夏の墓 2/8
馬鹿みたいな量の隕石が落ちてきて、火山が噴火して、氷河期みたいになって、つまりは恐竜と同じような滅び方で人間は大雑把に死んでいった。
隕石が落ちてくると、それなりの衝撃があり、それなりの量の煤やら塵やらが空気中に撒き散らされる。それは火山が噴火したときもそう。その結果太陽光はまるで地球表面に届かなくなって、どんどん気温は低下。これだけなら案外暖房設備さえ整えれば人間は生きていけそうだ、と思うかもしれないが、そんなことはない。日光が届かなくて、そのうえ気温が低下したら、植物が育たなくなる。農業は壊滅したし、熱帯雨林はなくなったし、東京砂漠は本物の砂漠になった。
人間たちは食料を奪い合った。おかげさまで僅かに残っていた植物も根こそぎ刈り取られたし、それを餌にしていた動物たちも、餓死する前に食肉に加工された。そしてとうとう分け合うものもなくなれば、お互いに争い合うようにもなった。別に勝ったところで明日の保障が得られるわけでもなかったし、単に暇潰し程度の争いだったのだと思う。
死ぬまで暇を潰して、人類は大体死んだ。
ノアの箱舟は、海底に作られた。
このあたりの経緯がどうなっていたのか、混乱期にあったのか史料もほとんどなく、当時管理者候補として訓練に明け暮れていた世季はよく知らない。ただ、並外れた科学者がひとりいて、その人物が冷凍技術と海底シェルターのふたつを作った、というのはなんとなくわかっている。
海底シェルターの中には、争いを免れた幸運な人類が眠っている。いつかまた地球が楽園になる日を信じて、永遠のように凍りながら。
吾階世季は、そのシェルターの中に、ひとりで住んでいる。
たぶん凍らずに生きている人間は、今この時代に、世季しかいない。
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食ったらすぐに歯を磨く。虫歯になったら面倒だから。
応急処置程度の医学の訓練は受けたし、やろうと思えば歯科医術の学習くらいはできると思うが、自分の口の中を自分で治療するのが難しいだろうってことくらい、実践しないでもわかる。虫歯になったら適当にそのへんの出っ張りに紐をつけて引っこ抜くくらいの対処法しか取れそうにないし、そのまま放っておくと江戸時代よろしく脳まで冒されて死ぬ羽目になる。一度病気になったらもうおしまいというのが管理者の伝統で、記録簿を確認する限り世季の前の管理者たちも病気になったらそのまま勢いよく死んできた。気をつけなければならない。じゃあ初めから甘いものを取らなければもっとリスクの低い生き方ができるんじゃないかという向きもあるが、そうはしないのも管理者の伝統である。勢いよく生きて勢いよく死ぬ。そういう人間じゃなければ、こんな貧乏くじそのものみたいな役目に立候補したりはしない。
がらがらがら、ぺっ、と洗面台に水を吐き出して、タオルで口元を拭いて、部屋に戻る前に中央ホールでまたコンソールを弄る。特に何の警告音も出ていないから大丈夫だと思うけれど。
「エラーなし……。まあ、今さら出てくるわけねえよな」
いや、今さらだから出てくんのか、とひとりごとを言いながら、世季は部屋へ。室内では、流しっぱなしのアニメの音が響いている。人間工学に基づいて生み出された究極の座り心地の椅子、略して人間椅子にどっかり腰かけて、ぼうっと続きを見る。
映画にドラマ、漫才にバラエティ。時間を潰せるものは山ほどあった。が、いくらなんでも管理者になってもう3年。肉体年齢は10代のまま、ずっと同じような姿勢でただ目に映るものを一方的に摂取し続けるだけというのも味気なく感じ始めて、アニメから画面を切り替える。
定点カメラの映像が映る。集団を生かすには心もとなく、人ひとりを生かすには過剰な量が保存された物品保管庫。棺桶みたいに暗闇に並べられたコールドスリープ装置。魚の一匹も通らない海の底を走る透明なトンネル。最後に映るのは、仮想空間上の作業画面。作りかけの都市モデル。
「仕事するって気分でもねえな……」
立ち上がる。どうも今日は気分が落ち着かない。棚の前に移動して、そっちに何かすっきりするものがないか探してみる。気に入った文庫本がいくつかと、ゲームソフトがいくつか。指をかけて、戻して。
「――――ん?」
そのとき、奇妙なものを見つけた。
見慣れないパッケージだったのだ。他のソフトに比べてやや厚みがある。引き抜いてみると表紙も何もないクリアパッケージで、中にUSBが入っているのがわかる。
文字の書かれた、小さなラベルが貼ってあった。
「『パッチワーク・アソート』……?」
おかしいな、と世季は思う。前任者の私物は、自分と交代するタイミングで全部倉庫に戻したはずだ。
「…………なんか、妙だな」
自分で持ってきたのなら、覚えているはずだ。こんなに特徴的なものを忘れるはずがない。しかし他に、この場所にこんなUSBがある理由も思いつかない。
記憶障害が起こり始めているのか。
他に誰も人間がいない閉鎖空間で、設備の保守点検係。それも死ぬまで。孤独な生活は精神を蝕む。自分だって管理者候補として適性検査を抜けてきたのだから、この程度のことでは揺らぎはしないはずだ、と思うけれど、精神の異常は自分ではわからない場合も多い。
そのパッケージを手に、部屋を出た。中央コンソールを操作して、シェルター内のカメラ機能をすべてONに切り替える。気が張るから普段はあまり使わない機能なのだけれど、今回ばかりは仕方ない。もし自分が記憶にない行動を取るような傾向を持ち始めているとしたら、早めに対処しておかなければならない。
倉庫行きのボックスにパッケージを突っ込む。消毒の音。運ばれていく音。ふう、と息を吐いて、とりあえず今日は本でも読むか、と部屋に戻ってパソコンの画面を作業状態から音楽へ切り替える。何もやる気が出ない日はクラシックでも聴きながら古めの文芸でも読むのがいちばんいい。
そのまま昼は終わり、夜も終わる。
目覚めて、トレーニングルームで簡単な運動をして、シャワーを浴びて、部屋に戻って、昨日のことを思い出して棚を調べる。
「……マジかよ」
そこには、USBの入ったクリアパッケージ。
ぞっとするような気持ちになった。いくらなんでも精神に異常をきたすのが早すぎる。これから何年ひとりで生きていくと思ってんだ、と自分で自分に問いかけて、中央コンソールへ。「おいおいおいおい」と無意味に焦りの声を上げながら、監視カメラの映像を確認する。
信じられないものを見た。
というか、見えなかった。
部屋の棚を注視する定点カメラの映像。午前2時。ベッドの上で世季はぐーすか寝ている。
そのカメラを、誰かの手のひらが遮った。
手のひらの次は、何か物を被せたのか、暗闇の映像。それが外れたとき、ベッドの上に世季は眠ったまま、棚をよくよく見てみれば、物がひとつ増えている。
世季は見比べる。その増えたものの映像と、今の自分の手の中にあるもの。
まったく同じクリアパッケージ。
このシェルターの中に、自分以外の誰かがいる。
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