亡霊妃は見守る

 テレスティアにしてみれば、何ら大した事のない、戯れの様なものだ。摘まみ上げた残骸を、実につまらなさそうにして、暫く眺めて、テレスティアはそれを放り捨てる。


『うむ、雑魚じゃな』


 マルコはまだ眠っている。つまり、今放り捨てた雑魚は、テレスティアが愛してやまない、主の安らかな眠りを妨げに来たという事だ。

 そして、それを許すテレスティアではない。


『感じからして、天界由来じゃな。まだ、人界にちょっかい出しとるのか』


 ああ、嫌だ嫌だと、残骸を摘まみ上げていた手を、汚れを払う様に振り、放り捨てた残骸を再び見る。

 哀れなものだ。あれを寄越したのは、間違いなく人界の者だろうが、気付いているのだろうか。


「……ヒメ?」

『お? 主様、まだ目覚めには幾分早いぞ』

「なにか、おとがしたから……」


 これは失態と、上半身を起こすマルコに近寄り、毛布を掛け直す。


『主様、明日も忙しいのであろ? ゆっくりと寝た方がよいぞ』

「……うん……」


 寝ぼけ眼を擦り、マルコは再び眠りに着いた。そんな彼の寝顔を見ながら、テレスティアが宙で身をくねらせていると、何か視線を感じた。


『……なんじゃ気色悪い』


 カーテンで遮られた窓の外から、それは感じた。強い力は感じないが、気味の悪い嫌な気配に満ちている。

 だが、こちらに害を成そうとする様な感じは無い。しかし、気味が悪い。


『はて、何者か?』


 テレスティアはカーテンをすり抜け、月すら見えない曇り空の真っ暗な夜の中、並ぶ家々の屋根に、ポツンと一つ影が立っていた。

 人間にしては、強い力を感じる。サナルカと同じエルフかと思ったが、それにしては感じる魔力が、どうにもはっきりしない。

 姿も、纏った襤褸でいまいち解らないが、気味の悪さは感じても、敵意は感じない。

 さて、どうしたものか。今はまだいいが、もしかするとマルコが気付いてしまうかもしれない。彼には要らぬ負担は掛けたくない。

 あれの処遇に考えを巡らせていると、襤褸の影が消えた。


『む?』


 油断した。不審者を見失ってしまった。しかし、テレスティアは慌てない。


『ここに』


 マルコを起こさぬ様に手を叩き、足元より何かを呼び出す。朧気な蝋燭の火の様な、テレスティアの足先に触れていた空間が、僅かに波打つ様に蠢き、波間から小さな姿が現れた。


『〝冥府直下審問調査官〟、今消えた奴を追え』


 現れた姿は、テレスティアの腰程の高さもなく、非力なマルコでさえ、押せば折れてしまいそうな細い体躯。鹿撃ち帽に似た帽子で顔を隠し、いやに目立つ柄の外套、どこか玩具の様な雰囲気を感じるが、帽子と外套の襟の隙間から覗く裂けた口が、それら全てを否定する。


 〝カロエキリパキラエ見付けた後は?

『妾に報せよ。余計な真似は、あまりせんでよい』


 誰も聞いた事の無い言葉を話す審問調査官に、テレスティアは簡潔に命令を下す。


 〝パキア畏まりました。アルルロァ〟

『迅速にな』


 恭しく頭を下げると、審問調査官は夜の闇に溶ける様に消えた。

 テレスティアはそれを見て、静かな寝息を立てるマルコの側に寄り、愛しそうに彼の寝顔を眺める。幽霊ゴーストに睡眠は必要無い。眠る事は出来るし、あまりに暇な時は、年単位で眠った事もある。


『ヒャヒャ、愛らしい寝顔じゃの……』


 あまりに無為な時間を過ごし、あまりに退屈な日々が過ぎていた。求めたものは手に入らず、望んだものは存在しない。そう、思い込んでいた。

 だが、それは違った。


『主様、妾の主様……』


 あの日から、己には与えられない、得られないと思っていた生の温もり。それを与えてくれた、教えてくれた。

 思い出させてくれた少年、テレスティアにとって、何よりも得難く、かけがえのない存在。

 もし、彼が望むなら、


『貴方様が望むなら、妾は三界を支配し、貴方様に捧げましょうぞ』


 無論、マルコにそんな望みなど、欠片も無い事は知っている。だが、テレスティアはそれしか知らない。


『ああ……、主様。貴方様は、一体何をすれば喜んでくれるのじゃ?』


 生前も、死後も、テレスティアに誰かを愛した記憶は無い。灰と黒と白、唯一の日々すら色褪せ、気付けば色も温もりも無い三色の世界に在った。


『主様、教えておくれ。妾は知らぬのだ……』


 テレスティア・カルデンツィアは知らない。ただ、捧げられてきたテレスティアは、何を捧げればいいのか解らない。


『主様、妾の主様、貴方様が望むなら、妾は……』


 マルコの暖かそうな頬に触れようと、手を伸ばすが、マルコが寝返りを打ち、手を引っ込める。


『うぅむ、いかんぞ。妾が触れては、主様の眠りを妨げてしまう……』


 幽霊ゴーストは体温が無い。生きている者にとって、テレスティアはとても冷たいのだ。

 そんなテレスティアが、眠っているマルコに突然触れれば、当然驚いて起きてしまう。

 それは駄目だ。眠りとは、生者にとって数少ない安らぎの時間だ。それを死者が邪魔してはいけない。


『ああ、早く朝陽が昇らぬか……』


 朝陽が昇れば、テレスティアはマルコに触れられる。

 朝陽が昇り、マルコが目を覚ませば、また今日も話が出来る。

 太陽の下に、マルコに名前を呼んでもらえる。

 あれ程繰り返してきた夜が、永遠にも思える程に永い。


『主様、早う目を覚ましておくれ。妾は待ち草臥れてしまう……。と、言っとる間に……!』


 空が白み始めた頃、マルコの目覚めの準備をしようと、テレスティアが箪笥から着替えを取り出し始める。

 長く透けた髪を尾の様に揺らし、マルコの一日のコーディネートを進めていく。


『主様は、しんぷるいずべすとを好む。しかし、遊び心は大事じゃ』


 シンプルなシャツにズボン、ベストに少しワンポイントで茶目っ気をプラス。使うのはテレスティアのコレクションの一つ、〝千剣戦王の戦刃勲章〟。

 取るに足らないただの飾りだが、剣をモチーフにしたブローチは、少年らしい勇ましさを演出する筈だ。


『ヒャー! 主様格好よいぞ……!』


 ウキウキと、マルコの目覚めが待ち遠しいと、彼が朝の支度に慌てなくてもよい様に、どんどんと支度を済ませていく。


 〝キキパケア遅くなりました

『ふむ、ご苦労。それで、どうじゃった?』

 〝パッケアご想像の通りでした


 審問調査官が告げると、テレスティアは頷いた。


『大義であった。下がるがよい』

 〝キリリァパクアでは、失礼を


 審問調査官が闇に消えていき、既に明るくなった外の世界を見てみれば、僅かに人々の営みの音が響き始めている。生者の、生きている音だ。


「……ん、ヒメ?」

『お早う、主様。今日も良い日和じゃぞ。……妾の顔に何かついておるか?』

「んー? なんだろ? なんでもないよ」


 今日はきっと、今までにないくらいに忙しくなる。朝目覚めてテレスティアを見たマルコは、そんな予感めいた確信を得た。

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