亡霊妃は潜み、ただ窺う
〝世に四界あり、四界に四王あり
一つ、人界に人王
一つ、魔界に魔王
一つ、天界に天王
一つ、冥界に冥王
四王の内、魔王は勇者たる人王に討たれ、天王は終わらぬ戦乱に心を傷め、冥王は知らぬ顔を貫いた〟
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
見慣れた光景だ。誰もが、マルコを見て見ぬ振りをしている。その癖、彼が教室の席に近付けば、趣味の悪い笑いが聞こえてくる。
慣れたものだ。マルコは貴族ではなく、ただの平民だ。貴族が平民を笑うなんて事は、日常茶飯事であり何という事もない環境音に過ぎない。
見慣れた光景に聞き慣れた雑音、それらは直接マルコにまだ関わってはこない。やけに古びて傷だらけの机に鞄を置き、席に着く。
教室の一番奥の窓際、そこがマルコの定位置であった。
窓の外を何気なしに眺めれば、青い空に白い雲が流れていく。どうにもこちらを見ながら笑う声が止まないが、流石は魔法騎士学院の生徒、マルコとは違い余裕があるのだろう。
鞄から教科書とノート、ペンを取り出す。その際に、服の中で水晶のペンダントが、カタカタと揺れて自己主張していたので、軽く撫でてみる。
(今はダメだよ、〝ヒメ〟)
そっと小声で呟けば、ペンダントの揺れが治まった。これで中に居るテレスティアも、少しの間は大人しくしている筈だ。
最初は大変だった。テレスティアが自分も憑いて行くと言って聞かず、宥めすかすのは骨が折れた。自分にしがみついて離れないテレスティア、見た目より強い力に困惑しながら何とか引き剥がしたが、それでも食い下がってくる彼女に、マルコは幾つかの条件を出した。
一つ、姿を見せない
一つ、騒ぎを起こさない
兎に角、テレスティアが学院内に現れると、確実に騒ぎになる。会って間もないが、ここまで自分を慕ってくれるテレスティアに、嫌な思いはさせたくない。
だが、まだ渋るテレスティア。何かないかとマルコが考えていると、〝宵闇伯爵の月夜帳〟だけでは不安だと、〝幽世黄泉路王の王錫〟よりも強い気配を感じるものを懐から取り出そうとしていた。
流石にそれは止めた。正直な話、この夜色のケープだけでも、とんでもない力を感じるのだ。そんな代物を渡されても、事故の元にしかならない。寧ろ、それならテレスティアを連れて行くのがマシだろう。
マルコはテレスティアに条件を出し、テレスティアはそれを了承する代わりに、何か自分だけの特別なものをくれと言った。
だから、マルコはテレスティアに〝ヒメ〟と渾名を付け、テレスティアはそれを嬉々として受け入れ、自分を自らのコレクションの一つに封じ、マルコに同行している。
「……ふぅ」
教科書を開き、昨日までの復習と今日の予習を始める。座学の内容自体は問題ない。問題は実技、《召喚師》の実技はその名の通りに召喚と契約。嫌な時間だ。
座学ではまだ、教員が目を光らせているが、実技ではそうではない。実技担当教員の判断基準は、座学担当教員とは違い、出来るか出来ないか。つまりは結果主義。
実技でまともな結果を残せないマルコは、実技教員からは既に居ない者として扱われていた。
(ヒメ、頼むから大人しくしててよ)
(了解じゃ、主様)
本当に大丈夫なのか。その言葉を、マルコは口にはしなかった。言えばきっと騒ぎ出す。頼むから、何があっても大人しくしていてほしい。取り敢えず、死ぬ事は無いのだから。
マルコは始業の鐘を聞きながら、そう思った。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
テレスティアは、浮かれていた。千年を超える時を待ち続けた主に漸く出会い、今こうして共に居る。
少し見上げれば、水晶の壁越しに主の顔が見える。シャツの襟やらで見辛いが、それでもテレスティアは楽しく嬉しかった。
(うむうむ、勉学に励む主様も凛々しいのう)
声には出さない。マルコの望みは静かに大人しく、騒ぎを起こさない、だ。
机に向かい、ノートにペンを走らせる。その音だけでも、テレスティアにとっては一流の楽団の演奏にも勝る。
マルコの一挙手一投足全てが愛しく、最早神の啓示すら足元にも及ばない。テレスティアは仮ではあるが、この世の楽園にて極楽の一時を過ごしていた。
だが、その一時に不粋な不協和音が混じるのに、テレスティアは気付いていた。
(なんじゃ? 不愉快な)
