最悪の場合、あなたと雪になる 2/6
ガスが発生しているそうである。
隕石の降った場所から、何らかの気体が。警察も消防も来て調べたらしいが、それが何かは特定できていない。
というか、特定されては困る、とすら町の行政は考えている。
日光に込められた熱エネルギーを跳ね返しているのではないか、というのがネットでもっぱら見られる素人意見だった。光を揺らす気体が霧のように山の上に広がって、それであのあたりだけやたらに温度が低くなっているのでは、そして真夏の雪すら見られるのでは、と。
本当のところを誰も知らないのは、もしちゃんと調べて有毒ガスだったりすれば、住民を避難させる必要が出てくるからだ。
この町は小さな自治体で、市民の生活を支えられるような財源はまるでない。壊れた道路の修理に最低3年かかる。小学校は昔4校あったのが今は1校になっているし、中学にいたってはどうにか隣の町と合同の形で1校にまとめられないか思案中という噂まで流れている。
だから有毒ガスが発生していますなんてことが発覚したら困ってしまう。破綻する。せっかく「夏に雪が見られる町」として観光客が来るようになったというのに。
みんな見て見ぬふりをしている。
もしかしたらやばいんじゃないか、と思いながら。
まあでもひょっとしたらやばくないかもしれないよね、と思いながら。
とりあえず目先のことだけやっておこう、と考えているらしい。
@
考えておいてね、って言われても。
勤務中に館長にいきなり書庫に呼び出されて、何かと思ったら突然の話だった。
町役場で正職員を募集しているらしい。毎年1、2人くらいは募集をかけているのだけれど、それとは別。あらかじめ誰を採用するか当人が中学生くらいのころからあたりをつけていて、面接という名目で顔見知りと「最近どうしてた?」なんて会話が始まるような壮大な出来レースじゃない。
コネとか世襲とか、そういうのは抜きにして、純粋に人手が欲しくなったらしい。ここ最近の外国人観光客の増加を見て。
通訳だとか翻訳だとかに外注するのは金がかかる、というのが全体的な町行政としての感触らしかった。そこで部長級の職員たちは考えた。ここは一丁若手職員に丸投げしちゃろうじゃないか。外注するからお金がかかるんであって内注なら定額働かせ放題サービスのプラン内だから追加料金もかからないしね。どうだね君たち散々グローバル教育とやらを施されてきたらしいじゃないか。なあに英語の成績が1だとか2だとかそんな昔のことはどうだっていい若いんだから何とでもなるさわははのは。
ならなかった。
だから、外国語のできる人材を一人くらい雇っちゃろうという話になったらしい。
「それで僕のところにも心当たりがないかって連絡が来てね。そりゃもちろん戸祭さんの名前を出すわけじゃないか。いくつだっけ、13か国語? いやあすごいよねえ。聞いたよ、高校でも成績1番だったんだって? 大卒だから初任給18万スタートだよ。基本は企画課で仕事してもらうような感じかな。もしオッケーなら僕の方から人事に履歴書回しておくから。ほら、ここの面接のときに出してもらったやつ」
それじゃ考えておいて、と言って館長は去っていった。手には車の鍵。この町の図書館は周辺4町村と蔵書の共有を行っていて、週に3回正職員が公用車にいくらかの本を積み込んで、よその図書館を回ってくることになっている。別にその時間帯はいつでもいいのだけれど、大抵は昼。なぜならそうすればどこか途中、そこそこ遠くの定食屋に寄って昼を済ませることができるから。
はあ、と溜息を吐きながらカウンターに戻る。頬杖を突きながらペンを回している前田に向かって、
「前田さん。お昼休憩、お先にどうぞ」
「あ、はーい。……どした。なんか館長に言われた?」
「……いえ、別に何も」
なんとなく、前田には言い出しづらかった。
いや「なんとなく」では全くない。同じ立場の人間で、自分だけ正職員になるならないの話を振られたとなったら、それなりに良好な関係を築けている相手にだって何も言えなくなる。明白な計算があって、前田には言わなかった。
そう?と一言だけ口にして、前田は事務室の方へ下がっていく。昼時のカウンター業務は交代交代で行う。誰だってお昼ご飯くらい食べたいけれど、まったくの空っぽにしておくわけにはいかない。防犯と業務都合の両方を考えて。
でも、ひょっとすると全員で一緒にご飯を食べたって何の問題もないかもしれないと思うくらいには、閑散とした館内だった。
