少年と亡霊妃と霞の君
簡素ではあるものの、気品を感じさせる調度品や、それに相応しい軽食や飲み物が並ぶテーブル。そして、その周囲に集まり、何やら上機嫌に歓談する人々。
しかしというかその中で、ある程度は予想していたが、マルコはそれなりに居心地の悪さを感じていた。
(レイナ……)
(知らん顔してなさいな)
明らかに、周囲から二人は浮いていた。
それもそうだ。
周囲にはマルコと同年代の子供は一人も居らず、居るのは両親と同じか、それより少し下か、それよりも上の年代の者ばかりだ。
それに加えて、この場に居る者は全員が貴族か、それに連なる大商人、若しくは騎士階級の者達ばかり。
全員が見ただけで分かる程に、質の良い生地と腕の良い仕立ての、礼服やドレスを身に纏い、そして其々に顔を仮面で隠している。
(あの人って……)
(キョロキョロしない)
中には、マルコ達平民でさえ、その顔を知っている貴族の姿もあった。
(皆、どこから入って来たんだろう)
(お忍びのルートがあるみたいね)
二人が隅で話す会場は地下にあった。町の通りの中にある小屋の中にある階段を降りた先、そしてその小屋がある通りは、旧薬屋通りだった。
ならず者達の巣窟が、まさか貴族達のオークション会場に通じているとは、マルコは大変に驚いた。
そして、それと同時に、レイナは何かに気付いた様に、顔を歪めていた。
どうしたのかと聞いても、レイナは頑として教えてはくれなかった。
一体、どうしたのか気になるが、あの顔をした時のレイナを、下手に追及するのは得策ではない。
過去の経験から、マルコはそう判断して、深くは聞く事はしなかった。
しかし、気になるものは気になる。だが今は、それ以上に気になる事がある。
(どうして皆、仮面を着けているんだろう?)
(知られたくないからよ)
(知られたくないって、何を?)
(自分が何者かで、何を買うのか、よ)
一瞬、レイナが何を言っているのか、マルコは理解出来なかった。だが、マルコはこの会場が、ならず者達の巣窟の地下にあり、参加者全員が、仮面で顔を隠している意味を、直ぐに理解する事になる。
「……お集まりの紳士淑女の皆様。大変長らく御待たせ致しました」
ステージ上の幕が上がり、一人の男が恭しく頭を下げ、柔和な笑みを浮かべていた。
年の頃は、大体三十代後半から四十代。純白のスーツに、やけに派手な赤のシャツと、それとは違う色合いの赤いネクタイが、いやに目につく。
「皆様、本日はお日柄もよく、当オークション会場にお越しいただきました事、誠に嬉しく思います」
男は顔の上半分を、仮面で隠し、露出した顎には少し大きい黒子が見えた。
鳥の羽の様な細工が彫られた仮面は、派手な色合いで塗装され、これも基本は赤で統一されている。
「本日も、皆様に満足いただける、一品揃いとなっております。では、司会進行は私、ハワード・レリックスが務めさせていただきます。まずは一品目……!」
(ハワード・レリックス……、やっぱり偽名だったわね)
(レイナ、知ってる人なの?)
(確か、本名はリチャード・マッカウ。聖天教にかなりの額を寄付をしている商人よ。家にも以前に来ていたわ)
(うわぁ、やっぱり聖天教なんだ……)
聖堂での一件以来、マルコは聖天教が嫌いになっていた。まあ、元よりあまり好んではいなかったのだが、それに更に拍車をかけていた。
「こちら、かの勇者の時代に生まれ、後世に語り継がれる名画の数々を産み出した画家〝フュール・デリタス〟の晩年の
フュール・デリタス、平民のマルコでも知っている画家だ。儚く朧気な画風が特徴で、絵画一点当たりで、平民の平均年収の二倍近い値段となる。
そして、晩年の作品となれば、その値段は跳ね上がる。
「まずは金貨五千から」
「六千」
「九千」
「一万二千」
徐々に吊り上がる金額に、マルコは頭痛を覚えながら、競売にかけられている絵画と、首のペンダントを交互に見やる。
(なんか、あの絵。ヒメに似てないかな?)
(んー? 妾、もうちょっとはっきりくっきりしとるぞ)
(あの画風だし、見間違いじゃない)
(う~ん、そうかな?)
(しかし、デリタスの奴ならもしかするか?)
え、と驚くマルコ達を他所に、テレスティアは嘗ての過去を思い出す。嘗ての人界、不愉快な記憶も多いが、愉快な記憶も少なくない。
その中に、変わった絵描きが居た。
(目が殆ど見えぬ癖に、周りにそれを悟らせず、それを卑下する事すらせなんだ)
(変わった人だったの?)
(うむ、妾を見て、怯えるでもなく、ただ描かせろと、はっきりと言ってきた人間は、あやつだけじゃった)
テレスティアの表情は、ペンダントの外からでは窺い知れない。だが、声にはどこか寂しげな色があった。
だからだろうか、マルコはもう一度絵画を見て、テレスティアに話しかけた。
(ヒメ、あの絵。競り落とす?)
