火の貴族の娘は

 〝そして世界は平和となり、人界は人王の元に永久の繁栄を約束された〟




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 ハーフストン家は歴史に名を刻む名家である。故に、その血脈、係累、その末席に至るまで、それ相応の振る舞いが必要だ。

 学園に入る事になる十二の春、ハーフストン家全員が集まった場で、レイナはそう説かれた。

 始めは何の事か、まるで理解が出来なかった。だが日々を過ごしていく内に、幼い頃には存在しなかった〝壁〟を感じる様になった。


「お嬢様、お母上がお呼びです」

「分かったわ。今行く」


 溜め息を吐き出せば、胸の内に溜まった倦怠感も、一緒に出ていかないかと思ったが、そうはいかないらしい。

 〝壁〟だ。体の内と外に〝壁〟がある。内から出ていくものを押し留め、外から入ってくるもの塞き止める。

 溜まり澱み、沈み濁りきり、最早この感情が倦怠感と言えるのか。もう、それすら解らない。


「只今参りました。御母様」

「……入りなさい」

 清掃の行き届いた、清潔な無駄に長い廊下を歩き、必要以上に磨かれた、飾りだらけの扉をノックすれば、そんな声が聞こえた。

 レイナによく似た赤毛、整った顔立ちに均整の取れた体。よくある美しい貴族の女そのもの。

 だが、好きになれない声、好きになれない人格、好きになれない考え方、何もかも血の繋がりがあるとは思えない。まったく正反対の所謂貴族。否、結局は同じだ。

 結局、どれだけ嫌っても、好きになれないとしても、己もこの女も、結局は貴族でしかない。


「レイナ、また、あの平民の塒に行っていたそうね」

「それは彼が、学園の風紀を乱したからですわ」

「あれは平民、その様な風紀、理解出来る身分ではありません。貴女が関わるだけ、時間の無駄です」


 平民に、その様な事を理解する知能は必要無い。この世界の貴族に残る悪習、時代遅れの考え方。それをいまだに盲信しているのが、その考え方を唾棄すべきものと考えている己の母親とは、何とも皮肉なものだ。


「……今は時代が変わっています」

「そう、愚かね。私達が居なければ、滅ぶだけだというのに」


 現代に残る貴族は、嘗ての英雄達の末裔である。

 よって、選ばれた我々が、弱い民衆を管理統制しなくてはならない。

 嘗ての英雄王である勇者人王が、そう言い残したと言われている遺言の一つに、そういった内容があった、とされている。

 そしてそれを忠実に実行し、現代に続く支配体系を築き上げたのが、人王の血筋である王族と、それに連なる人王と戦場を共にした者達の末裔である貴族だ。


 時代が変わり、世界が変わっても、人界のこのルールだけは変わらず、今も人界を縛り付けている。

 このままが続けば、人界はそう遠くない未来間違いなく、また魔界に侵略され、今度は助からないだろう。

 そう、年若いレイナや一握りの者達が考えるのに、母やその他多数は、そんな事は無い。自分達の栄華は永久に続くと信じきっている。

 今は外に目を向け、内を省みる。そんな時代なのだ。


「御母様、お話があるとお聞きしましたが」

「ああ、そうね。あの平民の事よ」


 あの平民。これが指し示す相手は、一人しか居ない。


「……ポートランドが、なにか?」

「正確には、平民一人と幽霊ゴースト一体ね。あれ、近い内に処分されるそうよ。理由は分かるでしょう?」


 レイナは眉をしかめた。理由、そんなものは簡単だ。学園は貴族や、上流階級の集まりが支配している。その中でも自分ハーフストン家やサーキマン家は、絶対的な力を持つ。

 そしてその両家に、その意思は無くとも、ただの平民が牙を剥いた。そういった筋書きだろう。


「……学園長の許可は」

「あの御方の手を煩わせる様な、そんな大事ではありません」


 つまり、無許可。確実に実技か何かで、事故を装って事に及ぶつもりだろう。告発は、意味が無い。教員や職員は、全員買収済みだ。唯一は学園長だが、あのエルフは関わってこない。断言出来る。


「レイナ、ハーフストン家として、らしい振る舞いをなさい」

「お言葉ですが御母様、私にも学園での役目と立場、というものがありますので」

「ええ、心得てますわ。その件の幽霊ゴーストは聖堂教会が祓うそうよ」


 だから、分かるでしょう。レイナは、母親の言葉に黙って頷いた。聖堂教会は対幽霊ゴースト、対悪魔の専門家だ。

 あの幽霊ゴーストが、如何に強力だろうと、彼らには敵わない。


「分かりました」

「では、下がりなさい」


 扉を背に、レイナは溜め息を吐いた。ハーフストン家は火の魔法の家系、故に他は省かれる。だが、レイナの好奇心は抑えられない。


 ――あの幽霊ゴースト、何故……


 冥界由来の魔道具を扱えたのか。あれは本物だったのか。否、例え偽物だったとしても、あの力は異常だ。

 レイナは早足で自室へと向かい、ドアノブに手を掛ける。レイナには、一つ夢があった。


「最近の論文では……」


 それは歴史学者になるというもの。しかし、この世界では歴史学者は鼻つまみ者でもある。この現代に於ける歴史とは、言い伝えられている〝人王秘録〟がそれであり、それ以外は作り話とされている。

 それが何故なのか、不都合な真実が隠されているなら、それは誰にとって不都合なのか。

 レイナは知りたい。隠された秘された歴史という、人界の歩んだ日々を知りたいのだ。

 そして、その感情は最近更に強くなった。


「冥界の存在、それの否定」


 この四界世界、その一つであり死者の行き着く世界とされる冥界。その冥界が実は存在せず、この世界は四界ではなく三界世界だったという、明らかにおかしい学説が提唱された。


「上下に天界と冥界、左右に人界と魔界。十字に位置する世界が、実は三角だった? 無理があるわ」


 冥界の存在の有無は、以前から議論され続けていた。〝人王秘録〟に殆んど記されず、記されても冥王や、他十三王の名前だけで、その容姿等の詳細は一切が不明。

 ただ、冥界には冥王という絶対頂点があり、その下に十三の王が存在するというだけだ。

 嘗て人王を協力を要請したと、確かに記されているが、その結果は不明瞭に濁されている。

 ならば、冥界とは何なのか。穴だらけの学説だが、議論の余地は十分以上にある説だ。


「…………」


 一冊の古ぼけた、ページも黒ずんだ本。レイナが歴史学者を目指す切っ掛けとなった、ある少年から贈られた子供向けの英雄譚。

 表紙も擦りきれ、直しに直しを重ねた一冊は、見た目は不恰好だが、それはレイナの歴史だ。


「マルコ……」


 許されない。どの様な理由があれど、自分は彼を見捨てた。自分に道を指し示してくれた彼を、見捨てたのだ。

 だから、今度は


「助けるから……」


 彼から彼女を奪わせはしない。レイナはゆっくりと息を吐き、その瞳に強い火の如き意志を灯した。

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