少年は出会い、亡霊妃は微笑む

〝世に四界あり

一つ、人界

一つ、魔界

一つ、天界

一つ、冥界


嘗ての時代、魔界を統べた魔王は隣り合う人界へと、侵略を開始する。

他二界はその争いを傍観し、人界は魔界に飲まれかけた。

その際の時、人界に一つ光が産声を上げた。

それが英雄の極地、勇者である〟




〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃




少年は落ちこぼれだった。魔法騎士を育成する学院に通い、いつかは数多の物語に語られる英雄にと、輝かしい夢と希望を胸に、日々を邁進してきた。

 そして、就学から半年が過ぎた辺り、少年の運命を決める出来事があった。

 そして、その結果は惨憺たるものだった。


 少年の適性は《召喚師》、口の悪い者からは召喚獣頼りの軟弱者と呼ばれたりもするが、少年にはそれだけではなかった。

 《召喚師》には召喚獣の適性がある。適性が高ければ高い程、契約する召喚獣の力が高まり、その契約数も増える。

 例え本人が弱くても、《召喚師》としての本質はそこにある。適性さえ高ければ、強力な召喚獣を得て、栄光を手に出来る。

 だが、少年の適性は今まで記録された最低値を大きく下回り、契約出来るだろうとされるのは、最弱の幽霊ゴーストのみ。彼は落ちこぼれの烙印を押された。


 だがそれでもと、最低の適性値でも何かある筈だと、少年は立ち上がり続けた。しかし、その努力はまったく意味を為さなかった。学院では、適性値のみが絶対であり、それ以外で結果を出したところで、誰も見向きもしない。

 学友にも教員にも見放され、ついにはまだ味方だと思っていた幼馴染みにすら、馬鹿にされていたと解った。


 少年は自棄になった。嫌になった。自分にも学友にも教員にも、そして幼馴染みも、何もかもが嫌になりどうでもよくなった。

 味方は誰も居ない。少年が居なくなったところで、心配する者も居ないだろう。

 少年は町で有名な幽霊屋敷へと向かう。何人もの腕利きの魔法騎士が、行方不明になっているという屋敷だ。きっと、途方もなく強力な幽霊が居るに違いない。

 もしそうなら、自分は消える。いくら最弱の幽霊とはいえ、格が違えば神霊並みになる事もあるという。

 近付くだけで、魂すら焼かれて消えるだろう。

 そう思っていた。


『主様主様、これなんぞどうじゃ?』


 しかし、今目の前に居るのは、そんな恐ろしさの欠片も無い豪奢なドレス姿の女幽霊。白く透けた肌に髪、おどろおどろしい人魂を従えた彼女は、少年をもてなそうと、古びた器に森で収穫したであろう木の実を盛って、少年の前に差し出している。


