亡霊妃は困惑し、少年は疑問する

 何かおかしい。学園に着いてから、マルコが抱える違和感は、時間と共に膨れ上がっていた。


(どうかしたのか、主様)

「……何でもないよ」


 そうは言うものの、やはり何かがおかしい。しかし、何がおかしいのか、マルコには見当がつかない。

 先日のテレスティアが起こした騒動も、一応は納まりを見せ始めていた中で、この違和感だ。

 距離を置かれているのは、何時も通りなのだが、問題は距離の取られ方だ。


 あからさまに避けられている。

 通常、貴族は階級が上である程、平民と関わる事を嫌う。人によっては、視界に入る事すら忌むべき事だと、己の視界に入った平民を、家族もろとも処刑した貴族もいたという。

 しかし、この学園ではその様な勝手は許されていない。

 そして、今までもこの様な避け方は無かった。


 腫れ物というより、見ない様にしている。

 まるで、これから起こるだろう事柄から、その中心から距離を置く様だと、マルコはそう感じた。


 さて、どうしたものかと、首を傾げるが、マルコの問い掛けに答えを返してくれる者は居ない。

 それもそうだ。この貴族社会で、明らかに落ちこぼれで、その上、得体の知れない幽霊ゴーストを連れた平民に、声を掛ける者は居ない。

 居るとすれば、それは余程の物好きか、何か企んでいるかだ。


「……ポートランド」

「はい、なんですか?」


 声を掛けてきたのは、何時もマルコを邪険に扱う教員だった。

 普段は名前すら呼びもしない癖に、今になって一体どうしたのか。

 マルコが内心で怪訝にしていると、如何にも憮然とした態度で、学園の敷地の奥にある建物を指差した。


「お前に、来客だ。聖堂へ行け」

「あの、どなたがいらっしゃったのですか?」


 答えが返ってくる事はないだろうが、一応は問う。


「知らん。さっさと行け」


 念の為、テレスティアが入ったペンダントを、手で抑えておいてよかった。でなければ、今も手の中で暴れているペンダントから、怒り心頭のテレスティアが飛び出していただろう。


(ヒメ、お願いだから大人しくね)

(うぬぬ……、主様の頼みならば……)


