月は、ときどきひとりで 3/7
――イジメられています。僕は中学2年生で、新しいクラスになってから友達がまったくできずにいます。馬鹿ばかりの学校です。いつもはてなちゃんの配信楽しみにしてます。生きる希望です。親は何にもわかってくれません。大好きです。これからも応援してます。
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「ヨキはイジメられたことある?」
は、とスピーカーの向こうで怪訝そうな声がした。
夕つ方。昼間の余熱もそこそこに、部屋の畳の上には焦げつくような橙の陽が色移りしている。机の上にはスイカの皮と小さなフォークが乗った皿があって、パソコンにはグループ通話の画面が表示されている。
「何、急に」
グループの名前は「PA作業通話」。果奈は暇なときや、配信準備が億劫になってきたりしたときなんかにここに繋いでみる。すると同じように暇なメンバーがここに居座っていたりして、そのまま流れでだらだらトークが始まって、そのまま流れでだらだら一日が終わったりする。溜まり場みたいなものだ。
大抵、いるメンバーは決まっている。というかメンバーが5人いて、この場所を使うのは3人しかいない。
まず「はてな」。それからいまちょうど会話を繋いでいる「ヨキ」。もうひとりは「ひらら」。一番いつも繋いでいるのは「ひらら」だけれど、時間帯に偏りがあって午後6時から朝の7時まではまずいない。それ以外の時間で配信していない時間はほとんどずっといる。
「ヨキ」も結構な確率でいる。果奈は他のメンバーの私生活についてよく知らないし、会ったことも一度もないが、何となく「ヨキ」も無職なんじゃないかなと思っている。
「あるのかないのか、イエスノーでさあどっち」
「ないけど」
だと思った。
「ヨキ」の配信スタイルを見ていればわかる。ゲームをしても企画をしても、根の明るい感じが見えている。「パッチワーク・アソート」の中で一番ファン数が多いのは「はてな」だけれど、配信動画の再生数が一番多いのは「ヨキ」だ。
前に聞いた話ではファンの男女比率がだいぶ男側に傾いているらしい。「ヨキ」も男だから、つまり同性受けするタイプ。
「まあヨキだったらイジメる側だよね」
「おいおいおいおい」
向こうの作業の手が止まる気配。
「人聞きが悪すぎるだろ」
「いや、素直な感想だから」
「素直が美徳なのは5歳児までだからな」
そうなんだ、と果奈は頷く。「でかい5歳児」の異名を取る男が言うとそれなりの説得力がある。
「何。なんかあったの、お前」
むー、とイエスともノーとも取れない鳴き声で果奈が返すと、
「アンチコメントとかなら放っておけよ。俺なんか毎日100通くらい『死ね』ってメッセージ来てるぜ」
笑っちゃいけないのに笑ってしまった。
ふっ、と吹き出してしまって、果奈は口を塞ぐ。しかし「ヨキ」はもう完全にこの話題でウケを取ることに決めたらしく、
「読み上げてやろうか。『はてなちゃんに近寄らないでください』『出会い目的でVやるのやめてもらっていいですか?』『オタクくん、毎日女にちやほやされて楽しいか?』『声から下半身の臭いがする』『ズボン履いたことなさそう』『去勢済みかどうかだけは絶対に教えてほしい。重要なことだから』」
あはは、と声に出して笑ってしまった。
「ヨキ」はそこで読み上げをやめて、満足げな雰囲気を醸し出してくる。果奈は勝手に緩んでいく頬を無理やり手で押さえ込みながら、
「ふっ、フフ……っ。ごめ、笑っちゃ……」
「あとこの間『勝負だ』って言ってパンツ一丁で懸垂してる動画が送られてきた。2時間分」
咳まで出た。
さらに「そいつガリガリであばら浮いてるんだけどマジックで腹筋描いてるんだよ」とか「合間合間になぜか飲むヨーグルトを飲むんだけど、ずっとカメラ見てるから飲むっていうかすげえ音立てて吸ってるんだよな。マジで音すげえの。ズゾーッ!ズゾゾゾゾゾォーッ!みたいな」とか「あと生卵は殻ごと食う。7個」とか追撃してくるのに果奈が机に突っ伏してぷるぷる震えていると、そのつむじに向かって「ヨキ」が、
「すまん。ちょっと盛った」
「盛るな!」
バーチャルアイドル、ときにはVとだけ略されるこの存在は、普通のアイドルと比べてネットを通じたコミュニケーションがとても頻繁に行われる。
握手会のような対面のコミュニケーションがまずない。その上、配信中のコメントだって溢れれば溢れるほどほど一つ一つの占める割合は低くなるから、何か直接言葉を届けたいと思った場合、ダイレクトメッセージやら何やらでVに直接ファンレターを送るという手段が取られることが多い。
そしてその中には当然、アンチからの中傷も混ざっている。これを受け流せるかどうかは本人の資質により、果奈は「つまんな」の4文字だけで20分は引きずる。
だから、笑っちゃいけないのに。
「くっだらない。最悪」
