第28話 少年と少女が捨てたもの(回想)

 今から十二年前、帝国領内の小さな農村に一人の男の子が親代わりの男に連れられてやってきた。

 その少年の名前はユキ。

 ヘレムガルド皇帝と六天騎士団長サラサの間に生まれたいわゆる約束された英雄というべき血統の持ち主だが、そのことを知ることなく育てられた。

 幼少の頃より親譲りの美貌と才気に溢れてはいたが、家族の縁が薄いことからか人付き合いが上手いとは言えず、また田舎特有の排他的な思想が蔓延しており孤立を余儀なくされていた。


 そんなユキを連れ出したのは同じ村に暮らす同い年の少女、コウだった。

 トレードマークの三つ編みのおさげを振り回して野山を走り回る活発さと意志の強さに溢れていた少女。

 女の子だてらに村のガキ大将的な地位を築いていた彼女のおかげでユキは少しずつだったが、周囲に溶け込み始めた。


 だが不幸なことにユキの育ての親だった男は急な病で亡くなってしまう。

 孤児となったユキに待ち受けているのは養子という名の奴隷としての将来だった。

 跡取りを前提とした貴族や商人の養子ならいざ知らず、農村に暮らす人々にとって子供とは労働力以外のものではない。

 さらに養子となれば、農耕用の牛や馬のように他の家族の暮らしを楽にするための道具に過ぎない。

 ユキがそうなることを見過ごさなかったのがコウという少女の気質と言える。

 彼女は父親に頼み込んで自分の家の養子としてユキを引き取らせた。

 それまでも仲の良かった二人だが、一緒に暮らし始めてからは姉弟……いや夫婦のように強い繋がりを持っていた。

 二人の頭の中にはぼんやりとした未来予想図があった。

 この村で誰かと結婚して子供を作り幸せに暮らして年老いて死ぬ。

 その結婚する誰かがお互いであるのならそれが一番いい、と。


 穏やかで微かな甘酸っぱさが漂っていた二人の世界は彼らが大人になる日を待たずに崩れ去る――――コウの父親の急死によって。



「いろいろと偏屈で面倒な男だったが、残してくれたものはなかなかだな」

「違いない。やもめの男には過ぎた持ち物だ。

 棺桶に入れるわけにもいかんし、村に還元してもらわんとな」


 コウの父親が亡くなり、村を挙げて葬式を行なった夜のこと。

 主人を亡くした家のテーブルに村長を始め村の有力者たちが集まっていた。

 コウが継ぐべき田畑や遺産を自分たちの都合の良いように分配する、その打ち合わせを行うためだ。

 父親が人生をかけて守り築き上げてきた物を酒の肴を摘むように、大人たちが好き勝手に略奪していくのをコウはユキとともに部屋のクローゼットの中で見ていた。

 葬式の際に今夜は別の家で寝るように命令されていたが、自分の家に村長たちが集まろうとしているのを知り、先回りして忍び込んでいたのだ。


「ユキの方は華奢でひ弱だが素直だし、何より頭が切れる。

 ただ農作業をさせるよりかは金儲けのできるようなことをやらせよう」

「そうじゃな。よそ者とはいえ村で一〇を過ぎるまで育てたんじゃ。

 恩を返すつもりで金儲けに励んでもらおう」

「フフ、見目の良さもずば抜けているからな。

 ウチの倅どもとは血の色からして違いそうだ。

 街に行けばソッチの方でも高く買ってくれるんじゃないか?」


 酒が入り会話に下種な発想が混じる。


「ソッチの方といえば、コウの役目だろうが。

 一応娘だし」

「アレは今のところ望み薄だなあ。

 少し綺麗な野猿と言ったところだ。

 体力はあるし、畑仕事と飯炊きさせておけばいいだろ」

「いやいや分からんぞ。

 アレの母親もなかなかの器量良しじゃったし、父親もハッキリした顔立ちをしておった。

 もう数年待ってみれば化けるやも知れんぞ」

「本当に良いものを残してくれおったわ!

 ハッハッハッハッハ!」



 下種な大人たちの会合が終わり、誰もいなくなったのを見計らって二人はクローゼットの外に出た。


「父さんが守ってくれないってこういうことなんだね」


 他人事のように冷たく言い放つコウ。

 利発という類ではないが彼女は歳の割に世の倣いというものをわきまえていた。

 親という後ろ盾のない者が裕福とはいえない村の中でどのような扱いを受けるのかを見聞きしておりその意味を理解している。

 裏切りにも似た卑劣な行動も仕方ないと諦められるくらいに。

 反対に学のあるユキの方がその手の世情には疎い。

 だからこれから姉弟のように育った少女が辿る過酷な運命を受け入れられなかった。


「こんなの絶対おかしい!

