月は、ときどきひとりで 5/7
何も果奈だって延々ファンからのメッセージに応え続けているわけではない。そんなことをしていたらいくらなんでもキリがない。文通の時代ならいざ知らず、今はインターネットで指をちょっと動かすだけで簡単にやり取りができてしまうのだから、そんなことを5万人のファンを抱えながらやるなんてUFOにさらわれて大規模な脳改造を受けた聖徳太子じゃない限り絶対に無理だ。
だから、返信は1回きりと決めている。それで満足してもらえるように、その1回の返信はちゃんと向こうが満足してくれるようなものを作っている。
でも、それだけじゃ収まらないときもある。「明日早いから」とか「行けたら行くよ」という言葉が遠回しな断りの言葉だと理解できない人がこの世にいる以上、1回きりではどうやっても会話を終わらせる気がないファンもいる。
そういうとき、果奈は配信中にそれとなくその会話のことを話題に出すことにしている。そして、それ以上は返信しない。
案外、これが上手くいく。
配信で自分としていた話題を出してくれるというのは、向こうからしてみれば果奈が思う以上に嬉しいらしい。大抵はそれで満足してくれるし、そのあとまたメッセージを送ってくるようなことがあっても、もう返信を期待するのではなく、配信内で触れてくれるんじゃないかと活動それ自体を楽しみにするようになる。
そうして、ごくごくわかりやすい、安定したアイドルとファンの関係が築かれる。
果奈は自分の超能力を正しく武器だと理解している。実際、DM返信を行った人たちのSNSのアカウントを見ている限り、大体8割はそのままずっとファンを続けてくれている。
でも、それが自分を傷つける可能性だって持つ武器なんだと、そのこともわかっている。
身に染みて、わかっている。
別にわざとやったわけではなかったのだ。
生身のアイドルとして最後に所属していたグループでの出来事である。そのグループは十数人を抱えるやや大型のグループで、内部にいくらかの派閥ができていた。果奈はその頃まだまだ新入りで、グループのファンとは少し毛色が違うファンを引き連れてきた妙なやつ、くらいに見られていた。
派閥争いに巻き込まれずに済んでいたと言えば聞こえはいいけれど、今にして思えば巻きこまれていた方がよかったのだと思う。そうすれば、少なくとも孤立することはなかっただろうから。
握手会のある日だった。冬で、グループ内で風邪が流行っていた。
よりにもよって各々の派閥のトップが体調不良で欠席。ファンも何となく「こことここは仲が悪いな」くらいのことを感じるようになっていたから、たとえ自分が熱心にファンをやっている(こういうのをいわゆる「推している」と言う)アイドルがいないとわかっても、それぞれの派閥を越境しないように別のアイドルとの接触でお茶を濁していた。
まだどこの派閥にいるわけでもないと見抜かれていたから、果奈のところにまでそのお茶は回ってきた。
そしてことごとく、そのファンたちをぶんどってしまった。
わざとやったわけではなかったのだ。いつもの調子で、こんなことを言えばこの人は嬉しいだろうなということを口にしただけ。ただ、後になってよくよく確かめてみれば、元々そこはあまりトークが上手くないグループで、果奈はその部分の補強を見越して引き抜かれたメンバーだったのだ。ステージでの力量はともかく、対面での対応は誰も果奈の相手になるレベルではなかったのである。
次の握手会で、休んでいたアイドルたちが復帰してきても、一度果奈と話したファンたちは今まで自分が推していたアイドルだけではなく、果奈の分も握手券を振り分けるようになった。その振り分けは段々と果奈の方に傾いていって、
靴の中に画鋲が入れられていた。
馬鹿みたいな話だと思う。馬鹿馬鹿しい話だと思う。イジメなんて言ったら今の時代、もっと執拗で陰険で過激なものがあるんじゃないかと思う。それが今時靴の中に画鋲って、あまりに独創性もなければ古典的というか、いっそコントで描かれるミニチュアみたいなイジメだったと思う。
その程度のことで、馬鹿みたいに傷ついた。
直接話して丸め込んでしまおう、と考えないことはなかった。言ってほしい言葉がわかるという超能力は、別にファンだけにしか通じないようなケチなものものじゃない。今までほとんど半分幽霊みたいにして過ごした学校生活だってこの能力を使ってやり過ごしてきたのだから、今回もそれで事を収めてやろうと思ったりもした。
でも言葉なんて、耳を塞がれてしまえば聞こえなくなる程度のものでしかないのだ。
初めから敵対するつもりの人間は、果奈に「敵対するための言葉」を求めている。果奈が実際にどんな人間かなんて、一切の関係がない。仲直りするつもりがないから、仲直りに繋がる言葉を求めていない。輝く言葉のすべては、お互いの関係を悪化させて、果奈をイジメる口実のためにある。
どうしようもなかった。
段々とグループ内でのイジメはエスカレートしていった。家に帰る途中で靴を買って帰ったこともあったし、予定連絡を途中で止められていたらしく、無断で活動をすっぽかす羽目になったこともあった。今でも当時使っていたアイドル活動用の偽名で検索すれば、地下アイドルを語る掲示板に正視に耐えないような悪口の書き込みが見つけられる。そこにはどうやって突き止めたのか果奈の自宅の住所まで書き込まれていて、
ある朝、母がポストを見ると、男性の裸の写真が何枚も、直接投函されていた。
母が切り出した実家のある地方への転勤の話が本当に降って湧いた話だったのかどうか、果奈にはわからない。ひょっとすると限界になった自分を見かねて、母が自分から職場に言い出してくれたのではないか、とも思う。
何にせよ、果奈は逃げた。
ポストの写真がファンからのものだったのか、アンチからのものだったのか、それともネット掲示板への書き込みと同じで自分の住所を知る同じグループのメンバーの仕業だったのか、いまだに確かめるすべはないけれど。
怖くなって逃げた。
全速力で、南の方へ。
じゃあそんなことがあってなんでまだネットアイドルなんかやってるんだって言うと。
それ以外の生き方を知らないから、仕方なく。
バーチャルアイドルだったら、リアルアイドルよりもう少し安全そうだから。
そんなこと、口が裂けてもファンには言えないけれど。
@
夜。
果奈がすっかり眠りに就いたころ、夜闇の奥から夏の熱に紛れて、音もなく、形もなく、手紙が一枚、パソコンに届く。
――はてなちゃん、元アイドルって本当ですか?
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