第30話 親友を想う(ローザ視点)

 連日の徹夜による睡眠不足を解消するためにたっぷり寝てやろうと思っていたのに四時間もしないうちに目が覚めた。

 お肌に悪い、と苛立ちながら身体を起こす。

 あてがわれた部屋を見渡すと化粧台と高級そうな美容品、美容器具を見つけた。


「おおおおっ! これは素敵なことになってるじゃない!

 ちょっと家に持ち帰っても怒られないよね?

 こんな騒がしいことになってるし」


 と、見えない誰かに言い訳して化粧品の瓶に手を伸ばすと――――


 コンコン、とドアを軽快に叩く音がした。





「ほう……素晴らしいじゃないか。

 見立て通り君には返り血より頬にさす薄紅の方が似合う」

「お心遣い誠に感謝致しますわ、ヨシュア殿下」


 広い個室の大きなソファに寝そべるようにして私を見下ろしているヨシュアに対してドレスのスカートの裾を摘んで深々とお辞儀する。

 起きたと同時にメイドが部屋に入って来て見る見る間に身嗜みを整えられた。

 目の前にいるヨシュアが私を部屋に招きたいと言い出したからだ。


『完璧なヨシュア』の好色ぶりは帝都で知らぬ者はいない。

 曰く、毎晩十人以上の女を抱くのだとか、倒した魔物の数より抱いた女の数の方が多いとか、既にお子が百人以上おりその把握をするために新たな官庁を作られたのだとか、ロクでもない噂で蔓延しており、故に良識ある家の令嬢達は彼に近づかないように教育されている。

 私もその一人だ。

 たとえお子ができても認知すらしてもらえず傷物にされるだけの男に嫁がせたい親はいない。


 ただ…………べらぼうに顔がいいんだよなあああああ!!

 ヤバイ、近くで見るの初めてだけどめちゃくちゃ好みだ!


「お眼鏡にかなって光栄だね」

「え!?」


 心を…………読まれt


「違う違う。心を読んだわけじゃない。

 君が何考えてるか分かりやすい表情かおをしているだけさ」


 ヨシュアは笑いながらそう言って身体を起こし、ソファを叩いて自分の隣に座るように促してきた。

 鍛え上げられ均整の取れた彫像のような身体を厚手のガウンで包んだヨシュアからは雄の体臭と柑橘系の香水の混じった香りが漂っており、ワクワクしてしまう。

 本来の目的も隠した覚悟も完全に忘れてしまいそうになる。

 いかんいかん。


「レンフォード家のご令嬢が結婚直前に行方不明になったというのは聞いていたがまさかこんなところで出くわすとは思わなかった」

「あははは…………本国に帰ったらご報告されます?」

「冗談。俺は女の秘密は守り抜く男だぜ。

 そもそもアレはバルメロのやつが悪いってことでナシがついてる。

 君と別れた後、早々に別のご令嬢が輿入れされたんだがひと月もしないうちに離縁。

 素行不良で副団長の任も解かれ腫物扱いさ」

「ええっ!? なんで!?」


 私が驚くとヨシュアは唇を私の耳に寄せて、


「ここだけの話、アイツ……ベッドの上で昂ると女の首を締める癖があったんだよ。

 歳食って偉くなるにつれてどんどん悪い癖が増長して、ついにはあちこちの娼館から締め出しをくらいまくった。

 で、しょうがないから嫁をもらうことにしたのさ」

「うわぁ…………」


 想像するだにゾッとする。

 あんな野蛮で汚らしい男に貞操奪われるだけでなく首まで締められるとか豪華すぎる地獄だ。

 前世でいったいどんな悪さをしたらそんな目に遭うのだろう、ってくらい。


「君じゃなくてよかった。

 心からそう思う」


 いつのまにかヨシュアの腕が腰に回されている。

 甘い吐息に耳がくすぐられてぼーっとしてしまう。

 ぐぬぬ……欲に負けるな、私!



