、背中を地面に強く打って息もできなくなった。それで、呼吸困難で喘いでいるところに色々なものが目に入った。
見知らぬ言葉がびっしり書かれたコンクリートの塀の内側とか。
妙な防護服みたいなのを全身に着込んだ集団が自分を取り囲んでいるのとか。
終わった、と思った。
終わってなかった。
呆れるようなお人好しの集団だった。そういうことを言うとどいつもこいつも「自分たちだけ助かろうとしてるやつのどこがお人好しなんだ」「君だってたまたま拾わなかったら見殺しにしてたさ」なんて神妙な顔して言い返してきたものだけれど、世季からしてみれば「見殺し」なんて言葉を口にする時点で底なしのお人好しだった。自分以外の人間が知らないところで勝手に死ぬことのどこに自責の念の発生余地があるのか。それなりに塀の中の大人たちのことを世季は尊敬したけれど、同じくらい馬鹿にしてもいた。
だからまあ、そういうやつらのためになら一肌脱いでやってもいいと思ったのだ。
主観時間で、7年前。客観時間で、100年以上前。それでもあの日、震えて俯く集団の中で、自分が挙げた手のピンと指先まで伸びていたのを、はっきりと思い出せる。
「やるよ、俺。繋ぎの管理者」
@
保管庫から取り出したのは、インターネット接続のないノートパソコンだった。どこにも繋がらなければ、何をどうしたところでシェルターのシステムを弄られる心配はない。たとえ、知らないUSBを突っ込んだとしても。
「『パッチワーク・アソート』……。『ツギハギの詰め合わせ』? よくわからん名前だな」
よっぽど長い間動かされていなかったのだろう。パソコンは起動するだけでガリガリと危険な音を立てている。結構ギリギリだったのかもしれない、と世季は思う。自分より後の世代の管理者だったら、ひょっとするとこの手のスタンドアローン端末を使えなくなっていたかもしれない。管理者として機械修理のスキルくらいは持っているが、メインのシステム機器はともかく、この手の余剰品に回せるだけの機械パーツの在庫は心もとない。一度壊れたら、たぶんずっと壊れっぱなしだ。自分ならそうする。
自分でできるメンタルチェックは、やれるだけやった。認知機能や計算能力に問題は出ていないし、幻覚幻聴の症状も出ていない。となるとあの映像に映っていたのは実際に人間か、それに類するものだということだ。
システムのログを漁ってみたけれど、シェルターのロックが開いた形跡は一切なかった。3代前の管理者が海底トンネルの破損確認に出たきり。そのときに外れたロックも第2殻まで。そこだって生き物の「い」の字も見当たらないような無機質な場所で、「異常なし」のメモとともに10分もしないうちに再封鎖されていた。
一応の可能性を考慮してシェルター内部の生身で立ち入ることのできる部分を見回ってみたが、破壊されたような痕跡はひとつもない。つまり、完全な密室。
そこに、自分以外の影があるとしたら、
「侵入者、つーか……」
言葉では表現しがたい。これでもこの3年、世季は映画やらアニメやら小説やら色々なメディアに親しんだ。その中にはミステリも入っていたし、一見不可能な密室トリックの典型的な解き方も知っている。
すなわち、密室内部の犯人。初めから密室の中にいて、犯行後も密室の中にいる。ただそれだけの、シンプルな解法。ならば中途覚醒したコールドスリーパーのひとりかと思って凍眠室も確認したけれど、開いている装置は歴代の管理者が使っていたものだけ。
となると、本格的にわからない。管理者の目をかいくぐってシェルター内にずっと潜り込んでいた人間がいるということか。100年以上も。それはもはや人間ではないのではないか。
宇宙人とかだったら、ちょっとは納得、
しないけど。
「おっ、開いた」
立ち上がったパソコンを操作する。あまり使った覚えのない型だけれど、初歩的な部分くらいはわかる。タッチパッドとキーボードをいくらか叩いて不具合が起きていないことを確認する。
それから、USBを挿入した。
椅子から転がり落ちるかと思った。
とんでもなくでかい音が響いたのだ。でーん、と。緊張感のない音。音量設定を確認してから始めるべきだった。慌ててボリュームを下げながら画面を見ると、こんな文字が表示されている。
『パッチワーク・アソート ~ドキドキ☆魅惑の生配信~』
ああ。
一瞬納得しかけた。なんだ、ただのすけべなアイテムだったのか、と。前任者が置いたんだかなんだかわからないけれど、このわかりにくいパッケージは傍から見てそうとわからないようにするためのものだったのかと。
んなわけがない。
大体、たとえそうだったところで自分の記憶と昨日の映像の説明がつかない。一瞬迷って、それでも画面を進めようと決めた。「生配信」という部分が気になったけれど、インターネット接続のないパソコンなのだから不都合な事態は生じないはずだ。「ドキドキ☆」「魅惑の」「生配信」という言葉の組み合わせが気になったけれど、別にやましい気持ちからこの先を見たがっているわけではないはずだ。
色々なものを信じつつ、世季はEnterキーを押した。
『キャラクターを選んでね☆』
「あ? ゲームか、これ」
アニメ調のキャラクターが5人、並んでいた。その下にはカーソル。ためしに方向キーを押してみると、やっぱり動く。
いかにも主人公っぽい高校生の女の子。
お嬢様っぽいロングヘアの女の子。
しっかり者で大人びた感じの女の子。
前髪で目元が隠れた小柄な女の子。
そして最後にひとりだけ、少し髪の長い男の子。
たぶんキャラ選択の場面なのだろう。そしてどういうわけか大抵のゲームでは女性キャラクターの方がファッションに幅が合って着せ替えが面白い。ここは迷わず女の子を選択しようとして、いやいやいや、と我に返って首を横に振る。
「何を普通にプレイしようとしてんだ、俺は」
てっきり手がかりがあるのかと思ったのだ。
ミステリ映画よろしく、謎の文書ファイルが入っていてこのシェルターの謎に迫るだとか。
あるいはホラー映画よろしく、中から謎の人物が這い出してきてシェルターを守るための大バトルを繰り広げる羽目になるとか。
そういう展開になると、思っていたのだ。
でも、全然そんなことはなさそうで。
「……謎だけが残ったな」
画面を見ればわかる。いかにもキラキラでポップな感じの画面。楽しさこそ伝わってきても、このシェルターに本質的な影響を及ぼしてしまいそうな深刻さは見当たらない。
となると、このUSB自体は何の手がかりにもならなくて、そうなるとこのUSBを誰がどんな目的で、という謎だけが残ってしまって。
「うーん……」
腕を組んで、椅子の上で世季は唸る。どうしたものか。もう一度このUSBを倉庫に戻して、それから寝ずの番でもしてみるか? 生活習慣を崩すと寿命が縮むからやめろ、とは訓練中に口酸っぱく言われたことだったけれど、こういう状況では仕方ないだろうと思う。
とりあえずUSBを取り外そうと思って、いやよくよく考えるとあの起動時間なのだからここで見れるものは見ておかないとあとで面倒か、と考え直して。
ちょっとだけ。
好奇心。
恋愛シミュレーションゲームでは、パッケージの女の子や男の子の話から見たいタイプだったから。
高校生っぽいキャラクターにカーソルを合わせて、
Enter。
ローディング画面が、数秒だけ続いて。
「……はい。もしもし、『ヨキ』?」
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