神さまは何も言わない 6/7


 真偽不明のまま「ひらら」の配信は大いに拡散されていた。

 失われた宗教団体を題材にしたゲリラ演劇と見る者もいれば、本当の事件だと見る者もいる。なんにせよいつもの「ひらら」のぽやぽやした配信を楽しむ穏やかなリスナー層だけでなく、もっとコアな層まで配信はリーチしていた。

 そのうちのひとりが、ちょうど戦後新興宗教の興亡をテーマに研究を行い、当該教団についての知識を持つ博士課程の大学院生だった。

 その人物は特段、配信自体の真偽について言及することはしなかったが、インターネットにアップされた画像――「ひらら」が撮影した書斎の資料――について、不完全ながら日本語への翻訳を行った。

 それをベースに暗号解読趣味の人間たちも集まり、最終的に、平良が新たな道を辿る道中で、暫定的な解読が完了した。

 こんなことが書いてあったそうである。


「我らの神 ×××は死と再生を繰り返しさらに大いなるものへと変わりゆく

 循環を促すべし

 幼体を水の中、乙女の手により育てしめよ

 十分育ちつる幼体にその乙女の心筋を食わしめよ

 のちに古き神と幼き神を戦わせ、幼き神に古き神の遺骸を食わしめよ

 ここに循環はなるべし」


 さらり、と誰かが付け足した。

 この人、そのままにしてたら水槽の中の生き物に食われて死んでたのかもしれないですね。



 ただの大蛇の通り道だった、と辿り着いてわかった。

 どう見たってそこだけ木々が少ない。大きな生き物がねぐらにしたような跡がある。随分長いこと建物側に歩いてきて見つけたのは、この道はすべてあの蛇が作っただけだ、という虚しい事実だけ。

 平良も膝を折りたくなった。

「どうしよ~……。なんか足が変な感じになってるんだけど……」

「だよなあ」「すげえ可哀想になってきた」「よく頑張ってるよ」「代わってあげたい・・・」「場所さえわかれば警察でもなんでも通報するんだけどな」「配信長すぎてさすがにダレてきたわ こんだけ作りこめるのはすごいけど冗長」「無力すぎて震える」「もうちょっと自分で考えられないのかよ」「お前が考えてから発言しろ」

 ものすごい流速でコメントが送られてくる。疲れた頭では平良ももうそれを処理しきれない。ほとんど泣きたくなってきて、というか半泣きで、鼻がぐずぐず言い始めたところで、

「はてな」と通話の着信があった。

「もしもし?」

「―—ゔぇええ」

「わ、泣いてる」

 迷わず通話を始めた。もう平良の経験値や能力ではどうにもならないところまで来ている。誰かに頼りたくて仕方がなかった。

「ごめんね。もっと早く連絡できればよかったんだけど、配信見返してたから。大丈夫? じゃないよね」

「ぜ、全然……」

「でも大丈夫。わたし、ちゃんとクリア方法見つけてきたから」

 優しい声で「はてな」は言ったけれど、たとえ優しい声じゃなかったとしても、平良にとって今の台詞は、世界一優しい言葉に聞こえたと思う。

「はてなちゃ~~~~ん!!」

「お姉さんに任せときなさい。あのね、最初に出る方向を間違えてたんだよ」

「はてな」は言った。

 最初に不思議に思ったのだと言う。どうしてあの両開きの戸に内側から錠がかけられているのか。「ひらら」の配信ではムービーが乗っていないから初めは何かの勘違いかと思ったが、何度考えてもおかしい。

 内側から錠をかけられるのは、内側にいる人間だけではないか。

 外に出て行く人間は、その錠をかけられないのではないか。

「それだけなら、未探索の部屋にひららちゃんの夫の人が隠れてたのかと思ってたんだけど……、そうじゃないなと思ったのは物置部屋のこと」

 あのとき「ひらら」はブルーシートを避けて、その奥にあったキーボックスから鍵を取り出した。

 どうにかして「ひらら」を閉じ込めるために内錠を取りつけていたとしても、ここに来るたびに付け外ししなくてはならないような錠の鍵を、わざわざそんなに取り出しにくい場所に置いておくだろうか?

