第16話 北面騎士

 俺はベヘリットの北門から北に十キロ離れた帝国北面総督府の置かれた城にやって来ていた。


 帝国北面総督にしてその異名は『北の聖騎士』

 サジタリアス・ヤクト・ベイリーズ。

 帝国における爵位は公爵。

 三代前の皇帝の孫であり、現皇帝とは従兄弟同士となる高貴な身分のお方だ。

 五〇を過ぎながらもそのがっしりとした体格に衰えはなく、意志の強そうな顔の作りをしている。

 血統と見た目だけならば近づくことすら憚られる畏怖の権化のようなお方だ。

 しかし、なかなかに稀有な人格の持ち主で、


「久々の再会嬉しいぞ。

 しかも今回は喜ばしいことでの招待だからな」

「前のようなことはもうゴメンですよ」


 このように貴族ですらない俺が砕けた話口調で応じてもお咎め一つない。

 普通なら打首されてしかるべきだ。


 彼に謁見するのはこれで二度目。

 一度目はローザを嬲っていた連中を全員再起不能にした時だ。

 連中の余罪はとんでもない量で被害者の女性の中には貴族の令嬢なんかも混じっていたらしい。

 裁判を行うまでもなく全員処刑されて然るべきなのだが、それを一個人がやってしまうというのは流石に問題があった。

 市街地の一角で二〇人からの男たちが欠損だらけの重傷状態にされるというのは統治する側からすれば面倒なことだったらしい。

 罪人とは性質の善悪ではなく、秩序を乱したかどうかで決められるものだからだ。

 その考え方では俺は間違いなく罪人となる。


 俺の運が良かったのは娘を傷つけられたある貴族の怒りが仇を打ってくれた若者に対する擁護という形で働いたからだ。

 その貴族は処罰を下そうとする司法府の方針に待ったをかけるため、ベイリーズ総督に陳情した。

 するとベイリーズ総督は俺を召喚し、直々に尋問を行った後、司法府の方針を覆し俺の釈放を決定した。。

 彼自身が被るダメージもあったろうに赤の他人の、しかも放浪者の俺を庇ってくれた。

 その事に対する恩義は計り知れない。


「さて、用件はどうせ察しているだろうから勿体ぶるのはよそうか。

 コウ。吾輩に剣を捧げる気はあるか?

 いや、捧げてくれ。北面の守りは強い騎士を必要としている。

 血統や過去は問わん。

 むしろ逆境と不利の中で培った貴様の力を評価している」

「勿体なきお言葉です。

 元より、我が命は閣下に拾っていただいたようなもの。

 ようやくお返しできると安堵に胸を撫で下ろしております」


 俺がそう言うとベイリーズ総督もホッとしたように顔を緩ませ、玉座から立ち上がり付き人から宝剣を手渡された。


「では、気の変わらぬうちに儀式を始めよう」


 ベイリーズ総督は持つ手を胸の高さまで上げて、剣を掲げる。


《我は帝国の守護者、北方の門を司る銀狼の化身。

 この身は帝国の剣、この忠誠は帝国の血潮。

 来たる冬に我は備え、志ある者を我が臣とする。

 分け与えるは王の血。

 賜るは無謬の忠義。

 末代まで不磨なるは我らの絆。

 我が剣、我が盾となりて大いなる大義に殉ぜよ》


 宝剣の腹が俺の肩に載せられる。

 厳かな雰囲気がその重みを感じさせる。

 が、ぽんぽんと戸惑うように剣の腹が打ちつけられ、総督は気恥ずかしそうに笑みを浮かべた。


「……コウ。そなたはファミリーネームを持っていないのか?」

「ええ。辺境の農村育ちの平民故」

「ふむ、折角だから俺とお揃いにするか?」


 真面目な顔で平然ととんでもない事を発言するベイリーズ総督。

 これは反論していいのか?

 皇族にも連なるベイリーズ家を名乗るなんて恐れ多いなんてレベルの話じゃないと思うんだが!

