第二章34 《終焉と混迷のラプソディー》

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 トイレ前の随分と太い柱の物陰は、俺と言う人間一人を周囲の認識から隠すには十分過ぎる程であり、斯くして俺はそこで待ち伏せる計画に至った。

 3メートル先にはあの音楽室がある。

 待っていれば良い、ただここでひっそり息を潜めていれば確実に犯人はここに四夜を連れてやって来るはずだ。



「だったら……例え四夜が前回同様に見つからないとしても、必ずここに訪れる。どんな理由かは分からねぇが、犯人に呼び出された。若しくは単純に来る予定でもあったのかもしれないしな。まあ何にせよ、怪しい奴が来たら背後からイッキにどたまをフルスイングしてやるだけだ。」



 俺は道すがら、校舎玄関口の掃除ロッカーで頂戴してきたステンレス制のモップの柄を握り絞める。

 先端のの平らな掃除機能は取り外してあるため掃除器具としては機能不全も甚だしいが、むしろ草野球でもやっている気分で人間の頭部をバッティングするには、十二分に適しているとさえ言えるだろう。



「舐めんなよ……っと。小中学生時代に地道にベンチで培ってきた闘魂魂は伊達じゃないぜ。まあ、最後までベンチ組から抜け出せずにいた挙げ句、父さんの事情で引っ越す羽目になったのは、今やまだ起こらざる未來の出来事だ。悪いが中坊の山瀬 涼太何てクソガキは知らねぇな。俺には関係ねぇ赤の他人だ。」



 そこにフワリと浮かんだ、当時の土くれにまみれた生意気そうなガキの顔に向かって、身の内からふつふつと沸き上がる鬱憤を叩き付ける様にステンレス棒を振りかざす。


 よって見事、イマジナリー山瀬の顔面は蜘蛛の子を散らした様に霧散した訳だが、それでも心残りがあった。


 そう言えば……と俺は父の事を思い出していたのだ。


 物心付いた衣から既に母親はおらず、よって山瀬家の構成は父と子の武佐苦しい一般家庭であった。

 研究に忙しい父は全くと言って良いほど日常生活がなっておらず、だからか食事、洗濯等の家事一般は一通り俺がこなしていた。

 ただ、父との関係が良好であったかと聞かれればそれは少し違う。


 なに、昔は実に良い父親であると同時に憧れの存在だった。

 まだ12歳にも満たなかった頃の俺は、父が行っていた研究が、世界の皆の為になる、とても偉い仕事だと信じて疑わなかったし、薄暗く近未来的な機材に囲まれた研究室にこもって作業をする。

 そんな白衣姿の父の背中はとても大きく、偉大に写った。

 父も当時はまだ人間性を保っており、隙を見つけては俺に構ってくれた。

 だからこそ俺の役目は父の生活面をバックアップし、名一杯支えてやる事だと自負していたのだ。

 今でも一通り家事一般が出来る為に、203号室の朝食当番を任されているのもこの為だ。


 やはり目玉焼きには得濃ソースに限るって事を、いずれ四夜にもみっちり教え込んでやらねば。



 しかし、俺が中学に進学して少し経った頃だったろうか、父の手元に届いた一通の手紙が全てを変えてしまった。

 差出人……不明、住所……不明、内容……不明の茶色い封筒の封を開け、中身を読み進めていく父の表情は今でも忘れられない。


 笑っていたのだ。

 それも頬の筋肉が電気ショックで引き吊った様な、世にも恐ろしいマッドサイエンティストの形相で。



「今さら何を郷愁溢れんばかりの物思いに耽っているんだか、俺は。もはや一年以上昔の出来事じゃないか。そう、父さんが暗殺された。あの大阪万博の日に俺は……本当に一人になったんだ。」



 思い出せ、己の心に決めただろう?



「強く生きろ、賢く生きろ、そして……決して逆境に挫けるな」



 もはや古なじみに成りつつあるいつものまじないを、今一度己に掛け直すと銀色に妖しく煌めくステンレス棒を強く握り絞める。

 重量感も外見も随分安っぽい代物だが、今の俺にはこれで精一杯だった。


 妙にジメジメとしたこの場所の湿度が鬱陶しい。

 額から顔の輪郭をなぞる様に一筋の汗が頬の出っ張った所を蔦って顎から滴る。

 得物の軽さに焦りは……あるがこの際気にしていたら踏ん切りが付かない。



「ええいっ、ままよ! 気にしたら負けだ」



 窓一つない薄暗い廊下に己の情けない声が響き渡って行くのがわかる。

 ああ……我ながら恥ずかしいばかりだ。


 それでも、あれから何時間が経過しただろうか?と俺は腕時計に目線を落とす。


{4月9日 14時 21分}


 まだ事件の起きた時間まで3時間もある。

 ひたすら柱の裏に隠れて声一つ身動き一つ取らずにしているせいで体が鉛の様にだるい。

 こんな状態で5時まで待っていても大丈夫だろうか?

 威勢よく立ち上がってステンレス棒を犯人に突き付けながら足元がよろついている様ではいくらなんでも締まらない。


 そんな下らない事を考えていた矢先だった。



「ファー? いるの……ここに」



 暗い廊下の曲がり角の向こうから、心配そうにこちらを伺う声が聞こえた。

 それは、いつもの四夜からは考えられない程に自信無さげな彼女の声だった。

 それだが、俺は思わずハッとした。


 四夜だ……四夜が今、すぐそこにいる!

 俺はバッと廊下へ踊り出ると全速力で数十メートル先の曲がり角へ走り出す。

 今なら間に合う!

 今なら四夜を助けられる!

 今なら四夜に謝る事が出来る!



「四夜ァーッ!俺がっ……俺が悪かった!だから_______________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________え?」



 声の主を探して曲がり角までやって来たが、誰も居ない。

 代わりに、一つピンク色のラジオカセットがただポツンと廊下に置かれているだけだった。


 カチャッ___カチャ___と軽い機械音と共にもう一度さっきの声が再生される。



「ファー? いるの……ここに」



 カチャッ___カチャ___



「ファー? いるの……ここに」



 カチャッ___カチャ___



「ファー? いるの……ここに」



 カチャッ___カチャ___



「ファー? いるの……ここに」



 カチャッ___カチャッ___



「ファー? いるの……ここに」



 カチャッ___カチャッ___


 嵌められた……のか? 俺は……。


 次の瞬間、俺の耳が何者かの声を捉えた。



「二度も……邪魔はさせない」



 剣道の心得などこれっぽっちも持ち合わせては居ないが、ステンレス棒の柄の部分を両手で掴むと体の前に構えた。



「誰だっ!くっそ……辺りが暗くて何も見え______ぐぁぁぁぁぁああああああ!?」



 突然、バチバチと言う電音が耳朶に触れると同時に、うなじに焼け付く様な激しい痛みが走った。

 その痛みはみるみる内に身体中の神経網を駆け巡り、耐え難い苦痛が脳内を支配する。

 視線の先では火花が散り、直感的に感電したのだと理解する。


 薄れて行く意識の中、せめてもの思いで首を横に傾け眼球を後ろへ向けると、目端に『青い毛先』が写った様な気が______した。


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