月は、ときどきひとりで 6/7



『ごめんなさ~い!! 急に体調崩しちゃって・・・今日の配信はお休みします! ごめんね!』

 震える指で送信ボタンを押した後、ぽいっ、と携帯を畳の上に放り投げて、クーラーの効いた部屋で薄い毛布を頭から被って布団の上に身体を抱えるように横向きに丸まって、

 よせばいいのに。

 毛布から手を出して畳の上をざらざらと撫でる。爪の先が硬い音を立てれば、それをむんずと掴んで毛布の中に引っ張り込んで、携帯電話。

 画面を点けて、

 更新。

「了解」「えっ……!?」「風邪かな? お大事に」「夏風邪を引くのは・・・」「これもう答え合わせだろ」「また逃げるんですか?」「マジか、楽しみにしてたから残念 早く元気になってね」

 比率としては心配の声が多いはずなのに。

 携帯の画面を消して、また毛布の外にそれを追い出す。うっすら頭が痛いような気がする。一日中インターネットをやり続けていたから目が疲れているのかもしれない。それか、多大なストレス。

 着ぐるみの中身がバレた。

 自分で調べるまでもなく、わざわざ大量のDMがURL付きで中身情報がリークされていることを教えてくれたから簡単にわかった。ご親切にどうもありがとう。地獄に落ちろ。

 最悪なのはその場所。

 匿名アイドル語り掲示板の、最後に所属していたグループの専用スレッド。

 脱退前、散々中傷やら個人情報が書き込まれていたところ。

 おかげさまで今「はてな」は「あの有名アイドルグループのインディーズ時代のメンバーで、歌もダンスも下手なのに性格は狡猾で最悪で、あのカワイー××ちゃんや○○ちゃんのファンをぶんどって泣かせて運営権限で裏で解雇された超性悪、ちなみに当時の芸名と引っ越す前の住所はこれで顔はこんなの」という存在としてインターネットで広まりつつあるらしい。

 これも、訊いてもないのに大量のDMが教えてくれたから大変助かった。

 地獄に落ちろ。

 なんなの、と果奈は思う。だってもう関係ないだろ、と思う。憇町果奈の過去が一体なんだというのか。それが「はてな」のキャラクターに何の関係があるのか。バーチャルって「架空の」って意味じゃないのか。着ぐるみの皮を剥いで住所を公開して一体何が楽しいのか。

 思っていたら涙がぼろぼろ出てきてしまったので、今日の配信は中止にした。

「やった方がいいぞ」

 と「ヨキ」は言った。

「そういうの、答え合わせって言ってさ。トラブルが発生したときに配信を休みにしすると、たとえ間違った情報でも本当だと思われる。その話を払拭したいんだったら、無理にでもやった方がいいぜ。ダメージが入ったと思われると同じところに何度も食らわされるから、痩せ我慢も有効なんだ。根拠なんて声だけなんだし、押し通そうと思えばまだいくらでも押し通せるぜ」

 他のメンバーもマネージャーも「大丈夫?」くらいのメッセージは送ってくれた。気を遣われているな、と果奈は思う。「ヨキ」のアドバイスだって、出回ってる情報が本当なのか嘘なのかというところには、絶妙に触れていない。

 本気で心配してくれてるのはわかったけれど、心が追い付いてこなかった。そして案の定、「答え合わせ」の言葉が出回り始めている。

 もう辞めどきなのかもしれない。

 地下アイドルをしていたときから、ずっとこの職業で食べていけるとは思っていなかった。伝説のアイドルだってどこかでは引退するのだし、その後に役者やらタレントやらの芸能関係職に転身できるかどうかなんて今の段階の自分ではわかりっこなかったし。

 バーチャルアイドルだってそうだ。アバターが老けない以上ずっと活動を続けられる可能性はあっても、このバブルみたいなブームはいつまで続くかわからない。それに年を取れば声も変わっていくだろうし、ゲームしたりトークしたりの体力も落ちていくのは見え見えだろう。

 どこかで別の職種に鞍替えすることになるんだろうな、とは前から思っていた。

 でももっと、ずっと先の話だと思ってた。

 はあ、と溜息を吐いて、よせばいいのにまた携帯を引き寄せる。こういうとき一番いいのはなんでもいいから眠ってストレスの減衰を待つことだと経験上わかっているのに、こうやってわざわざたくさんの反応を見て、たくさん傷ついてしまう。

「……馬鹿みたい」

 見るたびに頭痛が増しそうな罵詈雑言。DMだけじゃなく掲示板まで覗いてしまう。「生きてたのかよ」「まだアイドルやってんのw」「地上波出られるグループ抜けてせこせこ動画配信って落ち目すぎん?」「性格いいとか思われてるらしくて笑える この女クソじゃん」「Vの方から来たんですけど、男関係激しいって本当ですか?」「常識だよ 親切で言うけど、この女平気でファンもメンバーも裏切るし入れ込まない方がいいよ」「こんなん入れてたのがグループの黒歴史だわw」

 ごめんなさい、と「パッチワーク・アソート」の全員にメッセージを送信したくなって、そんなのされても困るだろうと思って、何とかやめた。グループ通話に繋いで一晩中赤ちゃんみたいに泣きべそをかきたいと思ったけど、それもやめた。

 インターネットをぼんやり見ているだけで、超能力なんて使わなくてもわかる。

 今の自分は、不幸になるのを望まれている。

 もう一度涙が出てきた。

 1階にいる母に声が聞こえないように毛布を思い切り顔に押しつけて塞ぐ。圧迫されていると息が苦しくなって、何ならこのまま死んでみたくなる。

 下の階に行けば台所があって、そこに包丁が置いてある。それに階段を下りなくなって2階からコンクリートに落下するくらいのことはできるし、窓から見えるあの真っ黒い夜の海までビーチサンダルで歩いて行って身を投げるくらいのこと、やろうと思えばいつだってできる。

 いつだってできる。

 急に針が逆に振り切れた。

「なんっ、でわたしが……!!」

 ぎゅううっ、と毛布を引き絞る勢いで強く握る。握りすぎて毛布がずれて視界が開ければ、真っ暗な部屋の中に光るパソコンの画面が見える。どん、と布団を拳で殴りつけてやればびっくりした母が下の階から「どうかしたー?」と呼びかけてくる。

 どうしたもこうしたもあるかよ。

 毛布を投げ捨ててのっしのっしとパソコンまで歩いてどっかりと椅子に腰を下ろす。通話先を選択してください。「ヨキ」。

「―—あ、おう、」

「この間食べてたカップ麺って名前なに!?」

「は?」

「あの辛いやつ!!!」

 何が何やらと困惑している「ヨキ」だけれど、さすが普段から無茶苦茶なことをやっているだけあって急に無茶苦茶なことを言われても対応力がある。「『激痛らーめん無情』だけど」と端的に質問に答えてくれて、「ありがと!!」と果奈は通話を切る。

 財布を掴む。階段を駆け下りる。ものすごい音に目を丸くしている母にすれ違い「コンビニ行ってくる!」と叫ぶ。玄関の上がり框からぴょんと跳ねてビーチサンダルの上に着地して、鼻緒を通す指の間を間違えたまま扉を開けて、母の声も聞かないで自転車に跨って夜道を漕ぎだす。

 立ち漕ぎ。

 思いっきり。

 悲しみは限界点を超えて、今は怒りに変わっている。



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