第23話 戦火の発端

 ハッ、と目をさますと窓の外がやたらと白いことに気づいた。

 傷の治り具合から察するに一晩寝ていたどころじゃない時間が経過しているはずだ。


「あっ! コウが起きた!」


 部屋の中にいたアッシュが声を上げた。


「おい、いったい俺は――――っ!?」


 身体を起こした瞬間、全身に激痛が走った。

 見れば腹部から胸にかけて包帯でグルグル巻きにされてしまっている。


「ダメだよ! 全身ボロボロなんだから!」

「全身……? ヤバかったのは腕だけじゃ」

「一番ヤバかったのはたしかにそうだけど、他のところもグチャグチャだって治癒術師の先生が言ってたよ!

 放っておいたら一生ベッドから起き上がれなくなるところだったって」

「治癒術師……まさか、この家に連れてきたのか?」

「そうだよ! オレが背中に背負って往復した!

 だってそうしなきゃヤバイってローザが言ってたし、オレもコウが死んじゃうんじゃないかって怖かったんだもん!!」


 目に涙を浮かべてアッシュが反論してきた。

 その顔がいたいけで文句や説教をする気は無くなってしまった。


「心配かけたな。

 ちなみにその治癒術師が来たのはいつの事だ?」

「七日前……コウが眠ってからすぐに……」


 妙だな……それだけの時間があれば任務失敗の報は総督の元に届けられて俺の消息を探ってくるはず。


「誰か訪ねてきたり、もしくは周りを嗅ぎ回る奴はいなかったか?」

「うん。それは間違い無いと思う。

 コウが寝ている間、ずっとローザが見張っていたから」

「ローザが……ずっと?」


 思い出した。意識を失う前、ローザが約束してくれた。

 この家には誰も近づけないと。

 本当にそうしてくれていたのか……


「オレも少し手伝ってローザが仮眠したり食事摂るのを助けてたけど、ほとんどひとりでずっと。

 目を細めて、唇結んで。

 普段と違う雰囲気でカッコ良かったよ」


 ……普段は不真面目なくせに、こういう時に献身的なんだよな。


「知らなかったのか。

 アイツは最高にカッコいい女だよ」


 俺なんかより、と付け加えて立ち上がりローザが見張っている屋根を目指して歩き始めた。



 天窓を開けるとすぐそばの屋根の上でローザが弓を振り絞って立っていた。

 目の下には濃いクマができ、狩りの時にすら欠かさない化粧もしていない。


「ゆっくりとしたお目覚めね。

 喜んであげたいんだけど、ちょっとその前に相談。

 私の目に映るアレ……射っていいんだよね?」


 ローザの視線の先、約五〇メートル離れたところには冒険者時代の仲間であるガリウスがいた。

 全裸で!


「ど、どういうこと?」

「こっちが聞きたいわよ!

 威嚇射撃で腰嚢撃ち落としたんだけど、そうしたら着ているもの全部脱ぎ出して……イヤアアアアアアア!!

 こっち向かって走ってきたああああ!!」


 おそらく武器や敵意が無いことを示しているのだろう。

 まあ、ある程度信用できる男だし、オレの命を奪いに来るならもっと早くに来ていただろうし、会ってやらないこともないか。


「こっ! こんのおおおおおおっ!!