「興味本位で聞くんだけど、コウちゃんとは寝たことあるの?」

「うぇぃっ!?」


 冗談めかしてヨシュアが聞いて来たので思わず変な声が出てしまう。


「あ、もしかして図星?」


 思いっきり否定しようかと思ったが……ふと思い出す出来事があった。

 返事の代わりにそれを語ることにする。


「帝都を出て間もない頃、たどり着いた小さな街で初めて二人、同じ部屋に泊りましたの。

 それまで野宿続きだったし行水すらロクにできてなかったからすごく気分が上がっちゃってえ……

 ほら、当時のコウって成長前でまだ少年っぽかったというか、中性的な魅力に溢れていたというか。

 それに恩人なわけじゃないですか。

 望まぬ契りを交わさせられそうになっている貴族令嬢を救い出す冒険者っておとぎばなしになりそうなくらい素敵でしょ?」

「たしかに心が躍るな」

「でしょ! だからその夜、ベッドで横になっているコウの……」

「うんうん」

「ズボンとパンツを引き摺り下ろそうとしたわけですよ!」

「激しいなオイ」


 身を乗り出して来ていたヨシュアがずっこけるようにソファの背もたれに倒れ込んだ。


「いや、だって女が男に身体でお礼をするとなるとやっぱりご奉仕的なところからかな、と」

「否定はしないが……君、かなりの手練れ?」

「ううん、耳年増な処女でございます」

「にわかに信じがたい」

「だけど、ズボンに手をかけた瞬間コウが目覚めて暴れ出して」

「だろうなあ」

「でも、戦闘モードじゃないコウ相手なら私の方が力強くて」

「ムチャクチャだな……君は……」

「思い切りズボンを引っ張ったら下のパンツも脱げて、ワクワクしながら目を向けると私と同じモノついてるじゃありませんか!

 ショックでしたわぁ……」

「コウちゃんの方がな!!

 何ワクワクしてんだよ!?

 お前やってること完全に痴女じゃねえか!?」


 大笑いしながら私を罵るヨシュア。

 私のような乙女を捕まえて酷い言い草なんだが、あまりにも朗らかに笑うから勘弁しておいてあげよう。


「流石のコウも涙目になってねえ……場の空気を変えるために『私は同性愛って全然オッケーだと思うわ!』って笑いかけたら思いっきりビンタで張り倒されました。

 後にも先にもコウが私を本気で殴ったのはあの時だけですね」

「コウちゃんに同情するよ……」


 ヨシュアはテーブルに置かれたワインに手を伸ばした。


「君さあ……おもしろい女だよ、本当に」


 出た! おもしろい女!

 古今東西自信家の男が本気で口説く時の決まり文句!

 フフ、帝都を離れても私の魅力は増す一方――――


「いや、口説き文句とかじゃなくて単純におもしろい女ってことだから。

 珍しい芸をする猿とかと同じカテゴリね」

「サルっ!?」


 ショックだわ!


「冗談はさておき……ぶっちゃけて話さないか。

 ソファに座っても身体を沈み込ませない。

 ワインに口をつけても飲み込まずこっそりナプキンに吸わせている。

 落ち着かないだろう?」


 バレてるわ!


「間者や暗殺者って類じゃない。

 だけど王の血欲しさに群がる魑魅魍魎の類でもないだろ」


 本当に……この人すごいなあ。

 異名や逸話が派手だからもっといい加減なタイプだと思ってたのに。


 しかたない……腹を括るか。



「御身を謀ろうとなどというご無礼、お詫びのしようもございません。

 もし我が心の内をお見せすること叶うのなら――」

「俺そういうの形式ぶったの嫌いなんだよ。

 ご機嫌窺いながらじゃないと俺と喋れないのかい?」


 私を嬲るようにヨシュアは視線で体を舐め回してくる。

 かかる重圧を跳ね除けて私は懇願する。


「ただ私は……コウを守りたいだけなのです」


 ヨシュアはグラスに当てていた口を外し、目を細めて私を見つめる。


「俺が何かするとでも?

 君の目の前でユキにも言ったろう。

 殺すつもりなんて最初からないって――」

「種明かしが必ずしも真実であるとは限りません」


 私がそういうと笑みを浮かべていたヨシュアの口元が引きつった。

 ようやく、この人のペースを崩せた。


「貴方はどっちにでも転ばせられました。

 コウが邪魔だったり害悪と判断したら殺す。

 じゃなければ保留。

 最悪はユキがコウを庇い立てして来た場合。

 だから、一旦ユキさんを安心させるためあんな風にヴィヴィアンの存在を利用した。

 ユキが警戒してなければコウの命なんて貴方は花を摘むように簡単に奪えるでしょう」


 ヨシュアは無表情ながらも真剣に私の話に耳を傾けていた。

 それが答えだと思っていいのかしら?


