亡霊妃は首を傾げ、少年は悩む

〝人王と魔王の戦いは熾烈を極めた。七日七晩に及び、魔王の一撃が人王を捉えた時、天王の祝福が人王を救った〟




〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃




『主様、朝じゃぞ。起きぬのか?』


 テレスティアが、朝陽の射し込む部屋に浮きながら、布団に沈み込むマルコに呼び掛ける。

 時刻は朝、日も昇り、窓の外では人の声が聞こえ始めている。テレスティアが知る限りでは、今のこの時間帯に起きなければ、あの学園耳長の実験場の開始時刻に間に合わない筈だ。


『あーるーじーさーまー』


 呼び掛けても、マルコは返事を返さず、ただモゾモゾと布団の中で蠢くだけだ。

 さて、これは一体どういった事だろう。

 マルコは勤勉で、規則正しい生活を送っているという事を、テレスティアはこの数日の生活で知っている。

 だから、こうまで起きないのは、初めての事だ。


 体調不良?

 否、マルコの体調に異常は感じられない。テレスティアが見る限りで、魔力の流れに不調は無く、病魔の類いも寄っていない。この人界で、生半可な病魔や厄災は、与えた〝宵闇伯爵の月夜帳〟で祓われる。そうでなくとも、テレスティアの前ではそんなものは、近付く事すら不可能だ。

 よって、体調不良や呪いの類いは考えられない。


『主様?』


 まさか、まさかだが、嫌われたか。しかし、昨晩までの様子で、その様な素振りは無かった。それに、嫌われる様な事はしていない筈だ。ならば何故、まだ布団から出てこないのか。

 テレスティアが首を傾げながら、部屋を漂っていると、まだ目が覚めていない動きで、マルコが身を起こした。


「……ヒメ、今日は休みだよ」

『休み?』

「そう、今日は学園は休みの日。だから、もう少し寝かせて」

『うむ、そういう事なら、よい物があるぞ!』


 そう言うと、テレスティアは虚空に手を突っ込み、何かを探り始めた。僅かに波紋が波立つ中央、テレスティアの細い腕が、かき混ぜる様にして動き、掴み出してきたのは、一つの豪奢な枕だった。


「……何、それ?」

『これはの、〝夢見貘の誘眠枕〟と言って、妾らの貴族共御用達の快眠枕じゃ』


 得意気に差し出される枕、この前受け取ったケープと同じ様に、異様な魔力を感じる。間違いなく、この場に在っていい物ではない。


「ヒメ、これはやり過ぎだし、目も覚めたから起きるよ」

『む、そうか。じゃが、何かあったら言うがよいぞ! 主様の為なら、妾何でもするからの……!』


 目を爛々と輝かせ、鼻息荒くそう宣言する。学園長から契約書を受け取ってから、マルコは彼女に支払う代償を決められずにいた。


「ねえ、ヒメ」

『なんじゃ、主様。何か欲しいものがあるのかの?』

「いや、そうじゃなくて、ほら、これの事」

『なんじゃ、そんなもの無くとも、妾の全ては主様だけのものじゃぞ』


 だが、当のテレスティアがこの調子で、話が殆ど進んでいない。マルコは仮にも召喚師、最低限でも必須とされる事はやっておかなくては、何かあってからでは遅いのだ。


「でも、一応は決めないとね」

『うむぅ……、そう言われても、妾から主様に求めるものなど……』


 一つ二つと、人魂が周囲に浮かぶ中央で、テレスティアが頭を悩ませる。テレスティアにとって、己に触れられるマルコは、その存在自体がテレスティアにとっての褒美だ。

 だから、マルコに何かを求める事は無い。無いのだが、どうやら契約の為には、その代償を取り決めなくてはならないらしい。

 まったく、難儀な事だ。そんな事をしなくとも、マルコに二心を抱く事など有り得ないし、マルコ以外に靡く事など、この四界が滅んでも有り得ない。


『ふぅむ、済まぬが主様、妾には思い付かぬ』

「そっか。どうしようか」

『済まぬ。じゃ、じゃがな、主様は妾に何を求めてもよいのじゃぞ』

「……一応、訊くよ。何をって、何を?」

『それはもう、〝何でも〟じゃ。富、地位、世界。有りとあらゆる全て、妾は主様が求めるものを、主様が求めるだけ捧げよう。あ、もしも夜伽の相手ならば、妾が……』

「うん、一旦やめようか」


 テレスティアの力は、ある程度は理解出来ている。ただの幽霊ゴーストと考えるには、あまりに強大な力。

 嘗ての英雄、その一人であり、今なお衰えの影すら見せない学園長が、態々契約書を用意する。

 その他にも、彼女が所有する数々の品々。今まで見てきただけでも、一つ一つが人界では至宝と扱われる代物ばかりだ。

 そして、彼女は己を含めたそれらを、マルコの為だけに使うと宣言している。

 マルコが一歩間違えれば、もしかしなくとも人界に未曾有の危機が訪れるだろう。


『主様、主様は何かに困ってはおらぬか?』

「ん、そうだね。強いて言うなら、お金が無い、かな」

『ふむ、財か』


 だからこそ、マルコはテレスティアを制御しなくてはならない。


『主様、財なら手っ取り早く、これを売ってはどうじゃ?』

「……これ、銀?」

『〝冥深銀〟の延べ棒じゃ。まあ、端金程度にはなるじゃろう』

「待ってヒメ。今、〝冥深銀〟って言った?」

『うむ、それがどうかしたのか?』


 マルコは延べ棒を持つ手が、震えそうになるのを堪え、今一度手にある延べ棒を見る。

 鮮やかで曇り一つ無い、美しい銀の塊。魔術に金属は必要不可欠であり、マルコも金銀の扱いは心得ている。

 だが、今テレスティアが何気無く手渡してきた〝冥深銀〟、これは別だ。


「……ヒメ、因みにだけど、これ、どれだけ持ってるの?」

『うむぅ? どれだけか? この〝館〟を隙間無く埋め尽くすくらい造作もない程度には、〝手持ち〟はあるぞ』

「ヒメ、これは無しだ」


 マルコは即決した。〝冥深銀〟などという、学園長クラスでも、延べ棒一つを所有しているかどうか怪しい希少金属。もし、マルコが市場に流せばどうなるか。

 間違いなく、争乱の火種になる。

 というより、この〝冥深銀〟は、マルコの記憶が正しければ、超が付く程の良質な銀鉱山を、丸々一山掘り尽くして、漸く大人の親指程度のものが手に入るかどうかという、人界〝では〟異常な金属の筈。

 それなのに、何故テレスティアは所有しているか。


『ダメか? 主様、これは人界では価値の無いガラクタだったのか?』

「あ、いや、その逆かな」


 そんな希少なもの、市場に流れれば経済にどんな影響が出るのか、経済に疎いマルコでも想像が難しくない。


『ふむり、人界とは難儀なものじゃの』

「ははは、そうだね」


 乾いた笑いしか出ない。〝冥深銀〟で端金扱いするテレスティアの感覚、幽霊ゴーストは生前の感覚で存在するというから、彼女の生きていた時代は、もしかするとそういう時代だったのかもしれない。

 だが、今は違う。


「ヒメ、今日は少し買い物に行こう」

『お出掛けじゃの!』

「うん」


 現代はテレスティアの時代とは違う。早く、彼女に現代の常識というものを覚えさせなければ、近くに大きな騒動になる。

 マルコは浮かれるテレスティアを背に、先ずは洗顔だと、洗面所へ向かった。

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