ひとりよがりのアフターグロウ 6/7
からり、とベランダの窓が開いた。振り向くと、平良が立っている。
「いる? そこに、葵名子ちゃん」
はい、と葵名子は答える。姿は見えないと言っていたはずなのに、どうしてここがわかったのだろうなんて思って、その次には納得している。霊能力者なんて、大体そんなものなのだろう。
「マネージャーさん、大丈夫になった?」
「はい。明日には元通りになってると思います」
そっか、と平良は頷きながら、サンダルを履いてそのままベランダに出てくる。まだ暑いね、と言いながらシャツの胸元を少し引っ張った。
6階の部屋からは、真夜中の都市が見下ろせる。さすがにもうほとんど明かりはないけれど、ちらほらとまだ通りを歩く人は絶えずにいた。
自動車の遠ざかっていく音が聞こえる。
「あの、」
と葵名子は切り出した。
「死ぬのって、怖いですか?」
平良は少しだけびっくりしたような顔をして、それでもすぐに元通りの穏やかな顔に戻って、こう言った。
「怖いよ。……もしかして、私、憑り殺されちゃう?」
「しませんよ」
「よかった」
この間そういうゲームやったからさ、と平良は微笑む。
手すりにゆったりともたれかかって、
「葵名子ちゃんは、怖くないんだ?」
「はい」
「なんで?」
短い問いだったけれど、そしてきっと普通には答えにくい問いだったのだろうけど、葵名子にとってはそうじゃない。
「だって、いつかはそうなるものじゃないですか」
ずっと、考えてきたから。
「別にそんなに変な話じゃないと思うんです。何かが始まるっていうのは、終わり始めるってことだし。生まれるってことは、死に始めるっていうことです。でも別に、それが悪いことだとは、私には思えません。そりゃあ、悲惨な死に方をするのは嫌ですけど。チョコレートが夏の暑さで溶けてしまったら嫌だけど、食べたら綺麗になくなるのって、すごく自然なことじゃないですか」
その言葉に、平良は思わぬことを聞いたというような顔で、驚いて、それから深く頷いて、
「確かに……。言われたらそうかもね。でも、私は怖いや。なんでだろう?」
「なんでって……」
そんなことを訊かれても、と思いながら葵名子は、
「生物の本能とか?」
「本能?」
「生き物の目的は生きていくことだから……」
言いながら、何かが違うな、と葵名子は思っている。生き物の目的が生きていくことだなんて、一体どこの誰が決めたのだろう。
見えないところで首を横に振って、
「ごめんなさい。私にはよくわかりません」
「そっかー。あとではてなちゃんに訊いてみるよ。はてなちゃん、きっとそういうの詳しいから」
そうなんだ、と葵名子は思う。どうせいつか消えることになると思っていたから、そこまで「パッチワーク・アソート」のメンバーたちと打ち解けた話をしたことがない。配信上のキャラクターくらいしか、ろくに知らないのだ。
「人の気持ちって、よくわからないものだね」
「そうですね。本当に」
「ねえ、訊いてもいい?」
「なんですか?」
「葵名子ちゃんって、死ぬのが怖くないなら、どうして人に優しくするの?」
「―—え?」
思わぬ質問だった。
葵名子にとって、そこは「どうして」が生まれる場所ではなかったから。
「どうしてって……。人に優しくするのは、普通のことじゃないですか」
「でも結局、人っていつかは死んじゃうんでしょ? どうせ私だって、マネージャーだっていつかは死んじゃうんでしょ? それなら、いつか死んじゃう人に優しくする意味って、どこにあるの?」
「それは……さっき言った通りです。チョコレートは溶けるんじゃなくて、食べられてほしいから」
「それってどういうこと?」
どういうことって言われても。
これって当たり前のことなんじゃないのか?と葵名子は戸惑っている。なんていうか、ちゃんと生まれてきた意味があって、あるべき形で終わることができて、終わることそれ自体じゃなくて、その終わり方が幸せであるかどうかが問題だって、これって当たり前の考え方じゃないのか?
何と言って説明しようと、そう悩んで、
母の言葉。
「めでたしめでたしで終わってほしいんです」
首を傾げる平良に、葵名子は、
「終わらなきゃいけないっていうのは、初めから決まっているんです。いつかすべてはなくなってしまう。でも、だから、そのなくなり方が綺麗であってほしい」
「それは、どうして?」
「そんなの、」
そのとき。
急に、すべてのことがわかった。
「そうであってほしいから」と言おうとして、そのとき、今まですれ違っていたことの、全てが見えた。
姉もきっと、「そうであってほしかった」のだ。
杏子が骨壺を抱き続けるのを見て、それをやめてほしいと思ったとき、杏子はきっと、それを続けたいと思っていたように、
幸せだとか、めでたしめでたしだとか、そんなのは人によって違うのだ。
「そうなってほしい」というのが何を指すのかなんて、人それぞれで、当たり前に違うのだ。
葵名子は、自分が死んだとわかっても何も悲しくなかった。自分にとっての「めでたしめでたし」は、これでいいと思っていたから。
でもきっと、杏子が考える「めでたしめでたし」は、これではなかった。
ふたりで一緒にずっと暮らして、老いて、よくわからないまま穏やかに、何十年もしてから死ぬような、そんな夢物語みたいな人生を、杏子は思い描いていたのだ。
彼女にとって、14歳の葵名子の死は、そして取り残された自分自身は、葵名子の感じるような「めでたしめでたし」ではまるでなくて、
そして骨を抱いて眠る杏子の姿を見て、葵名子が「何とかしなくちゃいけない」と思ったのも、
たぶん、同じ仕組みで。
そういうことが、急に、すべて葵名子にはわかった。
「―—―—ふふ」
だから、自信を持って、平良にこう言った。
「そんなの――ただ、お節介だからです」
勝手な幸せ押しつけて。
人の人生を幸せだとか、不幸だとか自分の物差しで値踏みして。
もっとこうしたらよくなるよ、とか誘導したり。
どうしてこんなことになっちゃったの、なんて嘆いてみたり。
挙句の果てに、一緒にいて幸せになったり。
一緒にいられなくて寂しいって、聞き分けなく泣いてみたり。
そういうの、全部をひっくるめて、葵名子はそういう言葉に変えてみた。
満足げな声に、平良はやっぱり、予想もしないようなことを言われたというように、きょとんと小鳥のような顔をして、それからやっぱり、柔らかく、穏やかに笑って。
こんなことを言った。
「その気持ちってきっと、愛って名前がついてるんじゃないかな」
この間ゲームで見たよ、なんて締まらない言葉を付け足して。
馬鹿馬鹿しいことにそのとき、夜空をひとつ、流れ星が横切った。
誰も、まるで気付かなかったけれど。
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