 獣じゃあるまいし、親がいなくなっただけでどうしてこんな目に合わせられなきゃいけないんだ!」

「私たちは獣じゃないからこれくらいで済んでるんだよ。

 庇護をなくした獣の子どもは死んじゃうんだから」

「そんな……諦めたようなこと言わないでくれよ!」


 ユキは自分のことなら耐えられると思っていた。

 どれだけひどい目に遭わされてもたかが知れている。

 育ての親からも何よりも自分の命を大事にしろと教えられてきた。

 だが、コウがひどい目に遭うのは許せなかった。

 ひとりぼっちの自分を連れ出してくれた。

 育ての親を亡くしたときも直談判して家に迎え入れてくれた。


 自分の世界の中心にいるのはコウで、世界に大事なものなんてコウ以外にない。


 ユキは決意する。


「コウ。俺と一緒に村から逃げ出そう。

 二人で帝都に上ってそこで生きていくんだ」




 家出準備にさほど時間はかからなかった。

 深酒をして酔い潰れて眠っていた村長の家に忍び込んで金目のものや食糧を盗む。

 コウは躊躇したがユキは、


「どうせ奴らは家も畑もお父さんの遺したものを全部盗もうとしてるんだ。

 先に取り返しておくだけさ」


 そう言って説得し、背嚢にたっぷり盗品を詰め込んで夜明け前に村を出た。



 ユキは育ての親からこう聞かされていた。


「もし、私に何かがあれば帝都に向かいなさい。

 帝都にいる六天騎士団を訪ねて私の名前を出せば全部分かってくれる」


 自分が彼を失った時、コウは自分を救ってくれた。

 だからコウが父を失った今、自分が救わなきゃいけないと思っていた。


 村を出てまもなく朝日が昇った。

 手を繋いで走る少年と少女を日光が照らし、朝露に濡れた草の香りがする空気が漂う。

 村を出た解放感と未知への不安が二人の胸に去来する。

 だが、それよりも大きかった感情がある。


 ユキにとっては自分がコウを救うことができたという達成感。

 コウにとっては諦めるしかないと思っていた自分の人生を救ってくれたユキに対する憧れ。


 どん底で何もない二人の子供のはずなのに、今までの人生で経験したこともなかったくらい大きな感情を抱えて、自分たちならなんでもできると思い込めるほどに舞い上がっていた。



 その夜、焚き火のそばで二人は肩を寄せ合って座っていた。

 昨夜から一睡もしないで逃亡の準備をし、日が昇ってから沈むまではほとんど休むことなく足を動かしていたから疲れは溜まりきっていた。

 焚き火ともたれ合うようにしたお互いの体から伝わる暖かさにすぐにウトウトして眠りに落ちた。


 それがまずかった。



 子供とはいえ奴隷同然の扱いができる人間の価値は家一軒に相当する。

 それが逃げ出したとなったら探さないわけがないのだ。

 まして、村長は自身の家を荒らされている。

 怒りに満ち、村の若い衆を連れて足跡を辿った。


 日が落ち野宿するか一度引き返すか考え始めたその時、向かう方角の先に焚き火の煙が見えた。

 所詮は子ども、と村長達は不敵な笑みを浮かべた。



「う………あ…………」


 眠りから覚めたコウの目に飛び込んできたのはユキが村の大人達に殴られている光景だった。

 大人達はまずユキを起こして殴りつけたのだ。

 ユキを殴ったのは女の子であるコウを傷物にしてしまっては勿体無いという程度の思慮によるものだった。


「やめてえっ!!」


 コウはユキを殴り付けている村長の腰にしがみついたが少女の腕力で大柄な中年男は止まるはずもない。


「ようく見ておけ! お前達はワシ達のモノだ!

 モノが持ち主に逆らうな!

