第18話 平穏な暮らしをする家族のように

「ローザ! おかわり!!」


 今日も朝から快活な声が響く。

 俺が救出した獣人の少年を我が家に匿って一ヶ月が過ぎた。

 連れ帰った当初はいまにも死ぬんじゃないかと思えるほどの衰弱ぶりだったが、数日の看護で活力を取り戻し、今では大飯を食らっている。

 並の家ならば家計が傾くレベルだが、近衞騎士の俺の給料は安定して高額だったし、ローザも直接食糧を手に入れられる仕事をしているからその点の心配はなかった。


「ハイハイ。たーん、とお食べ」

「ありがとう! ローザ!」

「ウフフフ」


 そしてローザとの関係も良好だ。

 てっきり毛むくじゃらの男は嫌いだと思っていたのだが、


「モフモフは別! 美少年だし!」


 と、どうやら好みらしい。

 たしかにあどけなさの残る顔立ちながら色素の薄い肌に氷のような薄い青色の瞳は高貴さすら感じさせる。

 灰色の艶めいた毛にちなんで、アッシュ、とローザが名付けた。


 何故こんな家族ごっこみたいな真似をしているのかというと、原因は総督にある。


◆ ◆ ◇



「その小僧の処遇はそなたに任せる」

「は?」


 暗殺作戦の成功を伝えるために久しぶりに総督府に赴いた俺は併せて救出した獣人のことも報告した。

 それに対する総督の答えがこれだ。


「あの悪徳貴族(クソ野郎)がこっそり隠し込んでいた獣人の子ども。

 意味深過ぎて扱いに困るんだ。

 そもそも伝説の生き物が実在するなんて世間に広まったらパニックになるぞ。

 伝説というのは地中に広がる芋の根のように、一つ実を引きずり出せば他の実も付いてくる。

 山を跨ぐ巨人や人間より賢い賢狼。

 そんなものがあの壁の向こうにいるとなったらおちおち眠れんだろう。

 現に吾輩は頭痛が痛い」


 大袈裟に頭を抱え込む総督。

 彼のいう理屈は分かるが、


「で、どうして俺がその爆弾を預からねばならんのです」

「そなたが拾ったからだ。

 犬を拾ったら拾った者が育てる。

 それが世の常識だろう」

「さっき言ってたことと矛盾してません!?

 俺の家はこじんまりした一軒家ですよ!

 それにウチにはうっかりと調子に乗りすぎるを十八番にしているローザがいるんですよ!

 半刻もしない内にバレちゃいますって!」

「なら殺すか? せっかく拾った命を。

 それはあまりに残酷じゃあないか」


 総督はニヤつき混じりに俺に尋ねる。


 アンタが言うな! 俺に殺しをさせている張本人が!


 と、胸ぐらを掴みたい衝動に駆られるが流石に耐える。


「居候が一人増えるだけだ。

 それに特に害はないんだろう?」

「害は無い……というか、懐かれていますね。

 本人曰く、捕まって地下牢に入れられる前の記憶はないらしいです。

 それにずっと地下にいたから時間の経過も分からないと。

 しかし、最低限の人間社会の常識もありますし、言葉は普通に通じます」

「ならば手に余るという事はないな。

 今ならば獣人の存在を知っているのは吾輩とそなたの二人だけだ。

 吾輩に敵が多い事は身をもって知っているだろう」

「そりゃあもう……」

「そなたを信用している。

 そなたが信用しているローザもそれなりに、な。

 小僧のことは一応こちらの方も調べは入れてみる。

 ご苦労だった。下がっていいぞ」



◇ ◆ ◆



 ひどい押し付けだった。

 だが、ローザはすんなりとアッシュを受け入れ、ふくふくと肉付きよくすることにご執心だ。

 そしてアッシュも俺たちに懐いている。

 耳が見えないようにフードを被せて外に出て散歩したりもする。

 親子……にはならないが、姉弟のように俺たちは穏やかな日常を送っていた。

 こんな日々が続けば、それはそれで幸せだったのだろうけど、俺はベイリーズ総督のハイネスガードであり、暗殺者だ。



 新たな命令が飛び込んできた。

 またもや部下の抹殺。

 標的は本国からの支援を受けてクーデターを企んでいるらしい。

 この薄氷の上に立っているようなベヘリットの街で何をしでかすつもりかと総督はお怒りだった。

 俺も同感だ。

 眠るアッシュとそれを抱きしめながら眠るローザ。

 二人の寝顔を見ているとこの平穏を壊そうとする者は悪魔の類に違いないとさえ思えてくる。


 俺は、平和を……自分が大切にする人たちを守るために人を殺すんだ。


 自分に言い聞かせて、コートを羽織り、マスクをつけて家の扉を開けた。


「コウ。どこに行くの?」


 ビックリしながら振り向くと寝巻き姿のアッシュが立っていた。

 寝ぼけている……という様子ではない。


「タヌキ寝入りしてたか。狼の子なのに」

「起きちゃったんだよ。コウが怖い気配漂わせているからさ。

 夜に出かける時はいつもそうだよね」


 カンのいい奴だ。

 やはり人間とは違う感覚が働くのだろうか。


「お前は気にしなくていい。

 余計なこと考えずに眠れ」


 普段は見せない強い口調でアッシュを突き放す。

 だがアッシュは悲しそうな顔をして俺に近づいて抱きついてきた。


「なんとなく分かってるよ。

 コウが僕を助けてくれたってことは、僕を捕まえた連中をやっつけたんだよね。

 同じことをこれからしに行くんでしょう」


 分厚いコートに阻まれアッシュの体温は感じられない。

 だが、彼の熱意のようなものは伝わってくる。

 俺を行かせたくないのだろう。

 危険なことを、傷つくことをさせたくないのだろう。

 そんなアッシュの思いを踏みにじってでも俺は行かなくちゃいけない。


 ドン、とアッシュを突き飛ばした。

 よろけたアッシュが床に尻餅をつく瞬間、ローザが体を受け止めた。


「お前まで起きていたのか」

「ん? いやアッシュの抱き心地がなくなったから恋しくて」


 寝ぼけた顔でアッシュを後ろから抱きすくめるローザ。

 苦笑しながら俺は家を出ようとする。


「コウ! 行っちゃダメだ!」


 アッシュはしつこく俺を止めようとする。

 だが、ローザに口を押さえられた。


「だーめ。騎士の立てた誓いを邪魔しちゃ。

 私と一緒に朝までモフモフしてましょう」

「話してよ! ローザは平気なの?

 コウが危ないことしたりやりたくないことをやらされたり!

 コウのこと好きじゃないの!?」


 喚くアッシュに対してローザは余裕の笑みを浮かべる。


「大好きよ。この世の誰よりも。

 私以上にコウのことを思っている人間はいないわ。

 だから、堂々と待つことにしているの。

 こんな素晴らしい私の元に帰ってこないわけがないんだから。

 そうでしょ?」


 ウインクをするローザ。

 優雅なくせに愛嬌があるその仕草に思わずハッとさせられる。

 ローザはアッシュの頭を撫でながら告げる。


「いってらっしゃい。

 そして、ちゃんとここに帰ってくるのよ」

「……うん。分かった。

 いってきます」


 記憶に遠い母を思わせるその温かな声音のせいで、自分が子供に戻ったような錯覚を覚えた。

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