 仮にそれすらありえるとしたって、他の部屋に比べて汚れていることの説明がつかない。よく使う部屋なら清潔さはともかく、ドアノブを握って手が汚れるようなことはまずないはずなのである。

 つまりは、

「最初に開けようとして開かなかった扉。あっちが本当は出口の側で、こっちは建物の奥側だったんじゃないかな」

「おおおおおおお」「これ名推理だろ」「確かに言われてみればそうだわ」「これ誰? 頭よくね」「バーチャル探偵はてなちゃん」「語呂よくて笑う」「初めからこの展開を予想したネーミングだった……?」「これは天才」「ほんと謎解き上手いわ 実況数が物を言っとる」

「…………ほんと?」

 コメントの盛り上がりとは異なり、平良の反応は怪訝だった。

 それというのも、

「ひららちゃん、不安?」

「さっきまでリスナーの人たちの言うこと聞いてたのに……」

 こうなってる、と言外に。「すまん」「すまんすぎる」「不甲斐ねえわ」「オタクはカス これは事実」「ぐうの音も出ない」

 確かに、「はてな」の話を聞いてある程度平良も納得している。けれど、さっきまでだってちゃんと納得してリスナーの言うことを聞いていたのだ。これだけ追い詰められた状態で、またすぐに人の言うことを信じられるかと言えば、それなりの難しさがある。

 ううん、と「はてな」もそれを察しているのか、言いづらそうにして、

 それでも、

「ごめんね。ひららちゃんの考えてるとおり、任せなさいとは言ったけど、あんまり確証はないかな」

「……え?」

「だって、その鍵はスペアの鍵だからその部屋にたまたま使われずに入っていたんですって言わるかもしれないし。内鍵の付け方はわたしが知らないもっといいやり方があるのかもしれないし。……任せなさいなんて言っておいてあれなんだけどね。ごめん、さっきのはただの気休め。悪い癖、出しちゃった」

 ひららちゃん、と「はてな」は言う。

「わたしたちができるのは手助けとか、ヒントまでだよ。……大切なことは、自分で決めなきゃ」

「自分、で?」

 そんなこと。

 平良は地面の上にへたりこんだまま、画面を見つめている。膨大なコメントが流れている。いつもよりたくさんの人が来ている。たくさんの意見が飛び交って、ぶつかったり、折れたり、折ったり、すれ違ったり、それぞれの場所から別々の場所へ好き勝手に向かっていく。

 自分で決めろだなんて、そんなこと。

 画面の中で「ひらら」が笑っている。

「―—―—あ」

 自分で決めろだなんて、そんなこと。

 初めて言われたと思ったけれど。

 平良は思い出している。夫から渡されたパソコン。よくわからないものをよくわからないまま手探りで使ったこと。たくさん見つけることのできた新しいもの。初めはほとんどそれの持つ意味がわからなかったし、「ひらら」を演じることになったのもたまたまマネージャーから連絡があって、それをわけもわからず受けたから。

 でも。

 それでも。


――あ、あの。私、このキャラクターがいいです。この子がいちばん、可愛いから。


 知らないうちに、本当は全部、自分で決めたことだったって。

 楽しかったことの全てを思い出したら、そう思いたがっている自分がここにいることに、気が付いた。


「―———はてなちゃんの言うこと信じる。がんばって、あの建物まで帰るよ」


 雨は激しさを増していた。

 特に足元がぬかるみはじめて、新品同然だった靴は汚れに汚れている。けれどおかげで、足の裏からの出血は水濡れに紛れて平良自身には気づかれないでいる。

 ずっと部屋の中に閉じ込められてきた平良は、人が知っているようなことをほとんど知らない。

 けれどこのとき、人が知らないような感覚を、少なくともひとつ、はっきりとこの場で覚えた。


 歯を食いしばって歩くこと。


 それがほとんど生きることの全てだ、と言い切るには、まだこれから知ることが多すぎるけれど。

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