第8話 修行の日々(回想)

 翌日、街から少し離れた原っぱで俺はサンドラから一本の短剣を受け取った。


「あなたにとって一番力を発揮できたという戦いはどれ?」


 俺は短剣の刃に映し出された自分の目を見て、答える。


「ついこないだ。ユキと最後に仕事をした時」

「場所と相手は?」

「街の下水道。相手は多分、アリゲーター」

「アリゲーター? 珍しいわね。大きさは?」

「三メートル、はあったと思う。

 すごく硬くて攻撃も強力で素早かった」


 矢継ぎ早に質問してくるサンドラに答えていく。

 やがてサンドラは満足したようにうなづく。


「よし、だいたい思い出したわよね。

 じゃあ早速その時のアナタになってもらおうか?」

「その時の?」

「人間にとって気分やコンディションというのは思っている以上に大きいの。

 知ってる? アリゲーターって中級程度の冒険者が寄ってたかってなんとか駆除できるレベルの危険な相手なの。

 ゴブリンすら狩れない底辺冒険者なんて瞬殺されて然るべき。

 だけど、善戦できていたんでしょう。

 つまり、アナタのポテンシャルは最低でもその程度はあるの。

 その状態を分析し、常時その力を発揮できるようにする。

 それがまず修行の第一段階」

「昨日言ってた闘気の修行は?」


 俺の問いにサンドラは眉をひそめた。


「今のアナタのクソ雑魚闘気なんて鍛えようがないって言ってんの。

 その修行に移るのはまだ先の話よ」

「先…………ですね」


 いずれその領域に達することができるとサンドラは俺に期待してくれている。

 そのことが嬉しかったから、その期待に応えたいとその時は思った。







 数時間後――――


「オエエエエエッ!!」


 気分の昂りは絶え間なく繰り返された嘔吐によってとっくに霧散している。

 サンドラの修行とは至ってシンプル。

 自分を殺すつもりでかかってこい、それだけだ。

 ただサンドラの強さは尋常でなく、攻めは苛烈そのもので鍛えるなんて代物じゃなかった。

 その身体能力はあのアリゲーター以上。

 炸裂する打撃は内臓を痛めつけ、骨を折る。

 痛みでもがき苦しんでいるところを無理やり治癒魔術で治して、さらに稽古を続ける。


 日はもうすぐ暮れようとしていた。

 流石に太陽が沈めばこの恐ろしい修行も一旦終わるだろう。

 そんな甘い考えを抱いたが、


「日が沈めば終わると思っているのかしら?」

「イッ!?」

「アタシをナメないで。視線と表情を見ればアナタが邪なこと考えているくらいすぐ分かるわ。

 こんなに痛くて苦しい思いしたことないんでしょう。

 そりゃあ逃げ出したいわよねえ」

「そ、そんなんじゃない!

 やってやりますよ! 朝までだって!」


 サンドラの挑発に正しく応えたつもりだったが、これは不正解のようで首を横に振られた。


「朝まで? やーよ。お肌に悪いじゃない。

 なんで私がアナタのためにそんな割に合わないことしなきゃいけないの?」

「え、じゃあ……どうするんですか?」

「簡単なこと。次、アナタが倒れる前に私に一太刀浴びせられなかったら修行は今日を以って終了よ」

「ハアッ!?」


 突然の落第宣言に思わず声を上げてしまう。

 が、サンドラは当然のように、


「無駄な時間は使いたくないの。

 これはアナタの才能がないからってわけじゃないの。

 才能がなくても強くなれる。

 だけど『いつかは強くなれる』と今この瞬間を諦められる奴の行く末なんて知れてる」


 そう俺に言い放ち、拳を構えた。


「次は手加減しない。

 骨を折るんじゃなくて頭を潰しにかかる。

 もちろん治癒はしてあげない」

「……冗談、ですよね?」

「あら? アナタは私に冗談のつもりで師事を乞うたの?」


 本気だ、紛れもなく!


 俺は剣を構える、が恐怖で足が震えてしまっている。

 こんな状態でまともに戦えるか!

 震えるな! 鎮まってくれ!


「アナタの命の価値なんて虫以下。

 ここで脳みそぶち撒けて死んだら魔物や獣の餌になるだけ。

 私はとても優しいけれど、つまらない奴の人生には興味ないの」

「ちょ、ちょっと待て!!

 何故殺そうとする……んです!?」

「アナタが生きている以上、面倒な仕事が増えるのよ。

 ああ、勘違いしないで。

 アナタに何らかの価値があるというわけじゃない。

 ただユキちゃんがねえ」


 ユキ……どうしてその名前が今出てくる?

 そもそもアンタとユキとの関係はなんなんだ!?


