第3話「お伽噺」



その日はいつも通り出社した。いつも通り作業をし、打ち合わせをし、客や同僚とマウント取り合戦を繰り広げ、いかに自身が役立つ人間かを知らしめて地位を守る。下らない日常のように映ることもあればとても魅力的に感じることもある。



戦いの日々というのはそういうものだ。そして他人から見ればいかに下らないものであるかということも重々承知している。守っているものがどれだけ自分にとって価値のあるものでも、第三者からしてみればそれは無価値である場合がある。ものさしは人によって異なる。全てが空虚であるのだ。



その一方、自己の感情というものは他人に評価されることがないからこそとても大切なものである。自分のものさしでしか測ることができないし、誰かに批判させることもない。感情というものは唯一無二の自分だけの神様だ。その神様をいかにして安心させ、喜ばせるかが各々に与えられた宿題なのだ。今日も明日も良い日々を送るために、意志と肉体があくせくと動く。



今、刺激を求めている。日々の仕事から得られる刺激は時に魅力的であるが、時にその価値を一時的ではあるにせよ、失ってしまうこともある。ものさしは変わらないのに、見え方一つでその刺激の強さはいかほどにでも変化する。



しかし昨晩の出来事はどうだっただろうか。仮に毎晩同じことが起こったり、万が一熊の姿になったまま元に戻れなくなってしまうような事態にでも陥れば話は変わってくるだろうが、あのスリリングな感覚はどんなものであっただろう。あのときの感覚を正確に思い出すことは困難だが、それでも簡単には忘れられそうにない。内側から湧き起るエネルギッシュで行き場のないパワフルな感情は私の中に何かを落としていった。心の奥部で巨大で未知なる獣が尾を引き摺っているような、手の届かないところで何かが延々と蠢いているような、そんな感覚がある。



様々なリスクを背負うことは必至だが、全てひっくるめて考えても“あれ”をもう一度味わえなければ何事にも手が付かない。お伽噺のような話だとは思いながらも、毎晩月を暫く眺めてから布団に入る習慣がついた。もしかするとまた熊の姿になることができるかもしれないというわずかな望みに希願いを込めて、祈るようにして月を見る。



月からの返答はないように思われたが、1週間後に願いを叶えてくれた。一度眠りについたものの、夜中にふと目を覚ますと、そこには毛むくじゃらの肉体が横たわっていた。急いで鏡を見ると、そこには私の姿はなく、熊の姿が映り込んでいた。

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