第14話 誘惑の甘い罠(ローザ視点 回想)
「コウのバカァ……」
私は街の中心から少し外れたところにある酒場の席に座っていた。
この街にたどり着いた日にコウと一緒に逃げ込んだ場所だ。
あの日は今日よりも激しく吹雪いていてここで呑んだ火酒に命を救われた気分だった。
今はお酒を飲む気分なんかじゃないけど。
私が悪いのだって分かってる。
たしかにサボってますよ、一日中家でゴロゴロしている生活最高です。
でも、それは長い放浪の旅に区切りがついたご褒美みたいなもんじゃない。
お金に困っているわけでもないのに、すぐさま冒険者として働きに出るコウの方がおかしい。
しかも、メチャクチャ厳しい依頼ばっかり受けてるし。
こないだなんて家の目の前で意識失って倒れてた。
私がたまたま気配に気づいて家の中に入れなきゃ凍死してたじゃん。
もし私が家にいなかったらって考えたらゾッとするって。
そんなアイツが私みたいな優秀な援護をもらったりした日にはどれだけヤバい依頼を受けるのか、考えたくもない。
まあ……アイツにはそこまでしなきゃいけない意地があるんだろうけど……
「ひとりかい、レディ?」
「あ?」
不機嫌を隠すこともなく、かけられた声の方を向いた。
スラリと背の高い男がテーブルに手をかけてもたれるようにしてすぐそばに立っていた。
「怖い顔しないでよ。悪い奴、ってつもりはないよ」
……うん。悪くない。顔がいい。
素直に顔がいい男だ。
艶めいた金色の巻き毛は上品に刈りそろえられており、雪国の冷たさと清潔さを感じさせる顔貌。
大きな瞳の色はこの街では滅多にみられないスカイブルー。
身なりも豪奢でないものの仕立てのいいコートやセーターを着ている。
ちょっとこの街じゃ見ないタイプだ。
「俺の名前はスコット。
以後お見知り置きを、美しく高貴な薔薇のようなお嬢さん。
あなたのために美酒の一つでもご馳走したいんだが、いかがかな?」
フッ、安っぽいナンパ文句ね。
これだから田舎の伊達男は……
「あら、口がお上手ね。
私も貴方の宝石のような瞳が気に入ったわ。
話かけてよろしくて?」
……まあ、垢抜けないなりに頑張っているのは好感度高いわよね!
ちょっと憂さ晴らししたい気分だったし!
スコットは大胆にも私の隣に腰掛けて葡萄酒を注文した。
酒瓶の栓を開けて二つのグラスに注がれると甘い香りが漂った。
「出逢いに乾杯」
カチン、とガラスが打ち鳴らされる冷たい音が響いた。
聞き上手な男と喋っていると自分が弁舌豊かな女じゃないかと思えてくる。
まあ、実際私は教養豊かで愛嬌も美貌も兼ね揃えた淑女だけど!
とにかくスコットと話しているのは楽しかった。
もし、こんな見た目と物腰の男性と婚約できていたのなら、私は帝都を飛び出さずに済んだのだろうなあ。
現実は熊のような大男で私のことを子を作る道具か無料の娼婦くらいにしか考えていない中年オヤジだったけど。
はあ、と大きなため息をつく。
「大丈夫? 疲れちゃった?」
「ううん。ちょっと嫌なことを思い出しちゃっただけ」
「分かるなあ。俺も時々、そういうのに襲われて叫び出したくなる時がある」
「スコットも?」
「そりゃあね。生きてりゃ何かとあるさ。
でも、そういうのとも上手く付き合って行かなきゃならない。
だから、俺は上書きする。
嫌なことを忘れられるくらい楽しいことや嬉しいことで頭をいっぱいにするんだ」
「できたら素敵ね」
「ああ。だから今はとても素敵な状態さ。
ローザと話していると嫌なことなんてこの世になかったように思える」
スコットの腕が私の椅子の背もたれにかけられた。
程々に太く逞しいその腕に甘えるように頬をつけると、彼は少し真剣な顔をした。
「ねえ、ローザ。
俺が仕事用に借りてる部屋がすぐそこにあるんだ。
良かったら飲みなおさない?
