耳長賢者は語る

 資料、研究日誌、魔術書、魔導書、漂う気配から恐らくは、焚書級の禁書や呪物もあるのだろう。

 そんな常人であれば、一時間と保たずに気が触れてしまいそうな部屋で、サナルカがモノクルの曇りを拭き取りながら、不機嫌さ隠す事無く喋り始める。


「まず、原因はお前だ。亡霊妃」

『貴様の無能じゃろ、耳長賢者』


 サナルカの額に青筋が浮き、テレスティアの周囲の人魂が、その妖しさを増す。

 一触即発といった雰囲気の中、レイナが発言権を求めて挙手をした。同じソファーに座るマルコは、テレスティアを宥めながら、隣に座るレイナに、信じられないものを見る目を向ける。


「発言よろしいですか?」

「……許可する」

「此度の騒動、原因は如何であれ、不埒者を招き入れたのは、我がハーフストン家の手引き。責任を追及されるのであれば、我が家に」

「それならもう済んだ。貴様も不憫だな。当主である筈の母親が、あれ程に無能だと」


 サナルカの言い様に、レイナも流石に眉を顰める。

 しかし、それもまた事実であるが故に、レイナは言い返せない。


「話を続けるぞ。今回の騒ぎに関しては、関与した連中には私直筆の抗議文を送り付けた。これ以上、私を不愉快にさせるなら、この消してやるとな」

『おうおう、中々言うの』

「私の研究の邪魔をする人間が、何匹死のうが知った事か。……今回の事で、結構落胆もしているんだ」

『落胆? 貴様がか?』


 サナルカはまた溜め息を吐き、レイナを指差す。

 それにテレスティアは首を傾げ、レイナの顔を覗き込み観察する。

 テレスティアからすれば、旧知の人間嫌いが、人間対して落胆を感じたと言ったのだから、当然興味が湧く。

 しかし、当のレイナからすれば、人界の絶対者と対等に話す存在に、興味深げに観察されては落ち着かない。

 押し退けようにも、下手に機嫌を損ねれば、何が起きるか分かったものではない。いや、それ以前に、幽霊ゴーストである彼女に、レイナは触れられない。

 珍しい品でも鑑定する様に、テレスティアはレイナの周囲を漂い、暫くしてまた首を傾げた。


『おうこら、耳長。この赤髪がどうしたというのじゃ? 少しはましな木っ端ではないか』

「赤髪のハーフストンだ。まさか、もう呆けたか」

『あぁ?』


 また一度、レイナを見る。二度三度と、レイナの髪と紅い瞳を見て、合点がいったと手を叩く。


『お主、イザベラの血筋か……!』


 目を見開き、喜色満面の表情で、レイナの眼前に迫る。

 触れる事は無いが、爛々と輝く銀灰色の瞳から、視線を逸らせない。

 しかし、喜色満面の笑みの奥、少しばかりの悲しさがあるのは、レイナの気のせいだろうか。


『イザベラの奴め、しっかりと血を残しておったか。言われてみれば、確かにあやつの赤髪と紅目じゃ』

「初代当主をご存知なので?」

『うむ、知っとるぞ。耳長はそうでもないが、イザベラは面白い娘であった』

「わざとか、亡霊妃」

『事実じゃろ、耳長賢者』

「ヒメ、ダメだってば」


 サナルカと再び、睨み合いになるテレスティアを止めようと、マルコは彼女のドレスの裾を指先で掴んだ。

 薄絹よりも遥かに薄く透明で、しかし朧気に宙に映り揺れるそれを掴んだ時、サナルカが顔を片手で覆い、レイナは起きた事実を疑った。


『主様がそう言うなら止めるぞ。ふん、主様に感謝するがよいぞ、耳長』

「んな事はどうでもいい。おい、ハーフストン。……見たか?」

「見ていないと、言っても?」

「安心しろ。私も今知った。……マルコ・ポートランド」

「え? は、はい!」

「お前、亡霊妃に触れられるのか」


 あ、と間の抜けた声だった。


「あ! いや、これですね?」

「落ち着け。とって食やせん。確認だ。マルコ・ポートランド、お前は他の幽霊ゴーストにも触れられるか?」


 サナルカの問いに、マルコは慌ただしく首を横に振る。


「えっと、他の幽霊はヒメと会ってから、姿一つ見ていないです」

「まあ、当然か。こいつが居て、今の時代の幽霊が近寄れる訳が無い」

「マルコ、何時からなの?」

「幽霊に触ったのは、ヒメが初めてだよ。というより、幽霊に触れるって、普通は考えないよ」


 それはそうだ。幽霊は見聞き出来ても、触れる事は出来ない。姿形の無い空気を掴む様なもので、子供でも知っている常識だ。


『しかし、貴様ら聞いてばかりじゃな。少しは主様からの問いを受けるとか、当たり前の事は出来んのか?』

「なら、問え。少しなら答えてやる」


 問えと言われても、マルコはいまだに何がなんだか、いまいち理解出来ていないのだ。というより、理解する前に事態が進んで、追い付けていない。

 まず何から問うべきか。マルコが悩んでいると、テレスティアがサナルカに問うた。


『おう、そうじゃ。耳長よ、精霊王とか言う木っ端について教えるがよい』

「精霊王? ああ、あれか」


 言うと、サナルカは一冊の書物を、三人の前にあるテーブルに放り投げた。


「聖天教の教典?」

「それに、お前を霧散させた〝精霊王の鉄槌〟とかいう術式が書かれている。……粗末な出来だ。イザベラが初めて作った熱伝導術式の方が、まだ精密だった」


 言われるが、マルコとレイナにはとてもそうは見えない。

 発動しさえすれば、問答無用で一切を叩き潰せるだけの魔力を増幅させる出力式と、出力した魔力を圧縮循環させる構築式。そして、それら一切に関する負荷軽減と、対象に対する照準等の補佐術式。

