神さまは何も言わない 5/7



 平成の訪れとともに消えた宗教として、テレビの特集が組まれたことがある。

 ある女性のインタビューだった。結婚し、息子ひとり娘ひとりの家庭を築いていたが、夫が事故に遭ったのをきっかけに生活は困窮。そこに救いの手を差し伸べたのが、その宗教だった。

 運営母体が財界と強いパイプを持っていたそうである。豊富な資金を背景に弱者救済を掲げるボランティアを実施。着々と信者数を伸ばし、表面上は新興宗教の中でもかなり真面目な、優良団体として見られていた。

 当時、困窮世帯を中心に信者は多く存在し、ではなぜその女性が特別にインタビュー対象に選ばれたのかと言えば、その宗教団体の裏の顔に通じていたからである。

 夫が事故から回復したころになって、今度は息子が病に倒れた。当時は治療法の確立されていなかった病である。

 教団は、万病を治す祈祷があると持ち掛けた。対価は大金か、ある特定の宗教活動への従事。夫が再び就労可能になっていたにしても、これまでの生活を鑑みればそれほどの蓄えはない。迷わず後者を選びたいと彼女は思ったが、しかし教団の持ち掛けた要求は奇妙なものだった。


――娘さんの協力がいるんです。


 当時、彼女の娘はまだ4歳。その時点では教団に対し信頼を寄せていた彼女も、さすがにその活動の詳細が不明なことを理由に、金銭を対価にすることを夫と相談して決め、身を粉にして働いた。

 そしてなんとか必要な額に到達し、祈祷を行い、息子はその甲斐なくこの世を去った。

 彼女は面識のある教団幹部に詰め寄った。すると幹部も彼女の訴えを聞き入れ、電話ながら教祖と直接会話する機会を設置したのである。

 あまりにも軽薄な態度だったそうだ。


――あー、いや! 大丈夫! 死んじゃったら死んじゃったで、死者蘇生の祈祷がありますからね! 対価になる金額は……


 ぷつんと糸が切れた、と彼女は語った。どうしてあんなものを信じていたのかわからない、と。

 同様の事例は各地に存在したと見られている。全国を大きく騒がせた教団信者による幹部刺殺事件や施設放火事件などを受け、やがて教団の規模は縮小。現在は信者数ゼロ、完全消失したものと見られている。

 末期において、教祖は前衛芸術への傾倒を口にしている。独自の文字を扱う言語を開発。経典はその言語で記述されたほか、各宗教行為や宗教道具にも独特の名前をつけ、教義は複雑化。

 かつての関係者が一様に口を閉ざす中、廃墟と化したかつての教団跡地に、名前もわからない道具が転がっているのを最後に映し込み、番組は終わる。


 もちろんその残党の話も、残された施設の話も、微塵も触れないままで。



 森の中が暗いのは人の手が入っていない証だった。

 間伐を行わなければ木々は節操なく生える。だから生い茂る葉に隙間はなく、すっかり空を覆ってしまう。おかげであまり濡れずに済むわけではあるけれど。

「なんかむわーっとしてるね。上着脱ごうっと」

 平良はそう言って白い上衣を脱ぐ。それからコメントの指示に従って、それをノートパソコンに被せる。濡れないように。ちょっと音は聞こえづらくなってしまうかもしれないけれど、壊れるよりは幾分マシだ。

「道? ああうん。それっぽいのはあるよ」

 建物の入り口から、ずうっと先の方へ続いていく道がある。とりあえずこれに沿って歩いていこうかな、と思うと、コメントの指示が飛んでくる。

「タイヤの跡ないか探してみて」「ていうか車は通れそうか……ってわかんないか」「向こうから来るのと鉢合わせしたら終わるから、歩きづらくても道からちょっと離れて歩いた方がいい」「周りになんか目印ない? 富士山とかあったらめっちゃいいんだけど」

 言われたとおり、平良はあたりをよく観察する。タイヤの跡らしいものは見当たらない。車が通れるかどうかはよくわからないけれど、道は抉れたようになっていて自分の足ですら歩きにくい。でもその幅はちょうどさっき上ってきた階段と同じくらいで、人が5人くらいはすれ違えそうなくらいの広さ。上空を木に遮られて、景色は見えない。

 進んでみるしかないか、というのがコメントの総意になった。いつの間にか、目的は情報取得から脱出に完全に切り替わっている。

 森の中で遭難ということも考えられたが、道があるならそれに沿っていけば大丈夫だろうという考えがあった。なにせ「ひらら」の夫だって毎日ここを訪れるわけだ。タイヤの跡が見つからないというなら車以外の手段で来ているということで、それなら「ひらら」だって歩き通せないはずはない、とリスナーたちは信じた。

 道の先、そんなに長くはいかないうちに、平良は立ち止まることになる。

 地響きがした。

「お?」

 これが地震ってやつか、と平良は思う。随分長く響く。靴の裏がぐらぐら揺れる。この靴というやつを平良は随分気に入った。足の裏がめちゃくちゃ楽だ。

 地響きがいつまでも止まない。何となく揺れている間は動かない方がいいのかな、と思っていたのが段々じれったくなってくる。このくらいなら大したことはないし歩いていってしまおうか。

