少年は呆然とし、亡霊妃は怒り心頭する
虚しい音だった。辺り一帯を焼き切る様な、眩しいとは生温い光の柱が、聖堂に降り注いだ後に残されたのは、水晶のペンダントだった。
「エレドア・ユードリック司祭、母から何度かお名前は伺っておりますわ。なんでも、聖天教会の若きエリートだと」
「これはこれは、かのハーフストン家のご令嬢にまで知られていたとは、とても光栄です」
端正な顔に笑みを浮かべて、司祭の男がそう言った。
呆然と床に落ちたペンダントを見るマルコを、レイナが庇う様に彼の前に立つが、既に周囲は囲まれ、逃げ出そうにも扉は全て閉ざされている。
──せめて、マルコだけでも──
あの日、くだらない周囲に合わせて、彼を見捨ててしまった。嗚呼、本当にくだらない。
何が貴族、何が平民。結局は脆弱な人間でしかない。
こんなくだらない枠組みで、彼を見捨て壁を作り、そして今のこれだ。
「それで、本日はどの様なご用件でしょう?」
「おや? ご存じありませんか? そこの平民と先程消えた
「母から聞いていますわ。しかし、ここは学園の敷地内。この様な狼藉が許される場ではありません」
「ふむ、学園の敷地内ですか……」
そう言って、エレドアがわざとらしく首を傾げた。
周囲を囲む僧兵からも、失笑といった笑いが聞こえる。
一体何がおかしいのかと、レイナがエレドアと僧兵達を睨む。
「恐れながら、レイナ・ハーフストン様。ここは学園ではなく、我ら聖天教が所有する聖堂で御座います」
「詭弁を……! その聖堂が建っている土地は学園だ!」
「異なことを申されるな。この区画はかの大英雄殿より賜ったもの。つまり、この聖堂は学園ではなく、我々聖天教会の敷地なのですよ」
詭弁だと吐き捨てたかったが、かの賢者は研究とそれに関する事か、助けになる事にしか興味が無い事を、レイナは知っている。
いくら筋金入りの天界嫌いでも、研究の資金源になるのなら、あの賢者は己の膝元に、聖堂を建てる事くらいなら目を瞑るだろう。
そして、布教に熱心な聖天教会が、その辺りで手を抜く事は有り得そうにない。つまり、現時点でエレドアの言を覆す方法は、レイナには無い。
「お気は済みましたか? では、私共はそこの哀れな平民を救わねばなりませんので」
諭す様なエレドアの言葉の後に、周囲の僧兵の数人が、マルコに近付く。
手には罪人を捕らえる為の刺又が持たれ、呆然と何かを呟いているマルコに、その矛先を向けている。
「……よ」
「ん?」
「……ダメだよ、ヒメ」
「何を言っている?」
「幽霊と契約する様な平民が、〝精霊王の鉄槌〟の御光を見たんだ。気でも触れたんだろう」
そう言いながら、僧兵の一人がマルコを取り押さえようと、刺又を突き出し、短剣を抜いたレイナがその柄を断ち斬った。
「彼に触れるな!」
「困りますね。ハーフストン様。我々は貴女様の御母上から仰せつかっているのですよ」
「母が何を言ったかは存じませんが、私に怪我は無く、あの場にも怪我人は居ません」
「はあ、聞き分けの無い。……いいですか? 怪我人がどうこうではなく、平民が貴族に逆らった。この構図が成り立った事自体が罪なのです」
「くだらない。くだらないプライドですわね。少し反抗された程度でこれとは、器が知れます」
「貴女がどう思おうが、これがかの人王が作りし世界です。では、お気が済みましたら、そこをお退きください」
ジリジリと迫る僧兵に、魔力で赤熱させた短剣を向け威嚇する。
大丈夫。己は貴族で、しかも女だ。
出生率の異様に低い貴族の女なら、痛め付けられはするだろうが、殺される事は無い筈だ。子を残す胎は、一つでも多い方がいい。
その隙に、彼を逃がす事なら出来る。
どうしようもない、自己満足の贖罪。それでも、少しくらいは、彼は許してくれるだろうか。
決意を固め、レイナが聖堂から駆け出そうと、マルコの手を引いた時、一つの変化があった。
「マルコ、そのペンダント……」
少し離れた場所に転がっていた筈のペンダントが、何故か彼の手の中にあった。
