第29話 私の英雄

 慣れないベッドの上で見た夢は子供の頃の思い出。


 きっとユキがあんなことを言いやがったからだ。


「調子に乗りやがって……」


 悔しくて涙が出てきそうになる。

 アイツはいったい俺に何をしたっていうのか。

 何年かぶりに会って話しただけなのに心が乱れて扱いきれない。



 俺とローザとアッシュは総督府の中の客間にそれぞれバラバラに押し込められた。

 軟禁といった方が適切な扱いだったが、疲労困憊だった俺は文句一つ返せずベッドで眠りについた。

 おそらくあの二人もそうだろう。


 起き上がってみると妙に身体の調子がいい。

 かなりの負傷を負っていたはずなのに。

 今日受けた傷だけでなく他の治りかけだった傷まですべて綺麗に塞がれている。

 ユキの治癒魔術かと思うと少し悔しい。

 下着のシャツを脱ぎ上半身を露わにして部屋に備え付けられた鏡で自分の身体を観察する。

 やはり、昨日今日の傷は消えても既に刻み込まれている傷は消えはしない。

 腕にも脚にも腹にも胸にも、修行や戦いの中でついた傷は数え切れない。


 コンコン、とドアを叩く音に続いて「私だ」とユキの声が聞こえた。

 チッ、と舌打ちしながらも立て篭もるわけにもいかないので「どうぞ」と応える。

 ゆっくりと扉を開けると――


「うわああああああああっ!?

 コウ!! 服!!」


 あ……忘れてた。

 