秘蔵のワインがある」
「ワインねえ……」
そんな取ってつけたような理由を用意しなくてもついて行ってあげるのに。
まあ、殿方は掌で転がしている気になるのが好きみたいだし、野暮なこと言わない方がいいわね。
「じゃあ、ひと口だけ。
お邪魔させてもらおうかしら」
私とスコットは寄り添うようにして外に出た。
体に溜まった酒精が暖かくてホワホワする。
あまり酔わない
「大丈夫? 飲ませ過ぎちゃった?」
「いいのよ。口やかましいヤツがいないんだからこれくらいはね」
「それって君の同居人かい?」
いい感じでバカになれていたのにコウの顔が浮かんだ瞬間、自分のバカさ具合が気にかかり始めた。
コウに正論ぶつけられて怒って逃げ出して行きずりの男相手に処女を捧げようとしている。
……あれ、本当にただのバカじゃない?
そもそもなんでスコットと寝る流れになってるの?
え、嘘? ちょっと待って!
口説かれて調子に乗って気取っていたらイケメンゲット出来ちゃった!
いやいや、待て待て待てーーい!
こんな氏も素性もわからない人相手でいいの?
処女って結婚における最高の嫁入り道具ってお婆さまが繰り返し言ってたけど!?
「どうしたの? ローザ?」
「え……い、いや……いろいろ考えちゃって。
ほ、ほら会ったばかりだし、こう展開が早いのもどうかと」
一人で混乱している私の頭をスコットは撫でる。
「うん。それで良いんだよ。
俺は別に無理やり君を口説き落としたいなんてわけじゃないんだから。
戸惑っている君に決断を迫ったりしない。
ワインじゃなくて紅茶にしてもいい。
こちらも良い茶葉がある。
テーブルを挟んで君のことをもっと話してくれないか?
そうすれば、俺が君にあげられるものも多くなると思うんだ」
「スコット……」
貴方って聖人?
すごいなあ、ここまで言動が優しい人って初めてあったかも。
いや、私の魅力が彼をこうさせているのかもしれない。
フッ、罪な女ね。舐めないでよね、コウ。
「分かった。じゃあ、甘えちゃおうかな」
そう私が答えてスコットに寄り添うと彼は私の腰に手を回した。
あ〜ドキドキしちゃう。
やっぱりイケメンっていいなあ。
スコットに連れていかれたのは年季の入った高層の建物だった。
集合住宅のように複数の住居が入っているみたいだが共有の廊下や階段は汚れ放題でゴミが散らかっており、ギャアギャアと騒ぐ声が扉の向こうから聞こえる。
スコットの身なりにはそぐわない、一言で言えばガラの悪い場所だ。
「悪い。便利さを優先してるからあまり周辺環境気にしていないんだ。
はは、レディを連れてくることなんてなかったからあまり意識してなかった」
「別に。気にしないわ」
こっちの心を読んだように弁解して来た。
気が回る……回りすぎる?
こんなところに住んでいるのに?
頭の中で警告の鐘が鳴らされている。
だけど、私はその音に耳を塞いだ。
進む足を止めたくなかったから。
その気になれば騎士や冒険者でなければ男の一人くらい突き飛ばせる。
大丈夫。
スコットは立ち止まり、扉を開ける。
「どうぞ、お入りください」
やはり、スコットらしく扉の向こうの玄関には品のいい調度品や爽やかな色の絨毯が敷かれている。
そしてホコリひとつ落ちていない。
「まるで貴方みたいなお部屋ね」
そう呟いて、扉を潜り部屋の中に入った。
鼻に飛び込んでくるのは玄関に置かれたハーブの香り…………
「ん?」
ハーブ、だけじゃない。
なんだかクサイ匂いが……部屋の奥の方からする。
バタン! ガチャリ……と、扉が閉まると同時に鍵がかけられる音がした。
不安にかられ振り向くとスコットは嘲笑っていて、
「ハイ! ざんねんでした〜〜〜」
ゴツッ!
紳士の仮面をかなぐり捨てた、下品で禍々しい声。
それが聞こえた直後、私の後頭部には痛みが走り、その場に崩れ落ちた。
「おいおい。上玉じゃねえか。
このしけた街にゃ勿体ねえくらいだ」
「そうでしょう。
酒場でひとりたそがれているのを見た時、小躍りしちゃいましたもん。
良いお値段がつくだろうって」
部屋の奥には思っていたよりも広いホールのような空間があり、大勢の男たちが居た。
どいつもこいつも堅気じゃないのは目を見れば分かる。
そいつらに混じってニコニコと笑顔を振りまいているスコットを見て私は絶望した。
「ローザ。自分がどういう状況か分かってる?」
「ええ……まんまと載せられちゃった、ってことでしょう。
フン! 本当にこの部屋は貴方そっくりよ!
