少年と亡霊妃とオークション
中々に良き賑わいじゃ。
マルコに贈ったペンダントの中に潜み、テレスティアは聞こえてくる市場の賑わいに、正直にそう思った。
「まずは置き薬と保存食から見よう」
「あら、それなら薬屋通りはあっちでしょ?」
レイナが過去の記憶から、薬屋が立ち並ぶ通りの方向を指差す。昔から薬の臭いや薄暗さから、あまり人通りは無かった。
それは今も変わらない様で、市場から少し離れた通りには、殆ど人通りは見られない。
レイナがマルコの手を引いて、その通りに向かおうとすると、逆にマルコがレイナの手を引いて、頭を振った。
「レイナ、そっちはダメだ」
「でも、薬屋通りはこっちよ」
「変わったんだ」
マルコの弁に、レイナが眉を顰める。しかし、彼は冗談は言っても、嘘は言わない。
レイナは大人しく、彼に手を引かれるまま、市場へと歩いていく。その光景を、市場の人々は微笑ましく見守る。それを少しだけ、恥ずかしくも思いながら、レイナはマルコに続いて行った。
その背後、マルコが違うと言った通りで、一つ舌打ちが落ちた。薄暗い通りの、更に日の当たらない影に、舌打ちの主は居た。
その者は、明るい市場へと消えていく二人の後ろ姿に、また一度舌打ちをすると、通りの家屋の一つに入っていった。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「それで、何が変わったの?」
表通りに、新しく移転したという薬屋通りの中にある喫茶店。そのテラス席で、季節の甘味を味わいながら、レイナはマルコに聞いた。
「あー、うん。僕が学園に入る少し前辺りから、あそこの辺ならず者の溜まり場になっちゃっててさ」
買い抜かりがないか確認しながら、マルコが答える。
「はあ? 元から居た人達はどうしたの?」
「その前から、薬屋通りは今のこの通りに、移転し始めてたんだ。で、人の居なくなった空き家に、連中が住み着きだして」
「貴方の言う状態になった、と」
確かに、今居る新しい薬屋通りと、元の薬屋通りを比べると、天と地ほどの差がある。
嘗ての裏通りにあった頃と、今の表通りでは、今の方が遥かに清潔感があり、販売している薬品にも安心感があるが、以前の薬屋通りは、そうではなかった。
「あの怪しい生薬とか、よく分からない茸売ってる露店も無いのね」
「レイナ、ああいうの好きだったよね」
「貴方こそ、あの変な
『なんじゃ主様、そんな事しとったのか』
水晶のペンダントから、テレスティアの声が響く。
「うん、あの頃は色々やったよ」
「何だったかしら。セイタコガネソウとクロガラヨロイムシを煮詰めて使ってたわね」
「うん、大人から逃げるのに使ってた。あれ、触るとその部分が、突っ張ったみたいに痛くなって、その後すごく痒くなるんだ」
『うぅむ、主様。クロガラヨロイムシは、生のままで使ってはならぬぞ』
「え、なんで?」
マルコがテレスティアに問うと、ペンダントが僅かに揺れて、中から小さなテレスティアが出てきた。
ティーカップより、少し高い頭身で、どこからか取り出した紙とペンを使い、驚く二人に説明を始める。
『妾がまだ生きておった頃、クロガラヨロイムシは暗殺に度々使われておったのじゃ。ほれ、胡椒粒によく似とるじゃろ。料理や風邪薬に混ぜられておったわ』
「あ、暗殺?」
「また、とんでもない話ね。でも、クロガラヨロイムシにはそこまでの毒性は無かった筈」
『毒ではない。あの虫は殻が硬く、動きも感覚も鈍い。故にかどうかは知らぬが、質の悪い寄生虫が着くのじゃ』
レイナがマルコを見た。マルコが素早く首と手を横に振る。
「マルコ、貴方まさか……」
「待とう、レイナ。もしそうなら、僕生きてないと思うよ」
『そうじゃな。主様では、二日と保たぬ。この寄生虫は、肉ではなく魄、つまり魔力を食らうのじゃ』
テレスティアが紙に描いたのは、先端が釣り針の返しの様になった、マルコの人差し指程の糸屑の絵だった。
『言っておくが、妾の絵が下手なのではないぞ。この虫は、本当にこういう姿なのじゃ』