 上等じゃん!! その股間にブラブラさせてるお粗末さんを射抜いてやる!!」

「ローザっ!? おちつけ!」 


 ブチギレたローザを宥めるのに一苦労した。



 念のため、布団の中に剣を隠し、ベッドで身体を起こした状態でガリウスを迎えた。

 ガリウスはオレの姿を見るとギョッと驚いた顔をした。


「え……お、お前……コウ……?」

「少し見ないだけでもう忘れちまったのか。

 薄情な奴だな」

「い、いやそう言う訳じゃなくて、その身体……」


 包帯でグルグル巻きにされている身体を凝視するガリウスは動揺を隠せていない。


「ん? 何も聞いてなかったのか?」

「そりゃあ、お前が何も言ってくれなかったし」


 どうやらガリウスは総督ともジェラードとも関わりがないようだ。

 俺が六天騎士団の連中とやり合ったことを聞いていれば、これくらいのケガしていてもおかしくないと思うだろう。

 部屋の中にローザが入ってきた。

 蔑むような目でガリウスを一瞥するとすぐに俺のそばに駆け寄りガウンを着せてくれた。


「ちゃんと服着なさいよね。

 全裸の変態男と同じ部屋にいるんだから」

「今は着てるじゃん。そんな邪険にしないでよぉ、ローザちゃん」


 ガリウスは手を伸ばしローザの尻を触ろうとするが、思いっきり打ち払われる。

 悪手もいいところだがガリウスがこんなに積極的にローザに粉かけるのを初めて見た。

 まあ、それは置いておいて……


「わざわざ旧交を温めに来た……って訳じゃないんだろう。

 用件を聞かせてくれ」

「ああ、すまねえ。いろいろ衝撃的で落ち着くために触り心地の良いものを求めてしまった……

 それより、お前その様子じゃ今の状況について何も聞いていなさそうだな」

「状況?」


 俺が聞き返すと、ガリウスは声を潜めて言う。


「総督府が襲撃された」


 まさに寝耳に水。

 総督府が襲撃された?

 ベイリーズ総督……っ!!


「だ、誰にだ!? まさか副総督――――」

「落ち着け! なんか物騒な名前が出てきたけど俺は聞いていないぞ!

 総督府を襲ったのは人間じゃない。

 ブルーアイズベアやタイダルマンモスみたいな大型の魔獣の群れだ!」


 早合点で失言をしてしまったがガリウスは聞き流してくれた。

 ……と、そんなことよりも総督府に魔獣が!?


「おい! それはたしかな情報か? 出どころは?」

「シャッティングヒルの監視に向かっていた連中からだ。

 いつもどおりシャッティングヒルを見回っているとタイダルマンモスが通れそうなくらいの大穴が空いていたんだと。

 それで慌てて総督府に向かったら城を覆わんばかりの魔獣たちが押し寄せていたのだとか。

 だからお前のこと心配して家に来てみたってワケ」

「……ちょっと待った。

 時系列がおかしい。

 なんでお前が一番最初に俺のところに来たんだ。

 ローザ! 他に誰も来ていないんだよな!」

「来るどころか近寄りもしていないわよ。

 でもたしかにそこの全裸男が来るより先に総督府の人間から招集がかかって然るべきよね」


 ローザでも分かるくらい当然のことだ。

 これが意味することは……


「誰かが総督府からの救難要請を遮断している?」


 俺の呟きにガリウスがうなづく。


「可能性は高いなあ。

 実際、ここに来るまで街は普段どおりに落ち着いてた。

 総督府が危機ならばもっとパニックになるもんだ。

 シャッティングヒルに穴が開いたのはこれが初めてじゃねえ。

 俺が新米の頃にも似たようなことがあった。

 だがその時は耳長狼がやっとこさ通れるくらいで大型の魔獣が来れる代物じゃなかった。

 それでも北面騎士団とギルド所属の冒険者全員を招集かけて、市民は全員外出禁止だ。

 穴の封鎖と流入してきた魔獣を殺戮するのに二週間。

 不眠不休で暴れ回ったもんさ。

 犠牲者の数なんて数えたくもねえ」

「じゃあ、今回の大穴が情報どおりタイダルマンモスが通り抜けられるレベルのものだとすると……」


 ガリウスは自棄を起こしたように宙を仰ぐ。


「通れない獣はいねえ。

 塞ぐにしても時間はえらくかかるだろうし、作業中も常に魔獣の攻撃を受けるだろう。

 事実上、シャッティングヒルは崩壊しちまった。

 しかも総督府が襲撃を受け、その情報が遮断されているときたら理由はどうあれ、総督閣下は初手を打ち損なっている……もうダメかもな」


 重い沈黙が場を制する。

 俺自身、あまりのことに思考が一瞬停止してしまった。

 が、顔を張ってベッドから起き上がり身支度を始める。


「コウ! 何をするつもりよ!?