 そう思って。

 もしも平良以外の人間が見たのだったら一発で失神するようなものが、目の前を横切っていった。


 とてつもなくでかい蛇だった。


 あの大きさにまでなると平良は簡単に全長何mだとか言い表せない。なにせ、あれより大きなものを見たことがない。自分の身長いくつぶん、と考えてみても10を超えたあたりから誤差が著しく、正確には表せそうにない。しかし横幅は結構簡単にわかる。道幅いっぱい。つまり、その蛇の上で4、5人くらいすれ違うことができる。そういう大きさ。それを踏まえてみると、長さもなんとなく歩幅で考えるようになる。たぶんあの蛇の頭から尾っぽまでを渡るための歩数は、さっきの建物をぐるっと一周したときの歩数と同じくらいになるのではないか。

 とても陸地に生息する生き物とは思えなかった。

 こんな生き物、海の中にいたって化け物だと思う。生き物の基本スケールを理解できている人間だったら誰だって正気を失う。恐竜がまだ世界に存在してると勘違いしてる平良だって本能的な恐怖を感じて口を噤んでいる。一歩も動かないし、一言も発さない。ノートパソコンの音はちょうど被せた上着がかき消してくれている。

 目の前を横切っていって、5分くらい経ってから、ようやく口が利けた。

「し、死ぬかと思った……」

 生まれてこの方ずっと箱に閉じ込められてきた平良も、さすがにそう思った。

 あれと目が合ったら、絶対に死ぬ。

 さっきまでずっと急に黙りこくっていたものだから、地面の上にパソコンを置いて上着を取り払って画面を見れば、コメント欄が荒れ狂っている。

「死んだ?」「何いまの振動」「だから地震は国内で起こってねーって言ってんだろカス」「もしかして海外?」「いやダンプとかもっと色々あるだろ」「事故ってないよな?」「怖いこと言うなよ赤信号知らなそうなんだから」「野次馬はコメ控えてほしいわ。流れ速すぎ。」

「ご、ごめんね。心配かけちゃって」

 ひそひそと平良はパソコンに話しかける。そして、今あったことを包み隠さずそのまま伝えた。

「いやさすがにないだろ」「釣り確定」「蛇とか鰐で海外の秘境にいるのはめちゃくちゃでかいぞ」「目測ミスってるんじゃないか」「すっげえワクワクするわ」「確かに森の中なら航空写真に写らないしな」「いやお前らマジで信じてんの?」「ツチノコがいると聞いて」「めちゃくちゃすぎる」「盛り上がってきた」

 盛り上がられてもどうしようもない。さすがの平良も、あの蛇に好奇心だけで近づくのは無理だ。

「じゃああの、このまま道進むね」

「おけ」「むしろ蛇やり過ごせてよかったわ」「いや凸しよう」「ひららは生き残ってほしい 事件の真相とかはニュースでいいから」「はてなとヨキは配信見てるっぽいな」「昼型組ふたりとも心臓潰れてそう」「凸とか言ってるやつは馬鹿なの?」

 おおむね同意が得られている。ということですっくと平良は立ち上がる。

 道の先へ。

 そしてやがて、こう言う羽目になる。

 嘘でしょ。

「い、行き止まりなんだけど……」

「は?」「え」「絶望すぎる」「嘘でしょ?」「なに、行き止まりって どういう状況」

 ええとね、と平良は見たままを説明する。

 コンクリートの塀だった。平良の身長の2倍くらいの高さがある。壁一面に見たことのない文字がびっしりと書き込まれていて、上るのにつかめるようなとっかかりはどこにもない。

「詰んだ」

 と思わず平良は言った。ゲーム配信で覚えた言葉。どうしようもなくなったときなんかに、よく使うらしい。

「ど、どうしよ~!」

「落ち着いて」「なかないで」「出口が他にあるのかもしれない 道はそこで行き止まってる? よく確認してほしい」

 よく確認した。

 確かに、来た道とは別の方向に、また森の中へと伸びていく道がある。

「これ? 行けばいい?」

 GO、とリスナーたちは行った。一部「塀沿いに伝っていって出口がないか探すべきでは」と主張する派閥もいたが、塀がどのくらいのスケールで広がっているのかわからないというのを理由に、この別の道の先も行き止まりだったときのための第2案とされるに留まった。

 平良の脚は、実はもうほとんど限界を迎えている。

 当たり前のことだった。これまでの人生でほとんど歩いたことのないような人間が、もう何十分も歩き続けている。それでここまで歩き続けられただけで大したものなのだ。よく見れば膝は震えているし、靴擦れこそしていないものの足裏の皮は剥けて靴下の中で血を吐き始めている。

 ではどうして碌に弱音も吐かないのかと言えば、弱音の吐き方がよくわかっていないからという、その理由に尽きた。


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