 背中を向けて服を着ようとするが、眠る前に着ていた服が無い。

 代わりに置かれていたのは女物のドレスだった。

 汚いものを見るような目でユキを睨め付ける。


「……手当てをした者の仕業でしょう」

「こんなに身体の調子がいいのは久しぶりなんだが。

 まるで高度な治癒魔術を受けられたみたいに」


 バツが悪そうに顔を背けるユキ。


「手頃な服がなかったんだ」

「そういうことにしておいてやる」


 フン、と鼻を鳴らしてドレスを着込んだ。

 下着姿でいるには城の中は寒いし、別に女であることを捨てた覚えはない。


「しかしこんな嫌がらせをするなんて余裕があるじゃないか。

 街の混乱は治ったのか」

「ああ。アグリッパが拡声魔術を駆使して呼びかけてくれたからね。

 それに街の冒険者たちが混乱を封じ込めようと自主的に動いてくれていたし。

 中心にいたのは槍使いのガリウスとかいう男だ。

 知っているか?」


 良かった、ガリウス……生きていたんだ。

 ホッとして思わず顔が緩む。


「そんな顔もするんだ。

 良かったね。親しい男が無事で」


 ユキが不機嫌そうに唇を尖らせている。

 何を勘違いしているのか。バカな奴だ。

 いや……バカは俺もだな。

 今のユキと俺は気やすい言葉を掛け合える仲じゃない。


 俺はユキに向かって頭を下げる。


「……すまなかった。

 六天騎士団の連中を殺してしまったこと」


 少し言葉を交わす程度の仲のガリウスが生きていた事ですらこれだけ安堵してしまう。

 俺がランジェロやヴェルディを殺したと聞いた時、モーモントの死体を観た時、ユキの心がどれほど傷付いたか想像もできない。


「ヨシュアやベイリーズ元総督が言っていたとおりだ。

 命令や自己防衛の上での殺人を罪に問うことはできない」

「だとしても結果は結果だ。

 お前から恩人を奪った。

 そのことに変わりはない」


 昔の思い出では六天騎士団の連中には嫌な感情しかなかった。

 俺とユキを引き裂いた元凶で俺のことを見下し野良犬を蹴飛ばすように追い払った。

 だが、実際戦ってみたアイツらは自らの目的と信念に殉じた紛れもない騎士だった。

 焚き火に薪をくべるように自らの命を懸けて俺を殺しにかかってきた。

 あの情念と同じだけの量をユキに注いで育て鍛え続けてきたのならばユキの彼らに対する恩義は計り知れない。

 俺はユキから彼らを奪った……永遠に……


「君を責める資格なんて私にはない」


 悔しそうなユキの顔を見てなんだかいたたまれなくなる。

 そういえば、俺が村長を殺した後のユキもしばらくこんな顔をしていた。

 あの時と違うのはユキはすぐに表情を整えて、しっかりと俺の目を見た。


「だが、彼らは自分の信念の元、仕える相手と戦う相手を選んだ。

 その結果の死ならばそれは騎士として果てたということ。

 私に謝るということは彼らを侮辱することと知れ」


 俺が守らなきゃいけなかったか弱い少年はもういない。

 いや、そんなの最初からいなかったのかもしれない。

 バカな俺が暴走するのを止めるために、そう甘んじた少年がいただけで。


「分かった。じゃあもう二度と謝らないさ」


 そう言ってユキの横を通り過ぎようとする――が、手首を取られた。


「私の用件は終わっていない」

「なんだよ。ドレス姿も裸も見てまだ満足できないのか?」

「そ、そう言うことじゃない!

 せっかく綺麗に成長しているのにどうして君はそんな風にしか!」


 少し顔を赤らめて俺の目を見ようとしたり胸を見ようとしたり目が泳いでいる。

 おいおい、本気で俺を女として意識してるのかよ。

 ローザみたいな綺麗な身体や可愛らしい顔をしているのならともかく、こんな傷だらけで目つきの悪いヤツを。


「なんだか、お前残念なヤツになったな。

 なまじ見てくれだけが良くなった分」 

「誰が残念だって!?

 これでもナイツオブクラウンの第八席!

