最悪の場合、あなたと雪になる 4/6
『To :マネージャー
From:トト
お世話になっております。
トトの代理人をしている戸祭遠音と申します。このたびは2点、お伺いしたいことがあってメールを差し上げました。
公開のSNSアカウントで行われたことですので、すでにご存じかもしれませんが、先日、トトはプロゲームチームからのスカウトを受けました。
このスカウトを受諾したいと考えております。パッチワーク・アソートに参加する際、特段ガイドラインや規約を示されておりませんが、こうした活動に問題はありませんでしょうか。
また、私事で恐縮ですが、私は今年度10月より転職を予定しており、これまでのようにトトの活動のサポートを継続するのは難しくなる見込みです。今後、マネージャー様にトトの配信サポートをお願いすることは可能でしょうか。
お忙しいところ恐縮ですが、ご返答いただけますと幸いです。』
@
ちょっとした運動靴でもあれば登ってみるくらいはわけないらしい。リュックサックに水筒とタオルだけを詰め込んで、雪降る夏山の道を、遠音は歩いていた。
ちょっと流行ったからと言って、そこまで人がいるわけでもない。中ほどくらいまでは近所に住んでいるような高齢者たちとすれ違ったけれど、その先は全然。ついさっきひとり、いかにも本格的な恰好をした外国人観光客らしき人とすれ違ったくらいが精々だった。
雨にならないのが不思議だった。麓から立ち上る夏の熱気は、相変わらずうんざりするほど蒸している。蝉の声だってここまで響いているのに、肌に触れる雪はずっと空の向こうの冷たさを連れてきて、火照りそうになる身体から体温を奪っていく。
本当は、初めて見たときからずっと、上ってみたいと思っていたのだ。
隕石の落ちてきた場所。宇宙と直接繋がったはずの場所。行ってどうにかなるわけでもないとわかっているけれど、最後に一度だけと思えば、そこがいいと思った。
ポケットには、折り畳んだ一枚の紙。それから仏壇の引き出しから取ってきたライターに、綺麗に洗った缶詰の空き容器。
は、と息を吐く。2時間もすれば、もうその場所に立っていた。
クレーター。
隕石が落ちてきた場所。
立ち入り禁止のテープをくぐる覚悟は要らなかったらしい。パイロンのひとつも見当たらないで、ただ地続きにその窪みの奥まで足を進めることができそうだ。
周囲をきょろきょろと見回した。誰の姿もない。あっても、ひょっとしたらこれからすることには何の関係もなかったかもしれない。窪みの先へ、足を踏み入れる。
まっすぐ真ん中のあたりまで進むと、不思議と雪の勢いも強くなった。肌に触れれば消えてしまうような粉雪が、少しずつ形を残し始める。靴音に氷を踏み砕く音が加わる。半袖の先で空気に晒した前腕が、少しずつ凍えていく。
空を見上げて、遠音はこう思う。
終わりにするなら、こんな場所が――。
「わっ、冷た」
雪の上に腰を下ろした。骨から凍らされるような冷たさ。思わず声が出て、その全てが雪に吸い込まれて、柔らかく消える。
ポケットの中のものを取り出した。ライター、空き缶、それから一枚の紙。
その紙には、「宇宙飛行士」と書いてある。古朽ちて、ところどころ破れて、それでもくっきりと文字を残したままの。
吐いた息がとうとう白い。見下ろす町とこの山肌はまるで別世界みたいで、だから静かに、ここならひとりで、すべてを終わらせられる。
「……遠い夢は、今日でおしまい」
缶に紙を置く。ライターの火を点けるために、身体を屈めて、風の壁になる。かちっとスイッチを押して、火がめらめらと揺らめくのを、消えないように。
そしていつか、消えてしまうように。
近づけて、
「―—―—遠音」
背中に声。
振り向く。体温のない子だから、あちらこちらに真っ白な雪を張り付けたままで、
「―—トト?」
空から降ってきた宇宙人が立っている。
@
あ、もしもし。
お世話になってます。パッチワーク・アソートのきなこです。この間の配信サポートの件でご連絡差しあげました。電話で恐縮なんですが、込み入った話になるかと思いますので……。話し合いの後、記録のためにメールを送信しますから、そこのところはご容赦ください。
ええっ。誰って。トトさん、あまり他のメンバーに興味なさそうだとは思ってましたけど、そこまでひどかったんですか。私、そのアバターを描いたので、言ってしまえばあなたの生みの親みたいなものなんですが……。あ、もしかして運営側だってことを知りませんでした? 一応私、マネージャーと直接面識があって……、
――あれ? 違うのか。
もしかしてトトさんって、配信のこととか知らなかったりします? ……そうですか。それは知ってるんですね。
じゃあ、配信してるのはあなた自身ですか? ああ、うん。なるほど。
つまりあなたは本名がトトだっていうだけなんですね。
配信しているトトさんは、別の人なんだ。
実名を出してもいいのかな。その配信している人って。……ああ、はいはい。戸祭遠音さんですね。私があんこって名前でVをやるようなものなのかな。にしても声、似てますね。ああいや、それも戸祭さんが寄せてるのか。
うん。大体話は飲みこめました。
あと、なんとなくなんですけど、トトさんって遠音さんのこと好きですか?
いえ、一応意味のある質問なんですけど。なぜって……、なんとなく、遠音さんの名前を呼ぶときの声が私の……まあ、似てたので。
引継の話とか何も聞いてないですよね。でしょうね。ちなみに今、近くに遠音さんっていますか? いない。でしょうね。
じゃああの、初対面でアドバイスなんかして恐縮なんですけど。
なくしたくなかったら、追いかけた方がいいですよ。すぐに。
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