小さな町で図書館に来る人なんて、大抵顔ぶれは決まっている。朝一番で新聞を読みに来る近所の高齢者。昼過ぎになってエコバックを抱えて、決まって2冊の本の借りていく退職後の国語教員。夕方5時くらいになって2人で現れる、塩素の香りを漂わせた子どもとその母親。みんな昼時には姿を見せないし、ここ最近は夏休みだからたまに何人か受験生が机に陣取っているくらいで、結局それも1時間2時間もすれば集中力を切らしてどこかに消えてしまう。
机に座っているのは、ひとりだけだった。衝立があって顔までは見えないけれど、たぶん体格からすれば中学生くらいの男の子。しばらくカウンターには来ないだろうなと思えばやることもなくなって、じゃあ何かのためにトルコ語の勉強でもしておこうかなと本を取り出しても、やっぱりまったく身に入らない。
あんなこと、言わないでほしかった。
立ち上がる。本の整理でもするか、と思う。こういうときは身体を動かすのがよくて、毎日の自転車通勤もそういう意味では役に立っている。
一番端の棚から回っていって、背表紙のズレた本の場所を直す作業。大して利用者のいない図書館だから、そこまで乱れているわけでもない。定期的に歯抜けになるのは外国語の棚くらい。けれど、そこすら大抵の場合は整っていて、手間をかける必要もない。仕事が少ないのはいいことなんだろうとは思うけれど、ひょっとするとこの図書館もいずれあの小学校みたいになくなってしまうのかもしれない、と思ったりもする。何だって忘れ去られたものから消えていく。
1冊、2冊……まとめて5冊。9冊目を直すとき、ちょうどひとりだけ座っていた男の子の後ろを通る。
がたん、と。
ものすごく大げさな動きだった。
背後に人の気配を感じたらしい少年が、椅子ごと引っくり返るような勢いで振り返った。びっくりして遠音は目を丸くする。
少年の手には携帯電話が握られている。
「あ、あの、すみませ、」
ああ、と遠音は頷く。そういうのを気にする人は一定数いる。だから優しく笑って、
「大丈夫ですよ。通話が禁止なだけなので。あとはイヤホンから音漏れしなければ」
とんとん、と耳のあたりを叩くような素振りをすると、はっとしたように少年も自分の耳に嵌っていたイヤホンを引き抜く。
「ど、どうも」
と頭を下げられた。この町の公共スペースのいくつかには無料のWi-Fiが飛んでいる。それ目当てで来たのだろう。この図書館には「図書閲覧以外の目的での閲覧席使用禁止」のようなルールがないので、何らこの少年は悪いことをしているわけではない。与えられた公共サービスを、ルールの範囲内で活用しているだけだ。
脅かしちゃって申し訳なかったな、と通り過ぎようとして、ちらりと彼の持つ携帯の画面が見えた。
『【ゲーム】どう考えても宇宙人としか思えないレベルの神プレイを息するように披露されて困惑する視聴者をよそに淡々とノーリアクションを貫くトトちゃん【切り抜き/パッチワーク・アソート】』
うわ。
声が出そうになった。
でも、なんとか出さずに堪えた。ふらふらとカウンター席に戻り、30分くらいで昼食を終えた前田が「食べてきちゃっていいよ」と言うのに甘えて、事務室の奥の休憩室に下がって、鞄に入れっぱなしで生温かくなった菓子パンを取り出して、封を開ける前に携帯で確認する。
バズっていた。
「パッチワーク・アソート」の「トト」が。さっきの動画を検索したら昨日投稿されたばかりで10万再生。SNSでも動画が共有されてまだまだ広まりつつある上に、その動画以外にも配信の一部がどんどん切り抜かれて拡散されている。直近1時間で増えた動画数は7。
何がきっかけなんだろう、と見れば一昨日のFPS配信が原因だった。対戦した相手がプロゲーマーだったらしい。さらにちょっと先まで調べてみれば、その対戦がプロゲーマーの配信に載っていたことまでわかる。再生してみると、こんなことを言われていた。
「うわっ……」「は? なになになに?」「チーター?」「いやこれちげえわ。普通に上手えんだこの人」「うっそ! うわー、マジか。そっからこれ見えんのか……!」「うーわクソゲー」「やべー、この人。俺より上手いわ。いやマジで。冗談抜きで強い」
宇宙人かよ、いやキャラ設定マジで宇宙人なのかよ、という言葉を聞いて、遠音は再生を止めた。菓子パンを食べ終えて、温い野菜ジュースを飲み終えて、トイレに行って歯を磨いて、はあ、と溜息。
まさかこのくらいで、どうにかなるとは思わないけど。
そんな期待を裏切るように、もう一度携帯を取り出してみれば。
「トト」のSNSのアカウントを見てみれば。
直接、こんな公開メッセージが送られている。
『はじめまして! トトさん、プロゲーマーの道に興味ありませんか?』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます