第31話 魔神の器

 テラスから自分の部屋に戻る前にアッシュやローザの様子を見に行こうと思いユキと一緒に場内を歩いた。

 ローザは部屋にいなかったが、部屋を整えていたメイドにヨシュアの部屋に向かったと聞かされて全てを察した。


「アイツ、顔のいい男大好きなんだよな……」

「そうなんだ、ヨシュアも女の子大好きなんだ……」

「私としてはちゃんと伴侶見つけて幸せになってほしいと思ってるんだが」

「うん。こちらも似たような感じだよ。

 あれでいて情は深いからちゃんと妻を娶れば大切にすると思うんだがな」

「お互い破天荒な友人たちに悩ませられているんだな」


 ハア、と同時にため息をついたのが面白くてちょっと笑ってしまう。




 気を取り直してアッシュの部屋に向かうと、扉の前に意外な人物が居座っていた。


「シュゲル……」

「フン。ヨシュア様はともかくユキ様まで逢引とは……

 しかもそのような獣臭い娘と。

 皇族の品格が疑われますぞ」


 嫌味を言ってくるシュゲルに対しユキはふんわりと微笑む。


「あなたのご趣味は知らないが私の連れを侮辱するのはお控えください。

 ヨシュアと違って私は後先考えられない人間です。

 この状況下で貴重な戦力を失わせないでください」


 本当にコイツ調子に乗ってんな……ひどい脅しだ。

 だが、ヨシュアに赤子扱いされたシュゲルにナイツオブクラウンの威は強いようで、


「……撤回します」


 と不機嫌そうながらも食い下がった。

 それよりも、


「どうしてアンタがアッシュの部屋の前に立っている」


 私が尋ねるとシュゲルは面倒そうに答える。


「コイツの監視に最大戦力を割くべきだと総督が判断されたからだよ。

 出陣前の晩だというのに」

「ヨシュアが?」

「あのお方は人間とは格が違いすぎる。

 たとえ人間が万の軍勢で束になってかかろうが一掃する程の力をお持ちだ。

 シャッティングヒルの向こうから押し寄せる魔獣どもの掃除もあの方が前線に出られれば造作もない。

 もし、あのお方を脅かす存在がいるとすれば……賢狼ノウス。

 存在が災厄とされる魔神以外にない」

「魔神だと!?」


 私とシュゲルの間に割って入るように言葉を挟むユキ。


「さすがの貴方も魔神を前にしては正気でいられませんか」


 含み笑いをするシュゲル。

 聴き慣れない単語に異様に反応しているユキを見て俺は思わず言葉を挟む。


「おい、ユキ。

 どうしたんだよ、顔色が悪い――」

「顔色も悪くなるよ! 魔神だと!?

 そんなものが北の大地で観測されているなんて聞いていないぞ!」

「無理もありませんな。

 私ですらその存在を知ったのはジェラート卿の謀反計画に乗った時ですから。

 魔神の存在を本国が知れば確実に討伐軍が派兵される。

 そうなればジェラート卿の謀反など夢のまた夢。

 黙っておかれたのでしょう」

「……あの政治屋め……死刑すら生温い」


 怒りに歯を食いしばるユキに私は尋ねる。


「魔神ってなんだよ。ものすごく強い魔物の類だとは分かるけど」

「違う! あれはもはや生物なんて呼べる代物ではない!

 人間を超える知能と災害にも等しい破壊力。

 そして人類文明を憎悪するかのようにとめどない破壊衝動……

 以前、戦ったことがあるがナイツオブクラウンの内六人が出撃してかろうじて勝利はしたが満身創痍だった。

 私とヨシュアだけではとても歯が立たない!」


 冗談だろ!? とは口に出せなかった。

 ユキの顔が青ざめ切っていたからだ。


「だが、まだ魔神は完全に復活してはおりません」

「なに?」

「賢狼ノウス……北元郷の奥地に生息する狼の中で数百年に一度に先祖返りする個体が現れるという伝承がありますが、それが奴です。

 人語を理解し、山のような巨体で、燕よりも速く空を滑るように動き回る。

 大昔、その狼を狩るのに何千もの兵が戦死したと言われています」

「討伐には成功したのか」

「ええ、その自体は」


 シュゲルは再び含みのある言い方をしてユキの顔色を窺う。


「……貴公がその存在を知ってもなおこの地に残り続けている。

 何かしらの切り札があるのだろう」

「慧眼、流石でございますな。

 おっしゃるとおり、賢狼ノウスといえどもでかいだけの狼。

 現代の北面騎士団の援護を受けられれば私の力でも押し返すことはできると踏んでいます。

 ですが、伝承には続きがあります。

『無数の刃を受けて倒され、こと切れかけている賢狼ノウスのそばに一人の獣人の少女が駆け寄った。

 するとその少女にノウスの身体は吸い込まれてしまう。

 想定外の事態に困惑した兵たちが次の瞬間、目にしたのはこの世のものとは思えないほどの大魔術。

 氷の大地はマグマと変わり、兵たちはすべて灰になった。

 賢狼ノウスは死んだ。

 だがその力は器に注ぎ込まれた。

 器は力を注がれたことで完成し、賢狼ノウスよりも遥かな高みに到達する。

 

 魔神ノウス――――獣人の小さき身に賢狼の力を蓄えた災厄。


 人の子がいなくなった北の大地には永い冬が訪れる……』

 この扉の向こうで眠りこけているあの獣人の小僧こそ当代の魔神の器。

 あれがノウスと接触することだけは絶対に避けねばならないのです」



 アッシュが……魔神の器?

 ジェラードの部下の貴族の地下で私がたまたま拾ったアイツが?


「意外だね。貴公がその器をむざむざ生かし守っているのは。

 始末する方が手っ取り早いと考えなかったの?」

「もちろんそれで済むならば越したことはないのですが、これもまた別の伝承に。

『器は常に一つ。

 これは変わることのない摂理。

 器が割れれば補うように新たな器が何処かに生まれ落ちる』

 とあります。

 要するに殺してしまえば自分たちの管理から離れたところで新たに魔神の器が誕生する。

 ならば手元で管理しようと監禁していたのですよ」


 アッシュは貴族屋敷の地下に監禁されていた。

 暗闇の中で鎖で繋がれただ息をしているだけの状態で。

 生きていることだけが重要でそれ以外はどうでもいいと言わんばかりの非道な扱いもシュゲルの証言どおりならば理屈が通る。

 でも……


「アッシュがその魔神の器かどうかなんてどうやって調べたんだよ?」

「さあな。私もそう聞かされているだけだ」

「だったら違うかも知れない。

 むしろジェラードの奴がベイリーズ総督の心を乱すために吐いた嘘かもしれない!

 いや、絶対そうだ!」


 私は声を荒げる。

 シュゲルは余裕ぶった表情で私を見下ろす。


「伝承に基づく仮説に信憑性を問うのはナンセンスだろう。

 それにこの件は北面どころか帝国の存亡に関わる事態だ。

 辻褄の合う事象があれば警戒はやむを得まい」

「だけどアッシュは――――」

「やめろ、コウ。

 シュゲル殿の言っていることはおそらく正しい。

 似たような現象を実際に見たことがある。

 魔神というのはこの世の理とは異なるところから出づる存在。

 そして、この世そのものを喰らおうとする災厄」


 ユキは張り詰めた表情で俺の肩を掴んで言葉を続ける。


「真の力を取り戻す前に魔神を叩けるのなら好機だ。

 本国に戻り他のナイツオブクラウンを集めようとしても方々に散っているため時間を要する。

 奇しくもヨシュアの悪趣味が巧手となったな」


 その賢狼ノウスとやらが討たれれば何の問題もない。

 だが、討ち漏らしここまで辿り着き、アッシュと接触してしまえば……


「もし、賢狼ノウスの力を吸収してしまえばアッシュはどうなる?」


 私の問いにシュゲルは皮肉めいた笑みで私を指差した。


「お前の変身トランスと同じさ。

 あの小僧の肉体の操り手が変わる。

 ただ違うのは文字どおり奴は器なのだ。

 本来の中身であるノウスが入ってきた時、仮置きされているだけの人格は居場所を失うだろう」

「そんな……」


 そんなの死ぬことと同じ……いや、それ以上に酷い。

 人格を塗りつぶされた上に大陸中の人間を殺し尽くすほどの殺戮を行うなんて……


「心配するな、コウ」


 ユキが私の両肩に手を乗せた。


「私が必ず魔神になる前に始末する。

 あの少年は何も変わらない。

 君は凱旋報告をここで一緒に待っていればいい」


 自信にあふれるユキの言葉を聞いて一瞬落ち着いたが、


「ちょっと待て。

 おい、私を戦場に連れて行かないつもりか?」

「君の変身トランスは短期決戦特化のスキルだ。

 今回の戦いはどう考えても長期戦になる」

「いや、それを差し引いても私の実力は並の騎士や冒険者に引けを取らないだろう!」


 援護を求めるようにシュゲルを見つめると、嫌そうな顔をしながらも口を挟んでくれた。


「北面騎士である以上、魔獣討伐は日常的にやっております。

 能力を理由に下がらせるのは少々苦しいのではないですか?」

「私もコウの実力は評価している。

 だから留守を任せるんだ。

 同様にアグリッパも残す。

 通信と転移が可能なアグリッパと遊撃戦が得意なコウが控えておけば守りは万全だ」


 ……アグリッパもか。


 俺が浮かない顔をしていると、ユキは言葉を付け加える。


「個人的に君を恨んでいることは事実だが、それ以前にあの人は帝国騎士だ。

 君を害することはもちろん非協力的な態度を取ることによる不利益は理解している。

 信用してやってくれ」


 ユキが私のことを後方に置いて守りたがっているのがひしひしと伝わってくる。

 それはいい格好をしたいとかじゃなくて、私から戦いを取り上げたいからだ。

 手ごろな役目を与えておきながら、ユキは自分でかたをつけてしまうつもりなのだ。






「ああっ! コウ!」


 部屋の扉を開けるとアッシュがひしっと抱きついてきた。


「元気そうだな。傷は痛まないか?」

「うん。それよりコウのその格好……」


 アッシュは体を離してまじまじと女の姿をした私を見る。


「似合わないだろう。

 悪趣味な奴にハメられて――」

「ううん! とってもきれいだよ!

 ローザにも負けないくらい!」


 アッシュはそう言って私の首筋に鼻を埋めるように抱きついてきた。


「……ちょっと、気安すぎないか?

 女性に遠慮なしに触れるのは無礼というものだろう」


 ユキが不満げにそう言うとアッシュはニヤリと笑って、


「フン! アンタだってコウの匂いが染み付いてるよ!」

「私はそんなに密着させてもらっていない!」


 子供にムキになるなよ、ユキ……


「いいんだよ。アッシュはまだまだお子様だもんな」


 私はそう言って彼の頭を耳と一緒に撫で回す。

 気持ちよさそうに目を細める彼は子犬のようでシュゲルの物騒な話なんてガセのように思えて来る。


「ねえ、コウ。

 俺たちいつ家に帰れるんだ?」

「心配するな、じきに帰れる。

 それまでは城の中でゆっくりしておこう。

 私もローザも一緒だ。

 いつもと変わりないさ」


 安心させるようにゆったりとした口調でアッシュに語りかけた。

 そうしているとこれから始まる戦いに参戦しようという気持ちが薄れていく。

 世界の命運をかけたような戦いには加われなくても、私には私の守るものがある。

 それでいい、って思うことにする。

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