「でも、僕見た事ないよ?」
「確かに、よくヨロイムシを使っていたマルコが、見た事がないのは変じゃないかしら」
『この虫、目には見えん程に小さいのじゃよ。そして弱い故に、口からしか、体内に入る方法を持たん』
「寄生されると、どうなるの?」
マルコの問いに、テレスティアは気をよくしたのか。先程とは違う、簡単な人と鎖、そして円を描いた。
『まず人間じゃが、器である肉体と、魔力の元となる魄。そして、個人の意思や個性である魂に分かれる。細かく言うと違うが、まあ今はよかろう』
人に肉体、鎖に魄、円に魂と、それぞれ書き込み、鎖の近くに糸屑を書き足す。
『魔力を糧とする癖に、魔力を殆ど持たぬクロガラヨロイムシに寄生する理由は分からぬ。しかし、寄生された時の脅威は事実じゃ』
また次の絵を描く。鎖に糸屑が触れ、糸屑が触れた鎖が消えていく絵だ。
『この虫は、魔力を糧とし、寄生された者は日に日に魔力が減衰していく。そして、魔力が尽きた時には、その源泉となる魄に牙を突き立てる。こうなったら、助かる術は無い』
そして鎖を消し、人と円が切り離される。
『肉体と魂は、魄によって繋ぎ留められておる。魄を食い荒らされた者は、総じて狂人となり死ぬ。まあ、今は治療薬があるからの。臆するものではない』
「治療薬? 聞いた事ないよ」
それを聞いたテレスティアは、眉間を指で押さえ、ややあってから溜め息を吐いた。
『あの耳長め……。大方、人間に教える義理は無い等と、また偏屈垂れておったな』
あやつめ、どうしてくれよう。
テレスティアが、豪奢な扇を手で打ち鳴らしているのを見ながら、マルコはテーブルに備え付けられているメニュー表を手に取る。
話が思わく長くなり、時刻は既に昼時だ。
もう、この喫茶店で食べた方がいいだろうと、ページの少ない表を捲る。
サンドイッチやスパゲッティ、少し季節外れかもだがグラタンやシチューもある。たまの外食、少し贅沢をしてカツレツも有りかもしれない。
「マルコその鳥、何?」
「鳥?」
確かに、今マルコはカツレツの隣にあるチキンステーキの値段を見て、さっと目を逸らしていた。
まさかそれかと思ったが、レイナの視線はマルコの頭上に向けられている。
一体どうしたのか。マルコが疑問すると、頭上から見た事のない鳥が、テーブルに降りてきた。
「見た事ない鳥だ」
「いや、よく見るとこれ……」
『耳長の使い魔じゃな』
鳩と変わらぬ大きさの、鴉の様に黒い羽の鳥。サナルカの使い魔だというその鳥を、テレスティアは威嚇とばかりに睨み付ける。
鳥は何を考えているのか、テレスティアの威嚇を無視し、羽根繕いの様な仕草をすると、一通の便箋に姿を変えてしまった。
『主様、触れるでないぞ。妾が開ける』
封蝋を剥がし、中身の手紙を読む。
そこには簡潔に、こう記されていた。
〝亡霊妃、今から二人を連れて、私の部屋に急ぎで来い。何処ぞの莫迦が《魔王の遺品》を、オークションに出品しやがった〟
内容が内容なので、マルコとレイナは一度顔を見合わせる。《魔王の遺品》という存在は耳にした事がある。
しかし、それが実在するかは、正直あまり信じてはいなかった。
『成る程、成る程のう』
空気が重かった。ティーカップ程の頭身だったテレスティアが、気づけば元の頭身となり、手紙を指先で摘まみ上げ、睨む様に見ていた。
『主様、非常に癪じゃが、行こうぞ』
喫茶店のテラスに、扉があった。何故かとは疑問は無かった。
『店主、支払いはここに置いておくぞ』
朝にマルコに渡したものと同じ革袋を、テーブルに置くと、扉がゆっくりと開いた。
見覚えのある学園の廊下だった。
テレスティアが恭しい仕草で、マルコ達を促す。
何が起きているのか。いまだに理解出来ていない二人だったが、最早先に進むしかないと、サナルカの部屋へと続く道へ、足を踏み入れた。
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