(何故じゃ? 主様が欲しいなら、妾幾らでも競り落とすぞ?)
(いやだって、ヒメ少し寂しそうだったから)
(うむ?)
確かに、懐かしさを感じていた。そして、寂しいかと問われると、それもまた事実。イザベラに続き、中々に愉快な変人。あの絵を眺め、嘗ての短い日々に浸るのも、悪くないかもしれない。
(では、主様の慈悲に感謝しよう。イザベラの娘、ちと口を貸すがよい)
(は? 口を?)
言って、ペンダントから伸びてきたテレスティアの手が、レイナに首飾りを手渡す。
これを着けろというのだろう。レイナは溜め息を吐いて、首飾りを身につけた。
(では、ゆくぞ。イザベラの娘、貴様は手を上げておればよい)
言われて、レイナが手を上げると、声はレイナのまま、テレスティアの言葉が、彼女の口から出る。
「三万」
「三万、三万出ました! 以上が無ければ、《霞の君》落札となります!」
「さ、三万五千!」
(ふん、木っ端が)
「十万」
飛び出したあまりの高額に、周囲がどよめく。レイナも万が一怪しまれない様に、毅然としているが、内心では滝の様な汗を流している。
金貨十万、一端の貴族なら支払う事は可能な金額だ。しかし間違っても、こんな風に飴玉でも買う様に出す金額ではない。
「じ、十万、十万以上の方、いらっしゃいませんか?」
金貨十万を当然と出せる者が、そうそう居る訳が無い。
誰もが押し黙り、《霞の君》は落札となった。
(ヒャヒャヒャ、どうじゃ主様? 彼奴らの呆けた顔は)
(いや、これ、次大丈夫なの?)
(それより、現金は大丈夫なの? これ現金一括よ)
(心配するでない。……上から叩き付ければよい)
(何を? 何を叩き付ける気なの?)
小声で話す二人に、周囲は不審な目を向けるが、仮面の下を探られない為の仮面なのだ。誰もそれ以上の動きは無く、オークションは平和に進んでいく。
「次はこちら、現在の錬金術の基礎を築いたとされる偉人、〝トリメア・メギヘリストス〟の
再び周囲がどよめく。レイナとマルコも例外ではない。しかし、ペンダントの中のテレスティアは違った。
(主様、あれは辞めておけ。あれは贋作じゃ)
(え?)
(あの狂人が、まともな著書なぞ書ける筈がなかろう。見れば気が狂うか、触れれば死ぬのが関の山じゃ。大方、耳長が気紛れに書いた写本かなんかじゃろうな)
(一応、人王秘録に載っている人物なのだけど……)
(狂人じゃが、錬金術の祖であった事は確かじゃ。うん、狂人じゃがの)
値段が吊り上がっていくのを他所に、二人はペンダントから聞こえる過去の偉人の逸話に耳を傾け、贋作の書が落札されるのを見送った。
そして、続くオークションでは、真贋入り雑じる出品が立て続けになるが、テレスティアが目利きで、真品かつ本当に価値のあるものだけを、見抜き強引に落札していった。
周囲の目線と、後の支払い総額が怖いが、マルコとレイナは、今一度集中し直す。
理由は簡単だ。まだ目的である《魔王の遺産》が出てきていないからだ。
(《魔王の遺産》、どんなのなんだろね)
(私としては、ただの日用品で終わってほしいわ)
(妾としても、面倒は嫌じゃの)
其々に思いを抱き、他の参加者達もどことなく浮わついた雰囲気が出ている。
気を引き締めたマルコが、ステージに視線を向けると、ステージ端から黒い布が被せられた箱が台車に乗せられてきた。
今までも似たような感じだったが、その端からはあまりよくない気配が漂っていた。
箱の中身そのものというよりも、何か別の、それそのものが、この場にあるべきものではない。
マルコはそう感じた。
「さあ、皆様。前座はここまでで御座います。只今より、本日のメイン! 《魔王の遺産》の競売を開始致します!」
沸き立つ参加者達とは違い、マルコの背には冷たい汗が伝っていた。
これから起こる事、見る事、聞く事は、きっと良くない事だ。だが、逃げる事も出来ない事だ。
「奇跡的に人界に流れてきた逸品、かの魔王〝クロロシフル・ルシルレア〟が愛用したされる短剣です。しかも、今回はそれだけではありません……!」
嫌な、これから見るもの全て、今日の事全てを、否定したい。無かった事にしたい。冷たく澱んだ感覚が、溝尾から全身に広がっていく。
レイナの視線も、テレスティアの声も気にならない。
「稀代の好事家である皆様に、必ずや御満足頂ける。その様なおまけが御座います」
ハワードの口が厭らしく歪む。その手が、黒い布に掛かり、布がずれる。ちらと見えたのは、冷たい鉄の底板の角と、丸く細い柱。
「それがこちらです……!」
愉しげなハワードの声と布がはためく音、沸き立つ参加者の歓声。
レイナが息を飲み、マルコが目を見開く。
布の下に隠されていたのは、鉄の牢。そして、その中に居たのは、その小さな体躯には、似つかわしくない角を生やした、短剣を抱える少女だった。
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