 専門外のマルコでも理解出来る。全ての術式が複雑に絡み合い、かつ緻密に構築され形造られたこの一冊は、間違っても個人が所有するアーティファクトではない。

 しかし、そのアーティファクトも、二人に掛かれば、


「数百年前の人間の子供が、初めて組み上げた術式に劣るとは……。くくく、いい笑い話だ」

『主様、この様な低俗な術式、知る必要なぞ無い。まったく低俗にも程がある。この程度を、高等な術式などと、主様に悪影響が出たらどうしてくれる。これ、イザベラの娘も感心するでない』


 ハンカチを取り出したテレスティアが、ハンカチ越しに教典を摘まみ上げ、如何にもな物の様に、サナルカに向けて放り投げる。


「ふん、お前にしてみれば、天界由来の物は全て低俗だろうに」

『旧態依然の言葉のままじゃ。まあ、あやつらは術式云々より、出力でどうにか出来るからの』


 放り投げた教典が、サナルカに当たる手前、水面に落ちる様に空間に波を立てて消える。

 世界でも一部の者にしか使えない空間魔法。それを当たり前に使い、テレスティアもそれに疑問を覚えていない。


「お前ら、一応言っておくが、空間魔法に関しては、そこの亡霊妃の右に出る者は居ない。癪だが、この私もだ」

『ヒャヒャヒャ、というより、妾のパクりじゃろ』

「えっと、話が大きすぎて付いていけてないんですが、僕はもう狙われないんですか?」

「いや、狙われる」


 サナルカの答えに、マルコは肩を落とす。今回は、テレスティアが圧倒したが、次はどうなるか分からない。

 もしかすると、テレスティアですら、どうする事も出来ない存在が現れるかもしれない。

 そうならない為に、どうすればよいか。

 学園を辞めて、町外れのあの館で、テレスティアと過ごすか。または、追っ手から逃れて旅に出るか。


「そう心配するな。学園での立場は私が保証してやる」

『おや、どういう風の吹き回しじゃ?』

「お前にいちいち暴れられたら、私の研究時間が減る」


 言って、サナルカは鍵束をマルコに投げて渡す。金属の連なりを鳴らして、手に落ちてきた鍵束は、不思議とマルコの手に馴染んだ。


「あと、ハーフストン」

「はい」

「お前にはこっちだ」

「あの、何の鍵なのでしょうか?」

「町に私が所有する不動産がある。簡素なアパートだが、管理者が居ない。ポートランドの自宅は、既に連中に押さえられているだろう。だから、お前らに管理を任せる」


 突然の発言に、マルコとレイナが何かを言う暇も与えず、サナルカは一枚の羊皮紙を取り出し、二人の前に飛ばす。


「アパートの権利書だ。二人でもいいし、どちらかでも構わん。後日、私に提出しろ」

『随分と羽振りがよいではないか。……何が目的じゃ』


 テレスティアの瞳と、周囲の人魂がその妖しさを増す。

 部屋の雰囲気も、若干重く冷たく感じる。マルコがどうにか宥めようとするが、テレスティアはそれを手で制し、サナルカから視線を外さない。


「目的は無いが、興味はある。幽霊に触れられるガキと、あのイザベラの娘だ。出来る限り、安全に手元に置いておきたい」

『主様に手出しするなら、ただではおかぬ』

「安心しろ。私は勇者のバカではない。……ただの気紛れだ。ああ、そうだとも」


 レイナに一瞬、視線を向けて、少しだけサナルカは寂しげに呟く。テレスティアは、それ以上は何も言わず、人魂の妖しさも失せた。


「……あの連中に関しては、私が当たる。お前らはさっさと、引っ越しの準備でも進めてろ」


 そう言って、サナルカは部屋の扉を指差す。扉は開いていて、見えるのは廊下だが、やけに奥に続いている。

 恐らく、二人の家に続いているのだろう。


『主様、行こうぞ』


 テレスティアが差し出す冷たい手を取り、マルコはレイナより先に扉へ向かう。それが何故か、とても寂しく思え、レイナはマルコの背に手を伸ばした。


「えっと?」

「マルコ、……また明日」


 少しだけ、驚いた様にマルコが目を見開く。今よりも子供の頃、夕方に家路に着く時に交わしていた言葉。

 今、この言葉を口にする資格は、レイナには無いだろうに、情けなく縋る様に口にしてしまった。

 応えて、くれるだろうか。俯き、マルコの顔を見れないレイナが、彼の言葉を待っていると、


「……うん、また明日」


 その言葉に、レイナは顔をあげる。どうにも困った様な顔で、こちらに手を振るマルコと、長い舌を出して、こちらを威嚇するテレスティアが、扉を閉める寸前だった。


「また明日。うん、また明日」

「あー、ハーフストン」

「は、はい!」


 急ぎ振り向くと、呆れ顔のサナルカが、葉巻を手にしている。


「……本当に大事な縁なら、手を離すな」

「それは?」

「気紛れだ。ああ、ただの気紛れだとも」


 それだけ言うと、さっさと出ていけと言わんばかりに、葉巻に火を点けた。

 もうこちらが何を言おうと、彼女が応答する事は無いだろう。

 レイナは閉じた扉を開き、自宅へ続いているのだろう廊下へ、足を踏み入れた。

 その足取りが、普段に比べて軽い気がするのは、気のせいだろうか。

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