「いやそんだけ笑ってて言えるのはすげえよ。面の皮」
「ヨキ」の配信動画には、3回に1回のペースでコメントに「(時間指定)ここで笑っちゃった。最悪」という書き込みがある。そう書き込む気持ちが果奈にはよくわかる。本当にくだらないことを言ってくるので、笑ってしまうたびになけなしの品性を削られるような気がするのだ。一番再生数の伸びがいい「なんも伝わらんと思うけど激辛らーめん早食いする!」という動画で、咳き込んだ拍子に鼻から麺を出したまま大絶叫して椅子から転げ落ちて機材をすべてなぎ倒してその一連の動作の間ずっと強烈なエコーがかかっているシーンを見たとき、果奈は呼吸ができなくなるくらい笑ったけれど、笑いが収まった後の空しさといったら中学の卒業式が終わったあと打ち上げにも行かずにさっさと一人で帰宅したあの日にも匹敵した。
あの激辛らーめんは箱で買ったと言っていたけれど、残りの分はどうしたのだろう。一人で絶叫しながら食べたんだろうか。まさかとは思うけれど「ヨキ」なら本当にやっていそうで笑えてしまう。
くだらなすぎて肩の力が抜けた。
「別にアンチじゃないよ。ただDMで……」
あ、と果奈は口を塞ぐ。
「DMで?」
「なんでもない」
危なかった。
うっかりガードが下がって、何気なくあのダイレクトメッセージのことを話してしまいそうになった。
いくら相手が同じグループのメンバーとはいえ、言っていいこと悪いことくらいはあるだろう。ましてイジメの話なんてデリケート中のデリケート。非公開のDM(ダイレクトメッセージ)でやっている以上、口外しないでほしいだろうなんて、察するまでもなくわかる。
「あ、あれか。まだやってんの? 個別のDM返信」
「え、逆にやってないの?」
「いやキリないし。俺、最初っからやってないよ。はてながそういうのやってるって聞いたとき正直ビビったもん。俺のとこのはたまに配信でネタにするための場所にするって言い切っちゃってるし」
そうなんだ、と果奈は画面の前で頷く。同じグループで活動しているといっても、共通方針があるわけでもないからてんで違うやり方でやっている部分もある。
「でもほら、ファンとの交流って大事じゃん」
「うお、ほんとのアイドルっぽい」
そりゃほんとのアイドルでしたから。
心では思っても、口には出さないで、
「でも俺のだって一応ファンとの交流だぜ。どうせあいつら死ぬほどくだらねえDMばっかり送ってくるし、俺一人で笑ってるよりみんなで笑った方が楽しいじゃん。……あー、あのさ」
なんだか急に「ヨキ」は言いづらそうにして
「何?」
「そういうので困ってるんだったら、今度俺の配信でやろうか? 『セクハラDM選手権』みたいなので、それとなく他のメンバーにセクハラ系のDMしないよう釘刺すような企画」
「―———」
一瞬。
こんなメンバーがいてくれたら、地下アイドルをやめずに済んだかもしれないと、果奈は思った。
「―—いや。さっきのメッセージ読み上げも十分セクハラだかんね」
「う」
「人の振り見て我が振り直せ~」
仰る通りです、反省しますとしおらしい声の「ヨキ」を果奈はきゃっきゃと笑う。
グループ通話はこういうところがいい。センチメンタルになりかけていても、それを誰かが引っ張りあげてくれる。
「そういえば、前も話したけど今度コラボ配信しない? 2人で出るの」
「えー。だからそれ俺が燃えるじゃん。男女コラボは炎上の元だって」
「でもせっかく同じグループなんだしさ」
「やるんだったら最初全員でやりたいわ。4対1なら俺の存在も中和できるだろ」
「5人でかあ。ヨキとひららはよく知ってるけど――」
他の2人はなあ、と言いかけて。
ぴんぽん、とインターホンが鳴った。
呼吸が止まる。
「おい、どした?」
突然声が止まったのを心配する「ヨキ」の声も、素早くミュートにする。
息を殺す。窓の向こうでひぐらしの鳴く声が夕闇いっぱいに広がる。海辺では犬が飼い主を引っ張って歩いて、公園では空気の抜けたボールが鈍く弾んで、古びた自転車が坂道を押されてからからと車輪に音を立てていて、机の上のフォークがからん、と皿から落ちる。
家の前に誰かがいる。
すうっ、と全身の体温が下がった。
「あら、ごめんなさい。宅配便ね、はいはい」
下の玄関から、母が応対する声が聞こえてくる。「どーもー」と快活な男の声がして、自転車が走り去っていく音がする。
もう一度作業通話に繋いだ。
「お。大丈夫か?」
「うん。ごめん、急に切っちゃって。お客さん来ちゃったから」
「そっか。んじゃコラボの話はまた今度、」
「ううん、大丈夫。もうお客さん帰ったから。―—あのさ、ヨキ」
「ん?」
「今日、もうちょっと通話しててもらえない?」
いいけど、と戸惑った声で「ヨキ」は答える。
ありがとう、と微笑む果奈の指は、小さく震えていた。
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