第二章47 《やさしいせかい》

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 時間まで残り30分を切ろうかと言う頃合いになっても一切の連絡を寄越さない俺に、水城あずさは一松の不安を覚えていた。



 水城はふと制服の内ポケットに隠していた銀製の十字架のペンダントを取り出すと、その様子に変化が無いことを確かめる。



「P-jumpの可能時間に変更は無し……ね」



 俺達タイムトラベラーには皆それぞれのタイムマシンと言うべき物が有るのだが、その見た目は人それぞれだ。

 例えば、人によってはそれが鉛筆の見た目をしているかも知れないし、他の何かかも知れない。



 今のはただの例えさ、あくまでも自分自身の運命を握っているそのアイテムがどんな見た目かは他人からは分からないと言う寸法なのだ。

 しかし、彼らタイムトラベラーがそのアイテムを好きな物の見た目にするにあたって、幾つか条件がある事も確かだ。



 例えばその1つ、未来から持ち込んだアイテムで有ること



 水城あずさの場合、それは彼女が大切そうに胸に押しあてているそのペンダントだった。



「どうして……どうして山瀬さんは早く連絡をくれないの。こんな事をしている間にもタイムリミットは迫って来てるのに」



 彼女はもどかしかった。

 先程から狭く、暗い空間にもう一時間近く潜伏していると言うのに、待てど暮らせど俺からの連絡はおろか『その空間』に誰も訪れる気配が無い。

 不安は募る一方だった。



「まさか……あの女、山瀬さんの身にまで危害を」



 そう思うと、いてもたってもいられなくなったのだろう。

 それでも……



「今ここから飛び出したら、きっと犯人は犯行現場を変えるはず。そうなったら私も、これ以上タイムトラベルを続けられる保証が無くなる……」



 一瞬、最悪の想像が脳裏に浮かび、思考を鈍らせる。

 それでも、為せばならぬ事の優先順位は彼女も分かっていた。



「四夜ちゃんは……それが主観的な自己満足に過ぎなくても、やり直しが利く。でも山瀬さんは……」



 水城あずさはタイムトラベラーが過去で死んだ場合、どうなるのかを嫌気が差すほど良く知っていた。



「みんな、消えるんだ。まるで元から世界に居なかった見たいに、世界中の誰も犠牲になった人の事を覚えている事はない。ただ、私を除いて」



 悩んでいる暇は無かった。

 彼女は這いつくばった姿勢で息を潜めていたその空間の足場に、その姿勢のまま鋭い膝蹴りを放つ。



 スパーンと音をたて下半身の接していた木製の正方形タイルが埃を舞い上がらせて落下する。

 彼女は素早い身のこなしでその空いた穴から滑り込むと、3メートル以上の高度だったそこから華麗に着地する。



 顔を上げる。

 目の前には漆黒のグランドピアノが鎮座していた。

 彼女は天井を見上げると、そこには誰かさんが膝蹴りでぶち抜いた大穴が空いている。



「やり過ぎちゃったかな?」



 前を向き直ると、左手に握り締めていた十字架のペンダントを首から下げ、ドアを突き破り走り出す。



 当ても分からず走り続けるしかなかった。



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「藤原……委員長……?」



 彼女のしっとりとした指先が這う様に俺の両頬を伝い、そしてがっちりと押さえ込まれる。



 たった数センチの隙間を境に藤原委員長の暴力的な美貌があった。

 その表情は常軌を逸した程に紅潮しており、何処か息も熱っぽい。

 そして何より、目が異常だった。



 まるで白眼が無くなってしまったかの様に広がり過ぎた哭潼が彼女の眼球の大半を占有しており、そこに見える闇はまるで憎しみや苦しみを煮詰めた様であり、まるで何も映していないのでは無いかと思わせる程だ。



「は……離してくれっ……」



 彼女の拘束から逃れようと必死でもがくが、恐ろしい事にビクともしない。

 少女の指先とは思えない程の怪力なのだ。

 ジタバタと首から下の体を動かして藤原委員長脳裏拘束から逃れようと何度も、何度も試みるが、その度に頭部をセメントで何処かに固定されたかの如くそれ以上は動けなくなる。



 俺と彼女の視線が交わる。



 彼女の熱っぽい吐息が、鼻先から顎下へとゆっくり抜けていく。



 同時に漂う何処か甘い香りが、恐怖と性的な感情をない交ぜにして、俺の思考をメチャクチャにする。



「お兄ちゃん……」



 彼女は恍惚とした笑みを浮かべながら、ポツリとそう言った。



「お兄ちゃん……だと?」



 誰が、一体誰の?



「お兄ちゃん……私の大好きなお兄ちゃん……。もう何処にも行かせたりしない。もう二度と死なせたりしない……。私がね、一生お兄ちゃんを守って、監視して、監禁して、管理して、介抱して、お世話して____________愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して、愛して________あげるね」



 狂ったかの様に同じ言葉を繰り返す。

 いや、きっと本当に狂っていたのだろう。

 俺は、初めて人の狂喜に触れ、ただただ、今すぐにでもここから逃げて仕舞いたくなる程に恐ろしかった。



「ひっ____!」


「もうっ、そんな顔したってダメよお兄ちゃん。それとも……」



 それとも、なんだ



「もしかして私をドキドキさせたいの? あ~分かっちゃった~。お兄ちゃんは、私を興奮させて凄い事させる気なんでしょ!」



 何を……言ってる……んだ?



「ふーん……良いんだよ?じゃあね、じゃあね、こうしましょ! あの邪魔な二人の売女どもを滅多刺しにして、切り刻んで、バラバラにして、無様に晒し上げた後、そこで一緒に____しよ?」



 ……離して、くれ。



「や! 止めろ! 放せっ!何意味分かんない事言ってんだよ!放せって言ってんだろ! う……うわぁ……うあぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁ!」


「うふふっ。 あはっ_アハハハハハハハッ! そう言えば~チビで生意気な、あの薄汚い売女は私の部下達に殺させたからもうこの世界線には居ないわ。凄いでしょ! 」



 止めろ、これ以上何も言わないでくれ。

 だってそんな話は嘘だ、嘘に決まっている、そんな筈がない!



「後は邪魔な未来人の売女だけよ! 後10分、これだけあれば十分だわ。 さぁお兄ちゃん……あの女が何処にいるのか教えて?」



 この時、俺は初めて気が付いた。

 目線の先、藤原委員長と俺を取り囲む様に、複数の黒い人影がある事に。

 俺は首を周囲に回して確認しようと試みるが、やはりピクリとも動けない。



「ダメよ。私をみて、私だけをみて、確認して、視認して、受け入れて。そして愛し合って」



 まるで深淵のような瞳で、じっと俺を覗き込んでくる。

 このままでは呑み込まれて仕舞うのではないかと思え、背筋をゾクリとした耐え難い寒気が襲う。

 身体中の毛穴が開き、ブワッと冷や汗が噴き出す。





 ______その時だった。








「____山瀬さんっ!」










 声が、聞こえた。


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