 そうは言うが、ペンダントの揺れは治まっておらず、やはり納得がいかない様子だ。

 しかし、嫌でも納得してもらうしかない。

 先日の騒動や、学園長との会話から、テレスティアが並みの幽霊ゴーストではないという事は、嫌という程に理解している。

 だが、それでも幽霊は最弱の存在だ。生前の無念や残念が意思を持ち、周囲の魔力を用いて姿形を得た者。雑な言い方をすれば、幽霊は少し丈夫な風船の様な存在でしかない。


 ──僕を、こんなに慕ってくれるヒメを、むざむざ消させるわけにはいかない──


 前回は怪我人が出ず、学園長の許しが出た為に、不問となった。しかし、次に同じ事が起きれば、平民のマルコではテレスティアを守りきれない。


 この世界では、強力な魔力を持つ貴族が法だ。大した魔力を持たない平民は、貴族に従わなければならない。

 人王が魔王討伐後に定め、数百年経った今でも残るこの法は、貴族と平民間の溝を深く絶対的なものにし、不変の上下関係を築いている。


 ──僕に何か出来るわけじゃないけど……──


 だが、時として強力な魔力を持つ平民が、産まれる事がある。

 貴族程ではないにしろ、並みの平民よりかは強力な魔力を、放って置くほど人界に余裕は無い。

 何故なら、強力な魔力の持ち主である貴族は、異常なまでに出生率が低いからだ。

 死産は当たり前であり、子を成す事自体が珍しい。例え無事に産まれても、乳児の内に死ぬ事だって珍しくない。

 何故かは解らない。しかし、平民にこの様な事は無い。一説には、貴族が持つ強い魔力が影響しているとも言われている。強いが故に、その数を増やす事すら儘ならない。

 だから、貴族だけが通う学園に、比較的強い魔力を持つ平民のマルコが入学出来たのだ。


「でも、聖堂って」


 確か、学園長の反対を押しきって建てた筈だ。

 今は居ない、唯一マルコに対して真っ当な教師として、接してきた彼女が言っていた。

 彼女曰く、あの天界嫌いの学園長の庭に、よく天界礼賛の建物を建てたものだと。

 マルコには、学園長が何故に天界を嫌うのか、いまいち理解が出来ない。


 ──以前の大戦でも、天界に助けられたって話だけど──


 マルコが噂で聞くには、天界擁護派閥の人間はいつの間にか、学園から居なくなっているらしい。

 もしかしたら、彼女もそうだったのかもしれない。


「と、着いちゃった」


 石造りの荘厳な門、過剰とも感じられる程に、装飾と彫刻の施された壁は、天界が如何に人界に助けを施してきたか。その歴史だと言われている。

 しかし、そのどれもが抽象的過ぎて、マルコにはいまいち理解が出来ない。


 ──そういえば、レイナもそうだっけ? ──


 幼馴染みだった彼女も、この過剰な天界称賛には辟易していた。

 思考と考察を放棄した天界の人形。聖天教会にそんな事を言っていた気がする。


「すみませーん」


 開いていた通用口を潜り、灯りの無い聖堂に呼び掛ける。しかし、返事は無く、マルコの声だけが空しく響くだけだ。

 己の声の反響を聞いて、マルコはどうしたのかと、首を傾げる。

 来客が居るらしい気配も無い。しかし、ここで戻れば、後で何を言われるか解らない。マルコは少し警戒しながらも、暗闇の聖堂に足を踏み入れ様として、テレスティアの言葉で足を止めた。


(主様)

「ヒメ、どうしたの?」

(月夜帳を用意した方が良さそうじゃ。あと、危機とあらば主様が止めても、妾は出るぞ)

「何か、あるの?」

(判らぬ。しかし、何処かで覚えのある気配じゃ)


 さて、何処で覚えた気配だったか。遠い記憶の中に微かにあるが、どうにもはっきりとしない。

 それも、学園の敷地中に満ちる、あの耳長の気配のせいだ。あれも結構いい歳の筈なのだが、会った頃からまるで変わらず、不機嫌さを無理矢理押し込めた刺々しさだ。


 ──あの耳長も、妾みたいに落ち着けばよかろうに。しかし……──


 しかし、この気配は嫌いな気配だ。強いて言うなら、昨夜に感じた気配に近い。

 はて、本当に一体何処であったか。マルコの為に僅かに残る記憶を辿るテレスティアの首筋に、灼ける様な悪寒が走り、ペンダント越しにマルコを突き飛ばすのと、見覚えのある赤髪が、マルコを抱き留めるのは同時であった。


「逃げなさい……!」

『お?』


 突然の事に驚愕するマルコを抱き留め、レイナは聖堂の天井を睨むテレスティアに叫んだ。

 しかし、テレスティアはその言葉には反応せず、気の抜けた声を残して、暗闇から降り注いだ光の柱に飲まれ消えた。


「……ヒメ?」


 突然の事に、呆然とするマルコの声に返事を返したのは、テレスティアの入っていたペンダントが、焼け焦げ罅割れた聖堂の床に、落ちて転がる音だった。


「マルコ、逃げるわよ」

「レイナ、でも、ヒメが……」

「急いで!」


 レイナが急かすが、マルコは呆然と床に落ちたペンダントを見ている。

 このままでは間に合わない。そう判断したレイナが、マルコを気絶させようとした瞬間、聖堂中に灯りが灯った。


「……お初にお目にかかります。私、聖天教会司祭のエレドア・ユードリックと申します」


 そして、気づいた。

 既に、聖堂の扉は固く閉ざされ、囲まれていた。

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