 戸惑う俺の気持ちを察してくれたのか、老齢の家令が笑み混じりに口を挟む。


「閣下。流石にそれは酷というものでしょう。

 平民上がり、まだ十六歳。

 そのような者に重すぎる名を与えるのは首の座らぬ赤子にを王冠をかぶせるようなものですぞ。

 特にコウ殿の場合……くくっ、閣下にあらぬ疑いがかけられましょうぞ」


 総督ははて、と首を傾げて俺をしばらく見つめていたが、


「ああ! なるほどな!

 ガハハハハ! それはそれで面白いことではあるが、こやつには気の毒なことに間違いない」


 察しの悪い俺にはよく分からんが高貴な方々には下賤の民の分からぬ事情があるのだろう。


「さて……となると、どういう名前が良いかのう。

 他の貴族や騎士と重なる名だといろいろ面倒だし」

「閣下。僭越ながら提言申し上げます。

『ランドール』という名はいかがでしょうか。

 現在、北の大地に同じ名の家は無いと思われます」


 ランドール……なかなかいい響きじゃないか。


「たしか、五〇年ほど前に途絶えた家系にそんな名前があったような」

「左様にございます。拙が若き頃、かの家の末代とは交流がありました。

 とても清々しい快男児でした。

 シャッティングヒルの合戦で殿を務め華々しく散られたこと、今でも惜しく思うております。

 もはや語り継ぐ者も僅か。

 ならば未来ある若人にその名を継いでもらうのが供養になりましょう。

 いささか爺の私欲混じりではありますが」

「良い。許す。

 コウよ。お前もそれで良いか」

「偉大なる先人の名を頂けることに拒む理由などございません」


 俺がそう答えると老臣は顔を綻ばせ、総督はうっすら笑みを浮かべてから儀式に戻る。


《我が騎士、コウ・ノルス・ランドール。

 その行く道に栄光あれ》


 高らかな発声とともに、俺は北面総督任命の騎士――――通称北面騎士となった。



 堅苦しい儀式を終えた後、俺はベイリーズ総督の食事に付き合った。

 本国からの物資輸送を間近に控えているためか、総督府の台所も心許ないようで彩りある野菜や果実は出てこなかった。


「質素な食卓ですまんな。

 帝都ならば市井の民でももう少しまともなものを食しているだろうが」


 俺の心の声が聞こえたのだろうか、自嘲気味にそう言う総督に対して、俺は慌てて首を振る。


「そんな恐れ多い。

 騎士の称号を戴けただけで、お……私は満足です」

「フフ。付け焼き刃なのだろうがちゃんと言葉遣いや振る舞いに気を遣おうとしているのだな。

 細君の手ほどきによるものか?」


 御名答。

 俺が騎士になるかもしれないと分かってローザは貴族社会の仕組みやマナーを改めて教えてくれた。

 あれでいて上級貴族の令嬢なのだ。

 とはいえ、アイツの正体など話すつもりはない。

 罪人でないにせよ、似たようなもの扱いで帝都を追い出されているのだ。

 そして、貴族社会は思いの外狭い。


「アレはただの同居人ですよ。

 愛人で御所望なら喜んで献上しますが」

「ガハハハハ! 素晴らしいが、そんなことをされてしまっては仕事する気が失せてしまうわ!」


 豪快に笑う総督だったが、ゆっくり笑い声を鎮め、俺と向き合う。


「さて、騎士ランドール。

 そなたの配属について言い渡す」

「ハッ」


 騎士に任命されたからにはどこかの騎士団の所属になる。

 北面総督の麾下には十六の騎士団が置かれており、それぞれ特色を持っている。

 超一流の魔術師で構成された九頭竜騎士団。

 統率力の高いアンガス騎士団。

 北の暴風ことシュゲル騎士団長率いるナイツオブブリザード。

 そのあたりが有力とされているので、できればそこに入りたいのだが……


「そなたを近衞騎士――――ハイネスガードに任ずる」

「……はい?」


 え? どういう?


「なんだ不服か?」

「いえ滅相も……どうしてですか!?

