第二章36 《世界線跳躍の代償》

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 おかしい……



 そう異変に気が付いたのは奇しくも涙腺ズビズビで泣いている事にすら自覚が無いこの時だった訳だが、それはまあいいだろう。

 明らかに目の前の四夜の口の動きと聞こえてくる音が一致しないのだ。


 恐らくだが、聴覚がタイムトラベルに伴う時空振動によって混乱を起こしているのかも知れない。

 以前までならこんな体調不良は感じ得なかったんだが、タイムトラベルを重ねるごとに顕著になってきている気がする。


 そんな活動を再開したばかりの俺の聴覚には、周囲の有象無象の雑音がこれでもかと飛び込んで来る。

 その殆どはクラスメイトの談笑や教師の興味を引かれない退屈な授業、上の階から聞こえてくる机や椅子を引き摺る学校特有の騒音など実に様々だ。


 それら意味を成さないどころか必要性すら皆無な外部情報を除外し、唯一聞き逃してはならない声を探す。


 目の前の、四夜の声だけを。



「ちょ……りょうた……う……のよ!」



 机を挟んだ対面には身を乗り出す様にして、こちらを心配そうに伺う四夜の姿があった。

 こいつは、いつにも増して鬼気迫る表情をしている辺り、どうやら何かを心配している様だった。


 不思議だ。

 何故かその対象が自分だったらいいな……と心の何処かで思っていた。



「うっ___!?」



 直後、立ち眩みの様な不愉快な感覚を覚え、崩れ込む形で四夜の机に項垂れる。

 あわてて肘を付いたから、頭部と机がばったり出会い衝突を起こす程にはならなかったが、それでもこれ以上弱い所は見せられまいと、ひきつる様な笑みを浮かべ顔を上げる。

 それが今の俺に出来る精一杯だった。



「四夜___。どうした?お前が……そんな顔をするなんて……らしく……無いぞ」


「『どうした?』は、こっちの台詞よ、ばか……。急に謝ったと思ったら泣き出すし、体調も絶不調じゃない。今回ばかりは私が心配するべき立場よ。ファーの癖に生意気……」


「それは……ごめん」


「そんな……神妙な面持ちで謝られても」



 偉そうに人差し指を突き出してマウントを取っていた四夜は、唐突な俺の謝罪に困惑気味でモジモジと腕をしまう。


 結局の所、俺は何も進歩していないのだろうか。

 間違って、繰り返して、何も学ばない。

 失敗と言う物は、次のアクションで目的を達成させる為の礎になるからこそ意味があると言うのに、いつまで経っても俺は壊れたラジカセの様に間違えた箇所を繰り返すだけだ。


 そうして、何も得ないままただ謝る。

 俺にはそれしか能が無いとすら思えて来る。



「何を隠してるのか、教えて。いえ、教えなさい」


「え……隠してるって……何を」


「私からしたら数秒の出来事だったけど。確実に、その一瞬……数秒でファーの様子がおかしくなったのは見てとれたわ」



 そう言うと、四夜は両手を机の角に突き身を乗り出す様にこちら側へのめり込んで来る。

 鋭い、彼女の大きな二重瞼の双眼が、全てを見通す。



「それはファーだけが知ってる事なのかも知れない。他の人には到底計り知れない様なとてつもない大事件なのかも知れない。でも」



 迷いの晴れた鋭い瞳で俺を見つめる四夜は、訴えかける様に言った。



「一人で抱え込む事無いじゃない」


「あ___」



 咄嗟にかけるべき言葉を見失ったまま茫然としている俺に、尚も四夜は詰め寄る。



「何があったのか、私にもちゃんと教えて。今回だけは特別に……りょうたの為に、一緒に悩んであげても……良いんだからっ! 特別なのよ!」


「何が……あったのか……か」


「そ……そうよっ!バカ!」


「そう言えば、どうして俺はここにいるんだ?」


「え?」



 そうだ、考えて見れば明らかにおかしかったじゃないか。

 俺は、タイムトラベルしたと言う事実はしっかり分かっているのに、記憶が一部、明らかに抜け落ちている。


 覚えているのは、計り知れない『絶望感』だけだ。

 四夜が、どうやってもきっと殺されてしまうと言うどうしようもない結果だけ。


 明らかに、その間に何かあった筈なのに。



「ぐぁぁぁぁぁぁああああああああっ!?」



 突然、後頭部をペンチか何かの鉄製工具で殴り付けられた様な激痛が走る。


 ドンッ


 痛みは一向に止む気配が無いく、断続的に、途絶える事なく遅い来る激痛に耐え兼ね、俺は椅子から転げ落ちた。



「ちょっとファー大丈夫!?」



 グワングワンと警報器の様な耳鳴りが頭蓋骨に響き渡る。

 うっすらと瞼を開けば、そこには大きな両目を閏わせ、必死に肩を揺する四夜がいた。

 咄嗟にしゃがみ込んだのだろう。

 あちらの椅子も四夜の背中の後ろで倒れていた。


 それ以外にも、周囲から様々な雑音が聞こえてくる。



「先生、大変です!」


「山瀬さんが倒れました」


「急げ、保健室に連れて行け!」


「でも、誰が……」


「私が連れて行きます」


「ダメよ!私が行くのっ!」


「あなたの体格じゃ彼を運べない。私に任せて」


「舐めんじゃないわよ!私だって……」



『青い髪の毛』が目の端をチラリと横切る。

 どうやら四夜と口論をしているのは彼女の様だ。



「なら、二人で連れていきましょう」



 すると突然、体がふわりと硬い床から浮かび上がった。



「ちょっと……いくらなんでもファーをお姫様抱っこって……」


「これが一番効率的です」



 俺の身長は180を越えていると言うのに、俺をお姫様抱っことは……何者だ?


 断続的に響き続ける鈍痛に苦痛の声がこぼれでる。

 身をよじろうとしても、身動き1つ取れない。

 何者なんだ、こいつは……。


 閉じかけていく瞼の裏に、彼女の物と思われる『青い髪の毛』だけが鮮明に焼き付けられていた。


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