 まだ傷が治ったわけでもないのに!」

「痛むだけだ。トランスしてしまえば動かすことにさほど問題はない」


 そう言った俺の肩をローザが掴む。


「問題あるわよ!

 なんで怪我すると身体が痛くなるか分かる?

 死にそうなことに気づかせるためよ!

 あなたの戦い方は本当に見苦しい!!

 本来、戦うことに向いていないその身体で雑巾から絞り出すように闘気を発出して!

 コトが終わったらいつも半死にで!

 それをそばで見せられ続ける私の身にもなってよ!!」


 物凄い剣幕と握力で俺を制そうとするローザ。

 やっぱり、コイツは俺のことをかわいそうな奴と思って見ていたんだな。

 仕方ない。

 武流の名門に生まれ育った女傑と平民の間には断絶と言っていいレベルの差がある。

 だけど、


「俺は騎士だ。

 総督に忠誠を誓い、民と土地を守る剣になると約束した」

「命を賭けてまで?

 いやいやいや、こんなの賭けにもならない。

 死ににいくようなものじゃん!」

「かもしれないな。

 だけど、動かないわけにはいかない」

「どうして?

 平民なのに騎士に取り立ててもらったことに恩義を感じてるとか!?

 言っとくけど、そんなの総督(向こう)の都合なんだからね!

 コウが責任を感じる話じゃない!」


 ローザの言うとおりだ。

 総督は汚れ仕事をこなす人材を欲していて俺を取り立てた。

 俺は騎士の称号欲しさにそれに乗っかった。

 それだけで義理になるようなものは存在しない。

 だけど、俺のもっと根本の部分にここで引いちゃいけない理由がある。


「俺は、英雄になりたい。

 ここで引いたら英雄になれなくなる」


 ローザは呆れたように髪をかき上げて言う。


「何それ? 未だに愛しの幼馴染に振られたこと引きずってるの?