 サンドラは普段の飄々とした顔を邪悪なものに変える。

 もはやそこに女装した男の滑稽さなど微塵も窺えない。


「だから、アナタにはさっさと死んでもらったほうが楽なのよ。

 ユキちゃんに『アナタの幼馴染はアナタに捨てられて自暴自棄に過ごしてたら、いつの間にかくたばってましたー』とでも言っとけば良いんだから」

「なん……だと?」


 ユキに捨てられて自暴自棄になって野垂れ死に。

 たしかにそうだろう。

 弁明の余地もないし、誰もしてくれない。

 そもそもヤケクソでこんな得体の知れないオカマに弟子入りしようだなんてこと自体どうかしてた。

 ああ、本当に俺のバカ…………


 俺は俯き、歯を食いしばった。


「なに? 抵抗する気すら失せたの? だったら――――」

「うるせえ、クソおかま野郎」


 バカすぎて許せねえ……

 コイツのいうとおり、なんて甘かったんだ俺は。

 頑張るだのなんだの、それをしていなかったからここにいるんじゃねえか。

 辛い、苦しい、怖い、嫌だ。

 そんなもの積み重ねても何も強くなれなかったから、俺はひとりここにいる。


「あら……なにか、掴んだ?」


 目の前のコイツを――――殺せ!!

 そうするしか道はない!!


「し……ね……しね……しね、しね、シネシネ――――」


 剣を振るえ――――奴の首を切り落とすまで!!


「死ねえええええっ!!」


 地面を蹴った俺は一飛びでサンドラの間合いに入る。


「ムッ?」


 サンドラは上段蹴りで俺の頭部を狙ってきたが、身体を丸めて避け……られた!!

 奴の側面に取り付いた瞬間、


「でやあっ!!」


 すかさず剣を振るった。

 だが、半歩身をずらしただけでかわされてしまう……構うな!

 振らなきゃ当たらない! 殺せない!

 

 足を踏ん張って流れてしまいそうになる身体を止めた。


「死ね死ね死ね死ね!!」


 思いつく限り剣を振り回す。

 だがサンドラに刃は届かない。

 もっと、もっとだ!

 殺意を以って感覚を研ぎ澄ませろ!

 休もうとする内臓を奮い起こせ!

 重くなる身体を引きずってでも動かせ!!


「ちょ! 早く……なって?!」


 サンドラの声に微かな焦りが混じった。

 チャンスを掴みかけている!?

 相手に冷静になる間を与えるな!!


「やあああっ!!」


 ドゴッ!


 鈍い音と共に鍛え上げられたサンドラの腹筋に俺の肘が炸裂した。

 唾液を吐き散らして揺れる一瞬の隙を捕まえる。


「死……ねえっ!!」


 サンドラの首に俺の短剣の刃が吸い込まれるように刺さる――――


「あいたっ」


 首に当たった瞬間、


 パキリ、


 と頼りない音を立てて短剣は折れた。

 当然、サンドラの首は擦り傷を残しただけだ。


「お返しよ」


 シュドオオオオオンッ!


 流星が頭に直撃したような勢いで俺の身体は頭から地面に叩きつけられた。

 なにが起こったかは分からないが……おそらく……サンドラの一撃が……俺を……襲って……







「《ヒール・トライ》」

「うっ……ア、ぐぅ……ハッ!!」


 暗転しかけた意識が急にハッキリすると同時に、身体が急速に回復していく。

 その反動か、壮絶な息苦しさに襲われる。

 それから逃れるため強く息を吐いた。


「その貧弱な力でよくぞ私に一太刀届かせたわね」


 サンドラが自身の首を撫でると指に血が付着していた。


「す、すみませんでした…………」


 真剣を使った稽古とはいえ、本気でサンドラを殺すつもりは当然無かった。

 だが、さっきまで敵を殺すことに集中しきっていたからなんの躊躇いもなく人間の首に刃を振るおうとしていた。


 ……怒られる?


 恐る恐る顔色を窺うと、サンドラは機嫌よさそうに微笑んでいた。


「ううん。これくらいの覚悟がないと話にならないわ。

 冒険者も騎士も多いのよ。

 人間はもちろん、人型の亜人にも刃を突き立てられない奴。

 そうじゃないっていうのは証明されたわけだし」


 サンドラの傷はあっさりと治癒された。

 そして、口角を思い切り上げた。


「そんなことより、凄いじゃない!

