第2章 エンドレスエイプリル

第二章31 《二度目の4月9日は突然に 》

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 ここは何処だ……

 目の前が真っ暗で何も見えやし無い


 それに、痛い……

 何だ、この痛みは?

 頭部の辺りがやけに熱を帯びている様で、思わず抱える様にして掴んでいた自身の頭皮が高熱のインフルエンザにかかった寝たきり患者の若く熱い。


 意識が……定まらない……


 そんな時、声が聞こえた。



「…ァー? ね……聞い…ほ………だけど」



 少しずつ視界が晴れていくのが分かる。

 目眩から醒め、立ちくらみから回復する様な感覚だ。

 歪んでいた視界は少しずつ色彩を取り戻し始め、止まっていた風景がカセットテープの様にゆっくりと、再生を始める。

気が付けばそこは、見慣れた風景と……



「あんな娘いたかしら?ねえファーは覚えてる?」


「……は?」


「は? って何よバカ。 だーかーらー覚えてるかどうかって聞いてるのっ。あの娘の事」


「……はぁっ!?」



 俺はギクリとしてしまって、瞬間的に身の毛が総毛立つのを感じた。

 少し前までぽけーっと開いたままだった口内からは間抜け声が発せられ、目の前に座っている小柄な少女の機嫌を大いに損ねる。


 見覚えのある少女だった。

 瞼は二重で、少しつり上がった挑戦的な目付きが特徴的な、見た目だけなら他に類を見ない程に可愛らしい美少女。

 明らかに座っている机の大きさが少女にはアンバランスで、まるで座らされている七五三の撮影時の様な感じだが、まあそれはこの際どうでも良い。

 俺はそんな場違いな事を感じながら、思わず目の前の少女の小さな肩に両手を伸ばすと、存在を確かめる為に思い切り掴んだ。



「ちょ……ちょっと何で人の肩をいきなり掴んで…… 離しなさいって」


「刺し傷が無い……どうしてだ!さっき確かに音楽室で!」


「何の事よ!刺されたって。私は至って元気なのに。さっきからファーおかしいんじゃない……ひゃっ!?」



 俺はポンポンと少女の細い腕を上から下へと確かめる様に触って確かめて行く。

 少しコワゴワした制服のブレザー越しでも伝わる微かな温もりは、少女が生きている事を確認するには十分すぎる程だった。



「ちょっと……どうしてそんなに触って来るのっ。こ……こら! セクシャルハラスメントで訴えるわよ!」



 何度も、何度も繰り返し触って確かめる。

 その全てが小さくて、雑に触ったら壊れてしまいそうな焦燥感をこちら側に彷彿とさせる。



「そんなはずが……無い。俺は、タイムマシンなんて起動したはずが……」



 やはり何処の記憶を辿っても見つかる気配がない。



「なら、自然的に時間が逆行したとでも言うのか!」



 だが、そうでも無きゃこの事態の説明がさっぱり付かなかった。

 驚くべき事に一度見たことのある風景が、体験した覚えのある瞬間が今、目の前で再び展開されているのだ。

 そして何より……彼女が、四夜 いちごが以前と変わらぬ姿形でここに存在している。

 ここまで動かぬ証拠を列挙されて仕舞えば、混乱覚め遣らぬ俺でさえ頑なに認めぬ訳にはいかなかった。


 四夜 一期が生きている、と。

 それは同時に、俺が何かしらの原因によって再びタイムトラベルしたのだと言う事でもある。


 自ら下した衝撃的な結論に追い付けないB級品の脳ミソは完全にその機能を停止し、四夜の柔らかい二の腕辺りを掴んだままオーバーヒートを起こす。

 そうやって四夜と俺は互いに見つめ合わせたまま暫く固まっていた。

 そんな中、少しずつ四夜の顔が赤くなっていく様子を眺めながら「まるで信号機みたいだな~」等と幼稚園児的思考に甘んじていた俺は、唐突に訪れた激痛によって否応なしに正気を取り戻す事になる。



「離しなさいって、そう言ってるの!」



 ガツンッ


 四夜のはいているローファーの鋭い爪先部分が、脹ら脛の骨に風を薙ぐ鋭利な一撃で以て突き刺さる。



「うっ……」



 激しい痛みに思わず奥歯を噛み締め、内側からひ弱な声が漏れる。

 だが同時に、蹴られた場所に覚えもあった。

 それは四夜が行方不明になる前、二回も蹴りを入れられた場所だ。



「これも、同じ箇所……」


「訳分かんない事ばっかり言ってないで、少しは周りを見なさいよ……」



 モジモジと俺の束縛から脱出を試みる四夜は、紅色に染めた頬をひくつかせ、妙に色っぽい視線を周囲へ遊ばせる。

 俺はそんな四夜の視線につられ、おそるおそると首だけをそちらに向けるが、次の瞬間振り向いた事を心の底から後悔した。


 当然ではあるが、周囲の目線は性癖異常者を見る冷たい視線であり、同級生のクラスメイトに向ける代物ではない。

 例えるなら……そう、性犯罪者とか、怪しい新興宗教を熱心に布教してくる信者とかを見る、理解し難い異端者へ手向ける目線。

 まさにそれだった。


 少し冷静になって考えて見れば当然の事だ。

 何せ今は授業中、しかも初めからクラスメイトの話題は俺と四夜の同居騒動に集中していた。

 その矢先にこれだ、突然四夜の腕を掴んだと思えば訳の分からない事を大声で言い出す危ない奴。

 村田でさえ……いや、こいつはそんな事にも気が付かず机に突っ伏してした。


 そいつを除けば、現在の状況にも気が付けないでいるのは、相変わらず小五月蝿いBGMで有り続ける教卓の先生くらいの物であった。



「行くぞ……」



 今さら周囲の目線を気にしても意味がない事にナマケモノ並みの思考速度気が付いた俺は、力強く、彼女の細く白い腕を引っ張り上げると、半ば無理やりにでも立たせる。



「えっ!?さっきからどうしちゃったのよファー……」


「どうもこうもねえ!ここに居ちゃいけないんだ!」



 勢い良く立ち上がった反動で少し傾いた四夜の机が俺の膝に引っ掛かって大袈裟に横転する。


 ガタンッ!


 と大きな音をたてて横倒しになった四夜の机は、周囲に部活勧誘のパンフレットを撒き散らす。



『時間は有限だぁよ』



 ああ、癪に障るが今の俺にはお前の言葉が全然否定出来ねぇよ、ちくしょう……。

 今の俺に出来る事。

 考えたって恐怖で萎縮した俺の脳髄では出てくる答えも決まっていた。



「逃げるんだよ。兎に角遠くまで!」



 そう言うと俺は、四夜の手を引っ張って走り出した。

 足元に散らばる四夜お手製の手書きパンフレットの数々も、言葉を失う周囲のクラスメイトも、全てを置き去りにして走り出す。


 兎に角必死だった、ここに何もせずにいれば、また数時間後には四夜が無惨に惨殺される。

 理由は分からない、犯人も分からないとなると、いち早くこの場から逃げる以外に手はないと思ったのは当然の判断だったと思う。


 しかし、一心不乱に走り出す俺は一つ大切な事を失念していた。

 それに気が付く頃には、もう全てが手遅れだとも気が付かぬままに。


 愚鈍なるメロスの逃走劇が、全て無に帰すまで。


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