 騎士に取り立ててもらえるだけでも栄達極まれりなのに、ハイネスガード!?

 冗談でしょう!?」


 ハイネスガードとは総督直属の近衞騎士であり、他の騎士団のような指揮系統からは外れる。

 たとえ重臣や大騎士団長が命令してこようとも従う義務がない。

 ただ、総督閣下にのみ従う、ある意味特権階級の騎士。

 当然、平民がなるようなものではない。

 重臣や譜代騎士の子弟で並外れた才能のある者がやると相場が決まっているのだが……


「冗談のつもりはない。

 そもそもそなたを騎士にしたのもハイネスガードをやらせるためなのだから」


 聞けば聞くほど冗談のような話だ。

 いったい何が望みなんだ?

 俺程度の実力者なんか、冒険者でも他にもいる。

 たとえばガリウス。

 短期決戦ならともかく、地力で言えば俺はガリウスの足元にも及ばないし、北の大地における戦闘経験も比べ物にならない。

 俺だけが持っているものなんてさしづめ……


「……やっぱり、見返りにローザを献上しろってことですか?

 アイツにそこまで価値があるとは思えませんが」

「いらんいらん。

 名家の女を愛人などにして本国の連中につけ込まれる隙を作りたくはない」


 ああ、この人はローザがレンフォード家の人間って知ってるんだ。

 総督は席から立ち上がり、俺の背後に立って窓の外を見やる。


「騎士団というシステムは非常によくできている。

 それぞれが独立した頭を持つ生き物のように自発的に任務にあたり、鍛錬し、強大化していく。

 それ故に隊内の絆は強く、逆に君主との距離は遠い」

「御自身の手駒として使える兵を持ちたかったということですか」


 不躾な言い方だと思うが、単刀直入に聞く。

 総督は笑って応える。


「早い話がそういうことだ。

 そなたはよそ者で家族もいないからしがらみがない。

 成功も失敗も名誉も失墜も、全部一人で抱え込んでもらえる。

 そして、腕が立つ。

 この北の大地にそなたとまともにやり合えるのはシュゲルくらいだろう」


 過大評価だ。

 俺の才能はあくまで平民レベル。

 トランスによって爆発的に戦闘能力を高めてはいるが、それも時間が限られている。

 いわば俺は曲芸師トリックスターであり、正当に騎士としての能力を測れば並以下だと思っている。

 対して、シュゲルはナイツオブクラウンにも匹敵する北面最強の騎士。

 褒めるにしても雑すぎてまともに取り合う気にもならない。

 そもそも、公爵と平民との会話に駆け引きなどあるわけがない。

 総督の望むことを否定する権利は俺にはない。


「謙遜抜きに恐れ多いことです。

 間違ってもよそで言わないでください。

 腕自慢たちが闇討ちしてきそうなので」

「フフ。ともかく、そなたには期待しておる。

 ハイネスガードの称号、受けてくれるな?」


 肩に置かれた手は年相応に渇きシワが刻み込まれているが重かった。

 この手で何十年もこの地を守り続けてきた手。


 英雄になりたい。

 その願いは今でも変わっていない。

 ユキのそばでアイツからその立場を奪うために、俺は戦いの世界から逃げ出さずここまできた。


 それに、北の大地はあまりに過酷すぎる。

 一年中雪に覆われた大地ではろくに作物が育たず、食糧供給は本国からのわずかな物資と狩猟に頼り切っている。

 鉱物資源は豊富だがそれを狙うかのように魔物達が進撃してくる。

 その量と質は帝都とは比べ物にならない。

 限られた食糧では大きい人口を抱えることはできないから軍備の増強にも限度がある。

 重要拠点でありながら、実情は限界ギリギリのところで持ち堪えている。

 それを成せるのは単にベイリーズ総督の手腕によるところが大きい。


 その総督が俺を必要としてくれている。

 ならばそれに応えることは多くの人々を守ることとなるだろう。


 そう信じて俺は、近衞騎士コウ・ノルス・ランドールとして仕えることとなった。

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