 その子を追い落とすためだけに英雄なんかになりたいって――――」

「そうじゃない!!」


 怒鳴ると目尻が熱くなって涙がこぼれそうになった。


「そうじゃない。

 たしかに、アイツを見返したいって今でも思っているし、アイツを英雄になんかさせたくない。

 でも、それとは別の問題なんだよ。

 俺とユキが生まれた故郷から逃げ出したのは生きるためだ。

 貧しい辺境の村において身寄りをなくした子供の末路は悲惨だ。

 比較的裕福な家が養子にとって育てるが、男は牛や馬と同じく家畜として扱われる。

 成人しても自分の畑をもらうことなく、養父母に奴隷のようにこき使われ、義兄弟の道具となり、その子供たちに尽くして一生を終える。

 飢饉でも来ようものなら真っ先に口減らしされる。

 ……女の場合はもっと悲惨だった。

 娯楽もなければ娼館なんてあるわけない。

 そんな村でどういう風に身寄りのない女が扱われるか……想像できるだろう」


 怒っていたローザの顔に困惑が混じる。

 帝都育ちの貴族様には想像もできない醜く卑しい連中の営み。

 だが、彼らに悪意はなく当然のことなのだ。

 家の中に地べたに寝かされ、残飯を食らわされる男の存在も。

 誰の子だかわからない子供を身籠るたびに死なない程度の毒を飲まされる女の存在も。


「俺の親父はその点、村の中では常識外だったんだな。

 親を失くしたユキを引き取って俺と一緒に育ててくれた。

 本当に分け隔てなく。

 六天騎士団の連中に何か聞いていたのかもしれないが」


 六天の名前に反応したのかガリウスが声を上げる。


「え、ユキ……ってまさかナイツオブクラウンの『空の賢者』様のこと!?」

「へえ。そういうふうに今呼ばれてるのか。

 知らなかった」


 嘯く俺にガリウスは頭に手をやってよろめく。


「ま、そういう訳で親父が生きている間は良かったんだ。

 村の中でもそれなりにもの言える立場だったし、腕っぷしも強かった。

 だから、親父が死んだ時……

 村の連中が遺された俺たちをどうするか、ヒソヒソ話し合っているのをすぐそばのクローゼットに隠れて俺とユキは聞いてしまった。

 現金なものさ。

 いざ自分がその立場になるとなったら大人たちが全員醜く怖いものに見えた。

 あの夜の恐怖と絶望は今でも思い出す。

 そう、あの時に俺とユキが育ったあの世界は滅んでしまったんだ」


 十二歳の子供にとっての世界は大陸も大海も存在しない。

 ほんの数百人の人が住う小さな世界。

 そこに世界を脅かす悪と戦ってくれる英雄はいなかった。

 だから……


「英雄が必要なんだよ。

 どの世界にも。

 農村に暮らす子供の世界にも。

 魔獣の恐怖に晒される極寒の地の民の世界にも。

 恐怖や絶望を斬り伏せる英雄が現れるのをみんな待っている。

 だから俺は英雄にならなくちゃいけない。

 他でもない俺がなるんだ。

 あの日、世界を壊されたことに対する復讐を俺が為す!」


 ギリリィッ、と潰れかけた右腕の拳を握り込む。

 村を出てはじめて、自分の口からあの頃のことを話した。

 それは今の俺の決意のようなものだった。


「……コウ。あなたはどう考えても生まれも育ちも間違ってるわ。

 あなたみたいなのが辺境の農村にいるとか役不足もいいところよ」


 ローザはそう言うと自身のコートを羽織る。


「行くのを許してあげる。

 但し、私も同伴するわ」

「は? お前、ろくに寝てないって」

「そんなのどうでもいいわよ!

 ガースカ寝てる間に大好きな人が死んじゃったりしたらそれこそ生きていけないわ!

 それに魔獣相手ならいつもやってる。

 狩猟部弓士総長を舐めないでよ」


 ローザの発言にガリウスが目を丸くする。


「ローザちゃん、いつのまにか役付きに!?

 てか、総長って……部門の最高実力者ってことじゃないか!」

「当然でしょ。レンフォード家の弓術は帝国弓術の中でも最強の流派。

 闘気をふんだんに使えることが前提だから騎士以外に使う人はいないけど、使いこなせば龍をも射殺すって言われてるのよ。

 まして、私は「生まれる性別間違ってんだろおおおお」って父様を嘆かせ続けたほどの才能の持ち主だもの」


 フフンと鼻高々にローザは胸を張ってドヤ顔を振る舞っている。

 ガリウスが訴えかけるような目で俺を見てくる。


「事実だ。正直、狩猟部なんかに置いとくには勿体なさすぎる逸材だよ」

「レンフォード家……本国の名家中の名家じゃんか……

 普通に皇族との結婚すらあり得る血統なのにどうしてコウと……ああ、そういう訳じゃないよな。

 うん」


 俯き加減でぶつぶつ言っているガリウスをフフンと鼻高々に胸を張って見下ろすローザ。

 そこにアッシュが入ってくる。

 フードもつけていないから頭の耳があらわになっていた――――ので、当然ガリウスは、


「じゅ、じゅ、じゅ、獣人んんんんんん!?

 その耳! つ、作りもんじゃねえよ、な?」


 動揺しながらアッシュの耳に触れようとしたが、


「GARRRRRWWW!!」


 と威嚇の唸り声をあげられ手を引っ込めた。

 アッシュは俺に向き返り、


「オレも行くよ! 熊や象くらいならオレも狩れる!」

「アッシュ……まあ、そうだよな。

 一人で家で留守番なんてしてる場合じゃないもんな」


 俺がアッシュの頭を撫でると、負けじとローザも手を伸ばしてきた。


「家を出る時も帰ってくる時も三人一緒よ。

 みんなで取り戻しに行きましょう。

 普通の家族の日常って奴をね!」


 そう言って俺とアッシュの肩を抱くローザだったが、一人かやの外のガリウスは、


「この家のどこにも普通要素がねえよ!!」


 と叫んだ。

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