嘲笑う。そう表現するのが正しい、あまりに品性の欠片も意思の強さも感じられない嗤い声。第一、ここは勉学を修める場の筈なのに、何故に主に嘲笑が向けられているのか。何故に、師となる教員がそれを止めないのか。
テレスティアは疑問を抱きつつも、マルコの言い付けを守る。
テレスティアにとって、マルコからの失望が何よりも恐ろしい。
だからこそ、今の状況を見極めなければならない。もしも、マルコに害をなす状況ならば、テレスティアに迷いは無い。マルコの不興を買ってでも、障害を排する。
(それにしても)
この学院の何やら懐かしさのある気配は、一体何なのだろうか。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
マルコは面倒だと、誰にも聞こえない様、小さく嘆息した。カタカタと揺れるペンダントは、この際どうでもいい。
一番面倒な事は、この視線だ。チラチラとこちらに向けられる視線、いい加減にしてほしい。この調子だと、次の休み時間にでも、視線の主がこちらに来そうだ。
本当に面倒だな。マルコにとって、彼女はただの幼馴染みに過ぎず、そして身分も違う。元より住む世界が違っていたという事は、とうの昔に気付いていた。
気付いていたのに、惰性で関わり続けたその結果、彼女は家を選んだだけだ。
ただそれだけの話、なのにまだ関わろうとしてくる。一体何が目的なのだろうか。追い詰めて退学させるつもりなら、実に効果的だろう。だが、マルコはもう屈しない。
辞めるなら自分の意思で辞める。誰かに辞めさせられるのではなく、自分の意思で蹴りつけて辞めてやる。
だが、仮に辞めた後はどうしよう。学院を辞めれば補助金が無くなり、部屋は引き払わねばならない。行く当ては無い。
どうするか。そこまで考えた時、胸元でペンダントが揺れた。
ああ、テレスティアの屋敷に世話になるのもいいかもしれない。自惚れだが、彼女なら嬉々として受け入れてくれるだろう。
終業の鐘が鳴り、教員が教室から出ていく。次は実技、早目に教室から離れて、テレスティアをペンダントから出せる場所へ向かわねばならない。かなり焦れていて、先程から揺れが治まらない。
マルコが立ち上がり、教室から出ようとした時、マルコの行く先に人影が割り込んだ。
「マ……、……ポートランド」
「……なんでしょう? ハーフストンさん」
家名で呼べば、何故か眉をひそめられる。もう名前で呼び合う関係じゃないと、自分で言った癖におかしなものだ。
「貴方、昨夜は何処に?」
「家に居ましたよ」
「嘘ね。貴方は昨夜、家に居なかった」
だから、何だと言うのか。マルコは詰め寄ってくる彼女に対し、努めて表には出さずに面倒だと、嘆息した。
彼女、レイナ・ハーフストンはこの国でも有数の貴族であり、文武両道のエリートだ。強い火の魔力を示す赤毛に、勝ち気なつり目、非常に整った容姿で彼女に言い寄る者も少なくない。幼少の頃は、レイナと遊ぶ事もあったマルコだが、今はもう違う。
今はもう、平民のマルコ・ポートランドと、貴族のレイナ・ハーフストンだ。
「それが何か?」
「夜間の外出は控える様に、学院から通達があった筈よ」
だから、あの屋敷に行ったのだ。視線を集め始めたマルコは、何とかして話を切り上げる手だてを考える。だが、平民が貴族に逆らうという、図式が成り立たない様にしなくては、後々更に厄介な事になる。
「生活費が必要でして、学院が補助してくれるのは学費だけでしょう」
「だからと言って、通達に逆らっていい訳じゃないわ」
本当に面倒だ。どうしたものかと視線を巡らせれば、更に厄介な連中がこちらに近付いてきていた。
「レイナ、どうしたんだい?」
「エリック……」
「また、君か。まったく、レイナの慈悲が理解出来ないとはね」
気障ったらしく、前髪を弄る。エリック・サーキマン、名家サーキマン家の跡取りで、学院でも屈指のエリート。そして、典型的な平民嫌いの貴族だ。
「この学院は国の未来を担う、重要な人材を育成する為にある。だというのに、君の様な平民がお情けで通えている」
「…………」
「それだけでなく、碌な適性値すら出せないばかりか、契約出来るであろうは、最弱の
言い返す言葉は無い。全て事実であり、エリックの言葉に間違いは無い。
マルコ自身、よく解っている事だ。普段通りに、平民らしく貴族にへつらい、場をやり過ごそう。
そう思った時だった。
『妾の主様に、無礼が過ぎるぞ。木っ端が』
暗く冷たい声に、教室が沈んだ。
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