一体何故と、レイナの疑問に答えが出るよりも早く、彼の口から答えが出た。
「怒っちゃダメだよ、ヒメ……!」
変化は一瞬の事だった。聖堂に高々と響く破裂音と共に、突き付けられていた刺又が、切っ先から次々と崩れ去っていく。
割れ砕けているのとは違う。文字通り、粉々に崩れ、形を失っていく。
音の正体は、幽霊がよく起こすラップ音だ。しかし、その音が起こす現象は、レイナの知るものではない。
──破壊? いや、これは──
死んでいる。刺又を構成する鉄と木が、粉砕され破片となるのではなく、何の意味も成さない塵芥となり、音の波に浚われ散っていく。
「一体、何が……?」
「…………」
刺又だけではない。聖堂にある調度品、長椅子、音に触れた物が次々と死んでいく。そして、現象は音だけでなく、調度品を浮かし宙を自在に舞わし始める。
奇怪な現象に、僧兵達も狼狽えるが、微動だにしないエレドアの様子に、次第に落ち着きを取り戻していく。
「如何に奇怪な現象でも、所詮は最弱の幽霊の所業。天王様を拝する我々には届かない」
エレドアの言う通りに、ラップ音を浴びて死んでいくのは調度品や刺又等で、その持ち主である僧兵やエレドアには傷一つ無い。
その様子に再び、二人に対する包囲が狭まり始める。
舌打ち、レイナが短剣を構え直す。
『……赦さぬ』
ラップ音とポルターガイストが、止まると同時に聞こえたそれは声だった。まさに地の底からにじり寄る様な、生きとし生ける者全てから、命という熱を奪い去る。そんな声だった。
「ヒメ」
『……ああ、主様。少し驚いてしまって、体を戻すのに手間取ってしもうた』
「うぅん、いいよ」
『おお、寛容な主様に恵まれて、妾は果報者じゃ』
霞が集まる様に、再び姿を現したテレスティア。マルコの言葉に優しい笑みを浮かべると、一巻の絨毯をマルコの前に敷いた。
敷かれた絨毯は、風も無くふわりと僅かに浮かび上がり、マルコの側に漂う。
『主様、ちとその絨毯に座して待たれよ。……赤髪、貴様も特別に許してやる』
「ねえ、ヒメ。これってまた凄いやつ?」
『ん? 〝冥山道士の飛絨毯〟と言うが、自在に飛べる以外は、竜の息吹でも燃えんぐらいなものじゃ』
レイナがこちらに、もの凄い顔を向けている気配がするが、マルコは努めて無視をした。
それよりも、マルコはテレスティアに伝えなければいけない事がある。
「ヒメ」
『判っておるよ。……殺しはせぬ。無駄な殺生は、主様の立場を危うくするからの』
しかし、死んだ方がましだと思える目には遇わせる。
テレスティアは口には出さず、二人が乗った絨毯を一撫でする。すると、二人を乗せた絨毯は舞い上がり、僧兵達の手の届かない高さにまで上がった。
『さて、痴れ者共よ。覚悟はよいか?』
「たかが幽霊ごときが、随分な口を聞きますね」
『ヒャヒャヒャ、天界の操り人形に言われたくないの』
テレスティアの台詞に、今まで余裕を見せ付けていたエレドアの表情に、初めて揺らぎが見えた。
『おやぁ? 操り人形の癖に一人前のつもりであったか』
これは済まぬ。演技掛かった仕草で、テレスティアが謝罪の真似をしてみせる。
心の底から、バカにしきった道化た笑みを、テレスティアはエレドアに向ける。
テレスティアとしては、この痴れ者共を一蹴してしまってもよかったのだが、どうにも先程の光の正体が気になっていた。
『それはそれは、まあなんじゃ? まさか図星か? おやおや、最早哀れを通り越して、滑稽よな』
「よく動く口ですね。どうやら、生前はその口が原因で死んだようだ」
『ヒャヒャヒャ、妾を操り人形ごときが語るか。……恥を知るがよい』
テレスティアが指を弾いて鳴らす。小気味のよい音が聖堂に響き、エレドア以外の僧兵達が一斉に跪いた。
いや、違う。僧兵達は自発的に跪いたのではなく、何かに力尽くで跪かされている。
中には膝か、どこかの骨が折れでもしたのか、聞くに耐えないその苦悶の声すら許されず、くぐもって聞こえてくる。
「我が同輩に何を?」