「あ、えっと……」

『こ、これもダメか?』


 彼女が差し出す器には、今の季節に採れる木苺が盛られている。傷んだ屋敷、その中でも傷みが少なく、手入れの入った部屋でもてなされる少年は、今の状況を考える。

 自棄になり幽霊屋敷へと向かい、居なくなってしまおうとして、その途中で人魂の群れに出会って、そして異様に冷たい手が、顔に〝当てられた〟。

 そして、連れ去られる様にして、この屋敷に居る。


『うぅむ、主様は何が好きなのじゃ?』

「……なんで?」

『なんじゃ? 主様、なにかあるのかの』

幽霊ゴーストなのに、なんで触れられるの?」


 幽霊ゴーストは命あるものに触れられない。これは、幽霊自体がこの世界からは外れた存在であるという証拠であり、それに例外は無い。

 その筈なのに、彼女は自分に触れられる。それは一体何故なのか。


『妾にも解らぬ。だが、主様は確かに妾に触れ、妾は主様に触れられる。……温もりがあるのじゃ』


 どこか寂しげに、彼女はそう言う。取り敢えず敵意や害意の類いは感じられない。

 先ずは話をしてみるのが正解だろう。


「で、その主様っていうのは?」

『うむ、妾は一つ決めた事があるのじゃ。この我が身に触れられる者を主とするとな……!』


 薄く透けた体を反らせば、あまり目立たなかった胸が強調される。

 威圧感は無く、どこか得意気に言う彼女。不可思議な事はまだあるが、解らぬと言われてはどうにも出来ない。


『……そういえば、主様の名を聞いておらぬ』


 ふんふんと、鼻を鳴らしながら、彼女が問うてきた。顔が近い。

 確かに自分は名乗っていない。名乗っていないが、それは彼女もだ。幽霊に名があるのかは定かではないが、教えなければ何をされるか解らない。


「……えっと、じゃあ、君の名前も教えて」

『良いぞ! 妾はテレスティア、テレスティア・カルデンツィアじゃ』

「……テレスティア・カルデンツィア」

『主様の名は何というのじゃ?』

「マルコ、マルコ・ポートランド」

『マルコ・ポートランド、良き名じゃ……』


 恍惚といった様子で、テレスティアはマルコの名を復唱する。

 そして、ふと思い出したかの様に、こう言った。


『のう、主様。妾の名を読んではくれぬか?』

「いいけど、……テレスティア?」

『…………』

「あれ? どうしたの?」


 目を見開き固まるテレスティアに、マルコは何か間違ったかと、身を固める。

 名前呼びは不味かったか。名字から行くべきだったか。考えても遅い。

 目を見開くテレスティアの様子を、恐る恐る伺えば、固まったままの表情で、口が動いた。


『……わんもあ』

「へ?」

『わんもあぷりーず』

「テレスティア?」


 言われるままに、もう一度名前を呼べば、テレスティアは両頬に手を当て、ほうと熱い息を吐き出した。


『主様、ぷりーずこーるみーじゃ。もっとこう、耳元で囁く様に』

「……テレスティア」

『はい、主様……』


 抱き着かれれば、ひんやりと冷たく柔らかな感触が伝わる。擦り寄ってくる白く透けた髪は絹糸の様で、彼女の仕草から、彼女が既に死んでいる幽霊ゴーストだとは思えない。

 だが、この冷たく僅かに透け、足の無い体が、彼女が幽霊ゴーストだと確かに示している。


『主様、主様は何故妾の屋敷に向かっておったのじゃ?』

「……それは」


 言わねばダメだろうか。会って間もないのに、この慕われ様だと、何だか嫌な予感がする。

 マルコが言い淀み、口をパクパクと開閉すると、テレスティアはその動きに合わせて、期待に体を揺する。

 爛々と輝く目に兎に角、言わねば先に進まなさそうだと理解する。

 マルコはテレスティアに、出来る限り柔らかくかいつまんだ表現で、何故自分がこの屋敷に向かっていたのかを、説明する。


『ふむふむり、成る程。なると、主様は其奴らを見返す為の手段を探っておったと』

「まあ、そういう感じかな」

『ならば妾に任せるがよい!』

「え?」


 テレスティアは瞳を爛々と輝かせ、開け放たれた窓から見える夜空を背に、数え切れない数の人魂を従え言い放つ。

 白く透けた髪が広がる様子も合わさり、マルコは思わず見惚れ、その勢いのままに頷いてしまった。


『ヒャヒャヒャ、主様。大船、否、方舟に乗った気分でいるがよいぞ!』


 亡霊妃は微笑む。ただ主の安寧を夢見て、柔らかな微笑みをマルコに向けた。


『あ、そうじゃ。主様、これを進呈するぞ』

「何、これ……」


 テレスティアが何処からか取り出した、吸い込まれそうな夜空を切り取り縫製したケープ。マルコはそれを受け取る。

 重さは無い。まるで、月夜の様な涼やかな感触と、並みではない魔力を感じる。


『〝宵闇伯爵よいやみはくしゃく月夜帳つきよとばり〟というケープじゃ。妾のこれくしょんの一つ、主様に授けるぞ』

「え、でもこんな……」

『……ダメかの?』


 上目使いで見られては、どうにも弱い。


「ううん、嬉しいよ。有難う」

『そ、そうじゃろうそうじゃろう! 主様にはこの夜色のケープがよく似合うのじゃ!』


 テレスティアの言葉に裏は感じられない。多分、本当に本心から、そう思ってくれているのだろう。

 マルコにはそんな事が嬉しかった。


『主様、他にも〝幽世黄泉路王かくりょよみじおうの王錫〟なるものもあるが……』

「いやいや、それは流石に」


 だがそれにしても、テレスティア・カルデンツィア。何処かで聞き覚えがあるような。

 マルコは、次々と出されてくる仰々しい名前の、テレスティアのコレクションを見ながら、そんな事を考えた。

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