 アナタ、闘気のコントロールほとんどできてるわよ!」

「えっ……」

「闘気を使えない人間が私に刃を届かせるなんて不可能よ。

 さっきの一合、あきらかにアナタは闘気をコントロールして発揮していた。

 アリゲーターとやり合えたのも分かるってものよ」


 はしゃぐようなサンドラに対し、俺には実感がなさすぎる。


「さっきは無我夢中でアンタを殺そうとしていたから……」

「多分それね。

 仮説だけど、強すぎる目的意識がアナタの中で別の人格を生み出し身体を動かしていた。

 そして、その別人格は戦闘に最適化された身体の動かし方をしている」

「そんなこと、あるの?」

「程度が軽いのなら誰にでも起こることよ。

 何かに夢中になって寝食を忘れたりするのとかね。

 その場合は本能的な欲求を抑え込む操縦をしているということなんだけど……

 ただ、アナタの場合は異様に器用なの。

 私がじっくり叩き込もうとしていた闘気運用の方法を既に最適化させて稼働しているんだから。

 ハッキリ言って異常な戦闘センスよ。

 そう、これじゃまるで――――《変身トランス》」

「とらんす?」

「今はあまり見られないけど、狩りを行う際に薬物を使って一時的に痛みや恐怖を麻痺させる風習を持った部族がいるの。

 そのあまりの強さと性格の変わりようは人ではない何かに変身してしまったようだと伝え聞くわ。

 薬物なしで同じようなことができるアナタの集中力は異常だと思うけど、希有なスキルよ。

 だとすると……明日からは鍛え方を変えるべきかもね」


 サンドラは僕を起こすと肩を引き寄せた。


「逃げるなら今夜のうちよ。

 明日はもっとキツいところまで追い込む。

 私がハッタリで言ってないということは分かるわよね」

「ああ……あなたは俺の命を虫ケラほども気にしていない。

 よーく分かってます」


 やる気がなければ殺す。

 成長を見せられなくても殺す。

 期待に応えられないようなら俺に命はない。


 善意なのか悪意なのかそれを測ることすら俺にはできない。

 ただ一つこの女男のことで分かっているのは、ユキの関係者だということ。


「ユキも……今頃修行しているんですか?」

「そりゃあね。六天の連中にとってはやっと見つけた崇拝者の忘れ形見だもの。

 大切にされると同時に期待も高い。

 最初のうちは臨界業ぶっ続けで根性叩き直してるんじゃないのかしら」

「臨界業?」

「早い話、死ぬ寸前まで痛めつけるってことよ。

 ユキちゃんはお母様と同じく典型的な魔術師型。

 魔術師はいかなる時でも沈着冷静な集中を保たなくちゃいけない。

 たとえば自分の頭が喰われて数秒後に死に至ると確信できる状態でも、その数秒間で呪文を詠唱して仲間たちの利を残す。

 そういうことができるようになるためには、ありとあらゆる苦痛や恐怖を乗り越える強烈な精神力を養う必要がある。

 代償として、アナタの知っているユキちゃんはいなくなるかもしれないわ。

 それくらいのことをあの子はされてしまう」

「そんなの……」


 アイツが耐えられるわけない。

 ユキはいつだって臆病で弱虫で、だから守ってやらなくちゃいけないって……思ってた。

 でも、今の俺にはどうすることもできない。

 アイツが俺を捨てたのは俺じゃ何の役にも立てないからだ。


「そんなの、どうしてユキがやらなくちゃいけない。

 他にもたくさん血統に恵まれている奴はいるんじゃないですか!?」

も似たようなことをやらされているからよ。

 底辺冒険者や市井の人間はこの世界がどうなっているのかすらよく分かっていない。

 知ろうともしない。

 自分の目に映ることだけが全てだから。

 世の中に魔物が溢れかえっている理由も『海に魚がいるのは当然』みたいに深く考えることなく平穏に見える世界で日銭を稼いで暮らしている。

 だけど、世界の真の姿はとても残酷でおぞましく、人類の命運は薄氷の上に立っているようなもの。

 庶民が羨むお貴族様も英雄様はその真の姿とずっと向き合ってきている。

 アナタのやろうとしているのは見なければ幸せでいられた世界の姿を自ら見に行こうとしていることに他ならないのよ」

「だから退けって? 冗談キツいですよ」


 偉い人たちが見た世界の真の姿なんて知る由もない。

 だけど、俺は俺で嫌なものをたくさん見てきた。

 本当に世界が平穏なら、俺とユキはあの村でずっと一緒に……


「俺は自分が生きる道を自分で切り拓きます。

 そうじゃなきゃ、として生きている意味がない」

「アハ、醜い女男にはお耳が痛いわね。

 その進んだ先にユキちゃんがいると」

「俺の横にも後ろにもアイツはいない。

 なら前に進むしかない、そうでしょう」


 ユキには俺が必要で、俺は必要とされる俺でなきゃいけない。


「明日も……鍛えてください」


 俺の都合の良い自分勝手なお願いにサンドラは微笑んだ。


「フフ。アナタ、なかなか素敵よ。

 なんならお姉さんがベッドの方も鍛えてあげようかしら?」

「それは嫌だああっ!!」


 俺は全力で拒否した。

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