『妾を不快させて尚、謝罪の意思すら一つ無い。本来なら一族郎党全て、縛り首にして晒すのじゃが、我が尊き主様は、無用な殺生を好まぬ。殺しはせぬから、存分に苦しめ』
枯れ枝を折る様な、乾いた音と共に、張り上げる事の出来ない声と、抗おうと身を捩り、更なる力に押し潰される苦悶の声が入り交じり、耳障りな合唱となり、聞く者の脳髄を掻き毟る。
『〝冥府閻魔王直轄刑務官〟、そやつらの拘束を解ける者は、そうは居らぬ』
姿を現したのは、異形と言える偉丈夫だった。明らかに人からはかけ離れた姿、額には二本の角が生え、隆々とした体を表す様に頑健な鎧が覆う。
しかし、異形を明らかにするのは、体を覆う鎧の隙間から漏れ出す青褪めた炎と、下半身が存在せず、その体は僧兵達の背から、地に根を張る樹木の如く生えていた。
「冥府? 閻魔王? 何を言っている?」
『ふん、貴様の様な凡愚には、到底判らぬ話であろうな。……しかし、よいのか?』
「何か?」
テレスティアはエレドアが手に持つ書を指差す。
『それじゃろう? 先程の光を降らせたのは』
「では、何だと?」
『ヒャヒャヒャ、余程自信が無いと見える。怖じけたか』
言った瞬間、テレスティアは再び光の柱に飲まれる。
それも一回ではない。幾度と無く、光の柱はテレスティアを殴りつけ、押し潰すかの如く降り注いでいく。
「この、幽霊ごときが、精霊王様の御光を、なんと心得る」
息を切らしながら、テレスティアが居た位置を、エレドアが不倶戴天の敵と睨み付ける。
一度目は、恐らく避けたか、高位に至った幽霊だけが行える霧散をしていたのだろう。
だが、今回は違う。
──直撃だ。たかが幽霊ごときが偉そうに──
エレドアが勝利を確信し、宙に浮かぶ絨毯を睨む。連れてきた僧兵は役に立たない。元より、必要無い人員だ。まったく、司教も余計な真似をと思ったが、彼らの証言があれば、エレドアの出世には役に立つだろう。
ならば、出世を確実とする為に、忌々しい平民のガキを始末する必要がある。
エレドアが再び、次はマルコに向けて、レイナには当たらない様に、威力を絞った〝精霊王の鉄槌〟を放とうと、
『うむ、やはり虚仮脅しよな』
「な……?」
だが、消えた筈のテレスティアの声が聞こえ、エレドアが視線を向ける。そこには、一切の変化すら無いテレスティアが、扇で自らを扇いでいた。
『精霊王、精霊王のう? 天界に天王以外の王が居ったか。疑問であったが、なんじゃ。あやつか、木っ端精霊が王とは、偉くなったものよな』
「貴様、一体何だ?!」
残っていた穏やかさも、余裕も捨てて、エレドアが叫ぶ。
最弱の幽霊ごときが、天界の十王が一柱を語る。エレドアには信じがたい事だった。
こいつは何だ。
この幽霊は、一体何なのだ。
エレドアが叫び喚く。
だが、その声も突如として、押さえ付けてきた拘束に、呻き声に変えられる。
『〝冥府閻魔王直轄執行官の断頭台〟、木っ端の操り人形ごときには、あまりに上等過ぎるものじゃが、まあサーヴィスと言うやつじゃ』
あまりにも禍々しい、罪人の首を落とす為だけに存在する刃が、濡れた光をエレドアに反射させる。
「ヒメ……!?」
『安心せい、主様。死にはせぬ。まあ、これよりは生き地獄であろうがな』
「やめろ! 私を殺せば、聖天教を敵に回すぞ!」
『木っ端精霊ごときを崇める連中が、何するものぞ』
何時の間にやら、やけに刃渡りの長い裁ち鋏を手にしたテレスティアが、断頭台の刃を吊るす縄に、その刃を当てる。
「待っ……」
『ではの』
いやに耳に残る切断の音。エレドアの断末魔の叫びが、聖堂に響き渡り、テレスティアの溜め息が落ちた。
「……はあ、間に合ったか」
『何故、邪魔立てする。耳長』
気絶し、泡と失禁を垂れ流すエレドアの首の寸前で、突き込まれた杖が断頭を止めていた。
「亡霊妃、そこのガキ共。とりあえず、私の部屋に来い。……こいつらの処罰は、私がやる」
サナルカが、心底面倒くさそうに、深い溜め息混じりにそう言った。
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