 そんなことをしたらこうなるぞっ!」


 村長の足先がユキの鼻に当たり血が吹き出した。

 女の子より綺麗だったユキの顔が痣と血に塗れていくのを見て…………



 コウはキレた。



「しね」


 目の前が真っ赤に染まるような血の滾り。

 一方凍りつくように冷えていく感情。

 なんの訓練も受けていないただの少女は貧弱な身体をただ的確に操り流れるような動きで村長に取り付いた。

 その時だった。


「あぁ……ぐぶっ!?」


 村長の巨体がドサっと音を立てて地面に倒れ込んだ。

 ユキを取り囲んで殴り付けていた男達はそれを見て凍りつく。


 グチュリ……グチュッ……


 村長の腰に携えられていた狩猟用のナイフはいつの間にかコウの手に渡っていて、その刃には赤い血と抉り出した臓物がこびりついていた。


「しね……しね……しねぇ…………」


 コウの目は正気を失っていた。

 自分の大切なユキを傷つけるモノ全てを排除したい。

 その思いに囚われ、凶行に対する自制を失っていた。

 悪鬼さながらの形相で周りを見渡しナイフを逆手に持って身構える。


「ひ……ひえええええええええええ!!!」


 暴力沙汰はあっても戦場に出たことがあるわけでもない、田舎村の農民達に刺殺体は刺激が強過ぎた。

 また、狂気に突き動かされているような村娘の変わり果てた表情に底知れぬ恐怖を覚え、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。




 ユキは後悔した。


 その頃既にユキは中級程度の攻撃魔術は使いこなせた。

 村人達に一方的に殴られていたのは自分が人を傷つけることに嫌悪感を抱いていたからだ。

 自分の身が危ないのに何故……と彼を責めることはできない。


 冒険者や騎士の類でも人間はおろか人型の亜人をも傷つけられないものもいる。

 生き物を殺すというのは誰もができることではない。

 

 後の修行でその欠点は克服されるが当時の彼に攻撃魔術を生き物、まして人間に向けることは不可能だった。

 故にコウが自分の手を汚してしまった。


 

 その日の日没前、たどり着いた小川の中に入って二人は汚れと血を洗い落とす。


「ユキ……私、人を殺しちゃった」


 手についた村長から奪ったままのナイフの血を落としたコウが呟く。

 ユキはどんな言葉を掛ければいいか思い付かず、無言になる。


「いつもこうだ。私は考えなしに行動するから父さんに怒られたりユキに尻拭いさせたりする。

 どうしよう……冒険者がやってきて私を捕まえるのかなあ?」

「そんなのおかしいよ。

 コウは俺を守ってくれたのに……」


 以前、盗賊達が腕力にものを言わせて村を占拠しやりたい放題していたことがあった。

 耐えかねたコウの父は一人早馬で近隣の街に駆け込み冒険者の派兵を要請した。

 訪れた冒険者はものの見事に盗賊達を駆逐し村の平和が守られた。

 それ以来、村の子供達の中では悪いことをすれば冒険者がやってきて牢屋に入れられたり殺されたりしてしまう、と恐れられるようになった。


 だが、ユキはコウがそれだけ悪いことをしているとは思わなかった。

 むしろ男のくせに最愛の少女を守れなかった自身の情けなさに心を塗りつぶされていた。

 俯くユキの姿を見たコウは自分の髪をギュッと握りしめる。


「……よしっ!」


 重い空気を切り替えるようにコウが一声上げてナイフを自分のおさげに当てる。

 ブチンっ、とトレードマークだった三つ編みのおさげが切り落とされた。


「コウ!? 何を」

「冒険者に追われるかもしれないから。

 村の連中は私のことを長いおさげの女の子って説明するでしょう。

 これなら髪の短い男の子に見えなくもない」


 そう言って切り離された自分の髪を無造作に川に投げた。


「うん。その方がいいよね。

 女ってだけでナメられること多いし、これから村の外で生きていくんだもの。

 だったら、私、じゃなくて、俺って言ったほうが良いかなあ」


 吹っ切れたように笑うコウ。

 ユキは慌てて、


「そ、そんなことしなくても!

 コウのことは俺が――――」


 俺が守る、と言いたかったが言う資格がないと自覚した。

 自分が手を汚させた少女に騎士気取りな真似をできるわけがない。

 それにコウは自分を守るために気を張ることで平静を保っている。

 カラ元気だとしてもそれを止めることは憚られた。



 ユキは前髪を下ろし、自分の気弱な本性を隠すようにその瞳を隠した。

 そして、コウが俺と名乗り始めたのと入れ替わるように私、と名乗るようになった。


 コウが強くなるために変わろうとしているのだ。

 自分も変わらねばならない。

 御伽噺に出てくる英雄のように。


 奇しくもユキが目指したのは御伽噺に出てくる賢者――――彼の母親、六天賢者の異名の由来となった英雄の姿だった。

 上品な落ち着いた口調で冷静に物事を見ながら芯が揺れない。

 そんな英雄になりたかったユキは役立たずを捨てることにした。

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