入り口だけ綺麗に取り繕って、中身はゴミ溜めのクソミソ野郎」
私は歯を食いしばりながらスコットを睨みつけるが、その様子は滑稽だったようで周りの男たちの失笑を買った。
「これからナニをされるかは分かっているよね。
だったら口の利き方には気をつけな。
ここにいる人たちはぶっ飛んでるからね。
女の遊び方も犯すだけとは限らないよ」
でしょうね。
部屋の隅に転がされているのは私の
裸にひん剥かれているだけじゃなく全身くまなく痣や切り傷がつけられている。
ひどい子なんて熱湯でもかけられたような火傷が…………やッ!?
スコットが私の髪を掴んで持ち上げる。
「俺、アンタの気の強そうなところは好きよ。
だから、御褒美に最初だけは俺がしてやろうか?
良い思いをしとけば、後は何されても気にならないでしょ」
ホント……やっぱ私バカだ。
こんな下品でゴミみたいな発想をするスケコマシ野郎をいい男だとか聖人だとか。
生きて帰れたら……コウにたくさん叱ってもらおう。
「スコット……お願い」
「ん?」
スコットが私に顔を近づけた。
その瞬間、「ベッ!!」と唾を吐きかけた。
「うおっ!!」
唾はスコットの目にあたり怯ませた。
「くたばってええええええっ!!」
拳に全力を込めてスコットの頬を殴り付けた。
頬肉を挟んでも分かる歯の折れた感触の気持ち悪さ。
だが構わず振り抜く。
「ブヘラアアアアッ!!」
スコットが吹き飛ばされて地面に転がる。
「不細工な悲鳴あげてんじゃないわよ! バーカ!! バーカ!!」
体術は苦手、といっても弓術の修行をしてた頃にある程度の闘気のコントロールは身につけている。
顔と口だけが取り柄だったクソミソ野郎なんかに負けるもんか!
私は床を蹴って玄関に向かおうとする。
目の前に立ちはだかる男に蹴りをかまし、道を拓く。
とりあえず、ここから逃げる!
そしたら、まずコウにここのことを教えなきゃ!
アイツはあれで困っている人を見逃すタイプじゃない!
官憲が取り締まりにくるよりも先にここの連中をぶっ飛ばして、囚われている女の子達を――
「おい! 逃げたら転がってる女どもを殺すぞ!!」
は……な、なに!?
なにを無茶苦茶な――
「オラあっ!!」
「あぐっ!」
背中を椅子で殴られた。
バキバキという音は椅子が砕けた音なのだろうか、それとも私のどこかの骨が折れる音?
「う……あぁ……くぅぅっ!」
痛みでその場に膝をつく。
だけど、負けるもんか。
拳を構え、押し寄せてくる男達を片っ端から殴る。
すると、近づくのは危険と判断した男達はその辺の棒や板で殴りつけてきた。
痛い……拳も握れないくらい手が痺れている。
頭からは血が流れているし、顔も至る所がジンジンと痛む。
「あんま時間かけるな。
せっかくの上玉が、傷んじまうだろうがっ!」
「ぐぶっ!!」
体格のいい男の拳が鳩尾に入った。
コイツは闘気の使い方を知っている……?
騎士崩れ? それとも冒険者?
「これだけ殴りがいがある女は初めてだぜ。
ヤリ倒した後は死ぬまで嬲り続けてえなあ」
私を殴り倒した男はギラギラした目で私を見つめ、笑いながら胸元に手をかけて服を破った。
「いっ……!? やぁっ……」
必死で腕で肌を隠そうとするが、周りの男達に腕を掴まれ引き剥がされてしまう。
恥ずかしさと汚らわしさで涙が出てきた。
嫌だ、絶対嫌だ!
こんな連中に良いようにされるのも、それに屈服させられて泣きじゃくるのも!
「ふ……んぐ……ぁぁああああああああっ!!」
体内の闘気に活を入れるための咆哮!
私はレンフォード家の女だ!
弓聖の血を受け継ぐ帝国の名門!
弓矢が無くとも闘気の質も量もこんなチンピラなんかに負けるわけがない!
「帰るんだ、コウのいるあの家に」
自分に言い聞かせるように呟き、口元の血を拳で拭った。
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