「君みたいに勘の鋭い子はあまり好きじゃないな」


 おどけた口振りだが目が笑っていない。

 だから私も言葉を返さない。

 するとヨシュアは、ふうっ、とため息をついて膝を立てて語り出した。


「捉え所のない奴だとか何考えているのかわからん奴だとかよく言われる。

 そのくせ頭がキレて腕が立つから扱いにくいって。

 俺は何がどう転んでも楽しめる性質タチってだけで思いつきで動いてるだけなんだけどなぁ」


 目が覚めるような美貌、神からの寵愛を思わせる才覚、そして最高級の血統。

 しようと思えば何でもできてしまう奴に思いつきで行動されては周りはたまったもんじゃないわ。



「ユキに初めて会ったのは六天騎士団の連中にしごき回されている時だったな。

 娘と言われた方が納得いくような華奢で可愛らしい男の子が歴戦の強者ですら目を背けたくなるような苦行を黙々とこなしている。

 何がそいつを支えているのかが気になったが……特に何もないんだ。

 皇族としての矜持や強さへの憧れでもない。

 透明な水がさらさらと上から下へ流れるように自分がそうする事が当然であると受け入れられるほどの純粋。

 言い方を変えれば心に置きとどめているものが何もないと言える。

 見方によっては悲しい人間だが、俺はそれを美しいと思った」


 恍惚とした表情でヨシュアは宙を仰ぐ。


「互いに尊敬し合う関係は親密な友情ともなり得る。

 俺と奴はすぐ親友になった。

 おかげで退屈だったナイツオブクラウンの集いも少し楽しめる気配が出て来た。

 だけど、不安にもなる。

 ユキの純粋がなにかの拍子で崩れてしまうんじゃないかって」

「コウがその原因になると?」

「だってそうだろ。

 ユキはコウちゃんを忘れるために過去との決別に勤しんだ。

 コウちゃんはユキが空っぽになる前の中身だったんだ」


 ヨシュアは拗ねるように口先を尖らせて頬杖をついた。


「ユキ様を変えてしまいそうなコウを疎ましいと?」

「別に殺したいほど憎いかと言えばそうじゃない。

 なかなか興味深いタイプだしね。

 だけどユキを変えられるのは見ていて落ち着かない。

 君にとってもそうじゃないか?」


 ユキとの再会はコウを変えてしまうかもしれない。

 そもそも私とコウとは女同士でいつまでも一緒にいるのは難しい。

 だから幼馴染の上、男であるユキに嫉妬したりもしたし……ああ、そうか。


「たしかにお気持ちは分かりますよ。

 ただ、殿下の今悩まれていることは私が既に通り過ぎた場所でございます」

「どういうことだ?」

「あなた様のお言葉を借りるならば、どう転んでも楽しめる、ということです。

 私はコウがユキ様と男女の関係になってもそれはそれで楽しいんですよ。

 あの男よりも男らしいコウが乙女みたいに恥じらったり焦がれたりするのを見てみたい。

 恋の悩みを相談されたりオシャレするために服を買い揃えたり。

 今の同棲生活も楽しいですけど、きっとそんな女友達になるのも楽しい。

 だからユキ様の存在は邪魔ではないんですよ」


 ヨシュアは私の腹を探ろうとするかのように目を細めているが、残念ながら本音も本音だ。

 そのことが分かったのか諦めたようにかぶりを振って呟く。


「君は心が広い。

 つくづくコウちゃんが羨ましいよ」

「殿下はそうは思えませんか?」

「あのカタブツが色を知って変わる、か。

 悪いことばかりではないのかもな」

「そうですよ!

 特に殿下は女性にお詳しい!

 女性を悦ばす手練手管はお手の物!

 ユキ様からさらなる尊敬を集めることとなるでしょう!」

「……そうなると間接的に俺の手練手管でコウちゃん悦ばすことになるのでは」

「あ! それは嫌でございます!」


 私が頬を手で覆うと、ハッハッハ、と大きな声でヨシュアは笑った。


「まったく、君はとことん面白い女だ。

 コウちゃんに死なれた日には君のその面白みも翳る。

 こんなにもったいないことはない」

「それじゃあ……」

「ユキのケアを俺がやれば問題ない。

 コウちゃんとどうなろうが、騎士としてのアイツは俺が支え切ってやるさ」


 吹っ切れたようなヨシュアの表情を見て私は胸をひとまず撫で下ろした。


 それにしても『完璧なヨシュア』がここまで男友達を寵愛しているとは思わなかったなあ。

 ま、私も似たようなもんなんだけどね。


 強くてカッコいい年下の同棲相手。

 私の人生を救って狂わせて、楽しいものにしてくれている。

 唯一残念なのは性別が同じだということ。

 でもこれはこれで悪くない。

 たとえアイツが誰を愛そうと私は別枠で特別でいられればいい。




「で、安心したところで……これからどうだい?

 ご期待に応えて今度は俺が君を愉しませてあげるよ」


 ヨシュアは髪の毛をかき上げ、露骨に私を誘惑して来た!


 ドレス脱ぎ散らかしてその胸に飛び込みたい衝動に駆られるが――――


「ここはガマンしておきます。

 ユキ様も私も貴方様に取られてしまったとなってはコウが可哀想ですので」

「ほほう。つまり、ユキがコウとねんごろになった暁には?」

「そりゃもう喜んで。首にリボン巻いて操を捧げますよ」


 そのあと滅茶苦茶ふたりで大笑いした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る