 帝国最高の魔術師とさえ呼ばれているんだぞ!」

「最強とか最高とか、今日はそんなのばかり聞かされてるな。

 は本当、そういうの好きだよな」


 ぐぬぬ、と言わんばかりにユキが口をつぐんでいる。

 それがとても間抜けで思わず笑ってしまう。


「コウ……たしかに私たちは変わった。

 変わってしまった。

 外見も中身も持っているものも、お互いの関係も。

 だけど、それでも変わらない事がある。

 私と君は幼馴染だということだ。

 せめて今だけは幼馴染として君に接していいか?」


 真面目ぶったユキのセリフを聞いて俺はため息をつく。


「やっぱり、お前は残念なヤツだ」


 そう言って背の高いユキの髪の毛を掴んで引き寄せ、耳もとで呟く。


「そんなこといちいちお伺い立てるもんじゃないだろ……


 何年かぶりにその名前を呼んだ瞬間、俺の心が暖められて柔らかくなってしまうのを感じた。




 外は真っ暗だが良く晴れていて、無数の星とオーロラで夜空が彩られていた。

 分厚いマントを羽織ってテラスに出たところでユキは物珍しそうに空を見上げていた。


「北面に来たのはこれが初めてか?」

「うん。ナイツオブクラウンの活動範囲は基本的に本国内だから」

「あんなバケモノみたいな力が必要な事態が起こっていると?」

「残念なことにね。

 危うく帝都の民を一人残さず全滅させてしまうところだった、なんてこともある。

 その直後に凱旋パレードをやれ、って言われるんだから」

「最強の騎士様も楽じゃないな」


 意地悪く笑ってやったのだが、ユキは穏やかな目をして、


「まったく、英雄なんてなるものじゃない」


 と呟いた。

 それは自嘲か俺に対する嫌味か。

 ただ一つ言えているのはユキの本音が聞けた気がするということ。


「なあ……ユキ。

 あの時、どうしてお前は俺を捨てたんだ?」


 ユキはピクリと眉を動かすと気まずそうに俯いた。


「黙りこくるなよ。

 これでも傷付いたんだぜ。

 本音話さないと二度と口聞いてあげないぞ」


 この二度と口聞いてあげないぞ、は俺がユキに対して交渉を持ちかけるときに使う決まり文句だ。

 こう言うとユキはため息をついて嫌々ながら俺の要求を呑むのだが……


「ハハッ。分かったよ。

 素直になる。

 今更意地を張っても仕方がない」


 軽やかな微笑を浮かべてユキは俺の背中に回り込んでもたれかかった。


「もたれ心地が悪くなったんじゃないか?」

「お前が……無駄にデカくなっただけだろ」


 背中合わせになりながら大きくなったユキの身体の重さを感じる。

 あの華奢で俺より小さく情けなかった背中がこれだけ頼りがいのある背中に成長するだけの時間が流れたということを知る。


「私は元々六天騎士団とは関わりを持ちたくなかったんだ。

 彼らに村長を殺したことを知られれば罪に問われる。

 帝都で市政に紛れ、君と一緒に暮らせていければそれで良かった」

「それがどれだけ大変なことかって知らなかったんだがな」

「違いない」


 くっくっ、とユキが肩を震わせて笑うと白い吐息がふわふわと宙を漂った。

 やっとたどり着いた帝都で迎えた初めての冬。

 北面に比べれば天国のようなものだったが、馬小屋はとても寒くてこんな風に体を寄せ合っていたのを思い出す。


「詭弁だが、当時の私に君を守る力がなかった。

 六天騎士団の団員達にとって私は忠誠を誓った母上の忘れ形見。

 完璧な皇族としてのあり方を求められた。

 もし、君をそばに置いていれば――」

「俺は殺されていただろうな。

 人殺しの小娘と仲良くしているなんて皇族としてあるまじき行為だ。

 関係者を村ごと消すのも厭わない連中にお目溢ししてもらえるわけがない」


 俺がそう答えるとユキはキョトンとした。


「気付いていたのか?」

「そこまで前向きじゃねえよ。

 俺の不甲斐なさに嫌気が差して切り捨てた。

 そういう風にしか考えられないくらいお前は強かったからな。

 ハッキリ言って傷ついたんだぜ。

 行きずりの女装男に身を委ねるくらいに」

「女装男!?

 ……ああ、あの人のことか」

「俺がそんなに自暴自棄になるとは考えなかったか?」


 ユキは気まずそうに唸る。

 脇腹を肘で小突いてやるとビクリと身体を震わせた。


「ま……まあ、私が焦りすぎてたのは認めるよ。

 だけど! ショックだからって酒場でお酒を呑んだくれるなんて十三の女の子のすることじゃない!」

「アハハ、それもそうだ。

 弱いだけじゃなく頭も悪かった」


 俺が声を上げて笑うとユキもくっくっ、と堪えるように笑った。

 ひとしきり笑い終えた後、ユキが俺の手を握る。


「コウが頑張ってきたのは分かってる。

 実際、強くなったと思う。

 そうでなくちゃランジェロ達が負けるわけない。

 ……だけど、もうこれ以上、君には戦ってほしくない」

「今更生き方は変えられねえよ。

 俺は英雄になる。

 この世界に巣食う危険から人々を救う。

 お前らほどの力はなくても、出来ることはある」

「わからないヤツだね……

 私にとっては何百万の民の幸せなんかよりコウの命の方が大事なんだよ。

 強くなったのならそれは自分の身を守る力にでも使えばいい。

 そうだ! 今度こそ私と一緒になって――――」


 俺はユキの口元を掌で押さえた。


「……バーカ。自惚れんな。

 弱虫で泣き虫なユキちゃん。

 ちょっと強くなったくらいでと釣り合いが取れると思ったか」


 コイツと私は幼馴染。

 誰よりも長い時間、誰よりも近くで生きてきた。

 ユキが私を大切だと思うのは仕方ないことだけど、それだけで全てが許されるわけじゃない。

 私の罪。彼の立場とかけられた期待。

 子供の頃の純粋な想いはキレイだけれど、もう私たちは思い出に浸って生きるには大人になり、強くなり、遠くに来てしまった。

 そして、今の私にだって胸に抱く思いがある。


「コウ……」

「泣きそうなツラすんな。

 イイ男が台無しだぜ。

 私は……お前とこうやって話せて良かった。

 昔のモヤモヤが少し晴れた気がする。

 それで十分だ」

「コウ! 俺は――」

「ユキ。お前のこと、ずっと憧れていた。

 私をあの村から連れ出してくれたあの時から。

 壊れてしまった世界から私を救って一緒に逃げてくれたお前は、最高の英雄だった」


 ユキの頬に両手を添える。

 いつのまにか私たちは向かい合ってお互いの距離はほとんどなくなっていた。


「でもな……私は英雄に見初められるお姫様になりたいんじゃないんだ。

 か弱く痛々しい小娘でも英雄を目指していたいんだ」


 再会して分かった。

 自分がどうして男を真似て、強さに憧れ、戦いに身を置いてきたのか。

 それは憧れをくれたあの英雄になりたかったからなんだ。


 別れてしまった私たちの道は今再び交わって、そしてまた離れていく。

 その事を知っていたから……私たちは抱きしめ合うこともできず立ち尽くしていた。

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