第37話 切り札(ユキ視点)

 たった三〇〇秒。

 私の切り札が発動できるまでに要する蓄積時間。

 その短い時間の間に帝国で五本の指に入る騎士のヨシュアがボロ雑巾のようになっていた。


「このガキィ……グハっ!」


 ノウスの拳がヨシュアの腹部に突き刺さる。

 雪山をも崩しそうな壮絶な威力の打撃だが持ち前の反射神経と戦闘技術でいなすヨシュア。

 しかし圧倒されていることに変わりはない。

 元が獣人の少年ということもあって体格は小柄で長い爪や毒の牙も持たない。

 されどその身体能力は物理法則すら凌駕する。

 伝説級の武器の貯蔵庫と化したヨシュアが徒手空拳の相手に何もできないというのは初めて見る。


 間違いない。

 仮にこのバケモノが海を渡り本国に行って破壊衝動の赴くまま暴れまわれば一年ともたず人類は絶滅する。

 だから、ここで倒す。


 準備は整った。


 私は魔法陣を起動させる。

 膨大な魔力にノウスが一瞬こちらを見るが、


「よそ見してんじゃねええええ!!」


 氷でできた手斧を投げつけてヨシュアがノウスを押さえ込む。

 表情には笑みが浮かんでいた。

『さっさとぶっ放せ』と言わんばかりに。

 分かっている。


 直径十メートルの極大級魔法陣を五個。

 編み込まれた魔術式は詠唱十三万文字分。

 魔術回復の効能がある霊薬を三瓶飲んでようやく発動できる大魔術。

 私に『空の賢者』という異名を与えたそれは天変地異の域に達している。


「《我の招来に答えよ》――――【天魔焼き尽くす極光ノーザン・ライト】」


 呟くように術名を発する。

 魔法陣に蓄えられた魔力が上空に向かって伸び、雪雲を蹴散らし青天を突く。

 空にポッカリと穴が開いたように青空が見えた。

 その青空は地上に光を降らせる。

 だがその光は日光ではない。


「グ……グググ……!?」


 ヨシュアを圧倒していたノウスの動きが止まった。

 それもそのはず。

 一見、日光のように穏やかに降り注ぐ光は人間には害がないが魔物や魔神といった魔に属する者にのみ効く猛毒のような光。


 ノウスは地面に手をつき跪くと身体の至るところから煙が出始めた。


「アガ……ガガガガアアアアアアアッ!!」


 悶え苦しむノウス。

 勝負はあった。

 過去に二度、この魔術を使うことがあった。

 ナイツオブクラウンが複数がかりでも仕止めきれなかった相手をもこれで仕留めきった。

 だから、これで運命よ、変われ――――


『忌々しい人の子よ、失せろ』


 !? ノウスがしゃべ――――


「ユキっ!! 逃げろっ!」


 ヨシュアが何故かそう叫んだ瞬間、私の腹に穴が空いた。


「あっ……」


 目の前にノウスがいる。

 昨日言葉を交わした獣人の少年の姿をした魔神が。


「バカな……何故動け……」

『我の中身は魔神だが身体はまだ獣人ぞ。

 破魔の術式に焼かれはしても因果を繋ぎ止められるほどではない』


 幼い声で残酷な説明を告げてきた。

 決着を急ぎすぎたんだ。

 ノウスが完全に魔神として復活していたのならこれで勝負がついていたかもしれない。

 私が冷静さを失ったせいだ。


 火傷しそうなほど冷たい氷の大地に横たわる。

 流れ落ちる血の暖かさが快感に変わりつつある。



 運命は……変わったな。



 私が死ぬということは未来眼で見たあの光景を目の当たりにすることはない。

 だから、あんな運命は発生し得ない。

 きっとそうだ。

 そう思えば私の死も意味があるものだ。


「ユキ!! 立ってくれええええ!!」


 すまない、ヨシュア。


 やっぱり私があなたより先に行くようだ。

 この未来眼であなたの末路を見ることは終ぞなかった。

 だから、あなたのそばは居心地が良かった。

 アイツとは違って……



 ノウスが腕を振り上げる。

 私の頭蓋を砕くために。

 一瞬、ノウスと目があった。

 精神支配されているとは思えないほどハッキリとした表情。

 よほど適合率の高い融合だったのだろう。

 器と呼ばれるのは伊達じゃない。

 そして……運命というのは皮肉すぎる。


「ユキいいいいい!!」


 腕が折られたヨシュアはもう攻撃ができない。

 叫びでは何も変えられない。


 断灯台ギロチンの刃が落ちるように拳が振り下ろされた。




 ドッ!



「…………?」


 いつまでも振り下ろされないノウスの拳。

 奴は自身の腕を貫いているのは狩猟用の矢に目を奪われて……



「アッシュのバカアアアアアアアアアッ!!

 そんな……寒い格好で外に出ちゃダメでしょうがああああ!!」


 素っ頓狂な聞き覚えがある叫び声……


 顔を声の方に向けると走ってくる人影があった。

 ノーザンライトの発動のおかげで晴れている今、一目見てそれがローザだと分かった。

 涙を零しながら弓を構え走ってくる。

 そしてその後方には……アグリッパか。

 そうか、転移魔術を……私に錨を下ろしておけば魔力消費はともかくこの距離でも確実に発動できる。


 転移魔術? アグリッパと、ローザ?

 なんだこの変な組み合わせ?

 明らかに足りない――――


 ザッ……


 突如、私の眼前に足が現れた。

 重体の身とはいえ、一切気配を感じなかった。

 これはヨシュアの使う運足術――――


「アッシュっ!! 歯を食いしばれっ!!」

 女性にしてはハスキーなその声とともに、バチンと烈しい破裂音が響いた。

 ヨシュアの猛攻をものともしなかったノウスを拳一つで吹き飛ばしたのは、


「コウ…………」


 思わず声が漏れた。


「ひどい有様だ。

 あれだけカッコつけたのにな」


 そう言ってコウは私の口に治癒の霊薬をねじ込み背を向けた。


「拳は届いた。ならば殺せる」

「おい……相手はアッシュだぞ!」


 私の諫める言葉をコウは一笑した。


「お前がアッシュを語るなよ。

 ちゃんと覚悟はしてきたんだ。

 私は……英雄になる」

「君はまだそんなことを!?」


 私が魔眼で見た未来どおりならコウはこの戦いにおいて切り札となる。

 だけどそれはあまりに残酷な未来だから私は回避したい。

 痛む体を無理やり立ち上がらせ彼女の肩を掴んで揺さぶる。


「せっかく『俺』を捨てたんじゃないか!

 君を英雄なんかにさせない為に俺は頑張って――――」


 彼女の顔を覗き込むと両の目から涙が流れている。


「いかんいかん。

 北の大地で涙を流すとすぐに凍って大変なことになるんだ」


 笑いながらコウはゴシゴシと涙を拭う。

 ようやく理解する。

 自分が守りたかった女の子は涙を流しながらも前に進める人間であるということを。


「コウ……私は、私はぁ――――」

「女々しいんだよ。ユキは。

 ただでさえ女みたいな顔してるしお上品なんだ。

 私を見習ってお前も昔みたいに『俺』って名乗ってみたらどうだ?

 お前の言葉をそっくりそのまま返してやる」


 コウは私の頭を押さえつけるようにして、告げる。


「『俺』を捨てた幼馴染オマエを英雄になんかさせない。

 相応しくないからな」


 そう言って、コウはノウスに向かって駆けていく。

 ヨシュアとは比べ物にならない鈍重な動き。

 だけど、その背中に私は……英雄を見た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る