第6話 成長のもたらすもの

 暗い洞窟の中で俺は大きく深呼吸をする。

 油、火、苔、石、水、小動物や虫、それらの糞尿、そして獲物の匂い。

 研ぎ澄まされた五感は人間の持つソレとは鋭敏さがまるで違う。

 暗い洞窟の中でも小さなランタンひとつで奥の壁まで見渡せる。

 ヒタヒタと石をかけてくる足音が聞こえる。

 肌に張り付く空気の重さが変わる。

 殺意がこちらに向いているからだ。


 俺は太ももに装着した針を掴む。

 針と言っても蝋燭ほどの太さをした凶器であるそれを指と指の間に挟んで投擲する。

 近づいてきていたゴブリンの喉を砕くように貫いて絶命させた。

 おそらくは斥候、時間を置く手はない。

 速攻で片付ける。


 地面を蹴り高速で駆け出す、が音は立てない。

 運足術と呼ばれる歩行の技の一種【颯々】。

 暗殺者が好んで使うというこの技は対人戦闘以外でも十分に役立つ。

 俺の接近に気付かないゴブリンどもは洞窟の奥でおぞましい晩餐会を開いている最中だった。

 食卓に並んだのは近隣の村の少女と少年――――


《死ね》


 そう呟いて、一番近くにいたゴブリンの頭を叩き割った。

 その瞬間、ようやく敵の侵入に気付いたようだがもう遅い。


「死ね、死ね、死ねっ!」


 呪詛のように呟くのは胸にとどめ切れなかった殺意。

 兄妹のように育ったという少年と少女がゴブリンにさらわれたと冒険者ギルドに捜索依頼が出たのは昨日の午後だった。

 その時既に、彼らが居なくなって二日が経過していた。

 ゴブリンはこの世で最も数が多いモンスターで被害の数もそれに比例して多い。

 亜人種に数えられることもあるが知能が低く人間とのコミュニケーションが取れないため、害獣として駆除される対象だ。

 戦闘能力は人間の子供程度。

 並の冒険者なら取るに足らない相手だが、時たま賢い個体が群れを率いたりコロニーを築くことがある。

 そうなるとかなり厄介だ。

 徒党を組んで家畜や食糧を盗むくらいならまだ良い。

 だが、戦力の優位を認識した時、奴らは人殺しを娯楽として堪能し始める。

 征服欲を満たすためだけに男女問わず犯す。

 飽きたらバラバラに切り刻んで喰らい尽くす。

 抵抗する術を持たない無力な人々に与える被害は甚大で陰惨だ。

 ここで行われたこと…………想像するだけで吐き気がする!!


「この悪鬼どもがアアアアアアッ!! 死ねえっ!!! 千切れて腐れ落ちやがれええええ!!」


 ――――殺戮。


 洞窟内に潜伏していたゴブリン十七匹が死体に変わったのを確認して、大きく息を吐き出す。

 押し寄せるような体の怠さと発熱。

 そして鈍っていく五感。


「く……ハァっ!」


 へたり込むようにその場に崩れ落ちた。


「安心するのは早いんじゃない?」


 突然かけられた声と現れた気配に驚き、打たれたように飛び上がり身構える。


「とはいえ、この群れを正面突破で根絶やしにできたのは褒めてあげる。

 最初のうちは一匹狩るのに必死だったのに。

 成長したわね。コウ」


 入り口の方から現れた巨大な熊のような影はサンドラのものだった。


「群れのボスはどれかしら」

「アレです。頭を叩き潰したので分かりにくいかもしれませんが、ゴブリンロード……の一歩手前といったところでした」


 俺がその死体を指差すとサンドラは満足そうにうなずき、被害者の遺物を集めるように命令してきた。

 最悪な気分でボロボロの死体から遺髪を切り取り布に包んだ。


「嫌な仕事よね。

 返り血を浴びながら薄汚いモンスターを叩き殺しても死んだ人は戻ってこない。

 彼らの無念が晴れることもない」


 サンドラの言葉は感想というよりも俺に説いて聞かせるようだった。


「冒険者の仕事は四つに分類される。

 討伐アタック護衛ガード探索クエストその他エトセトラ

 護衛ガードは良い仕事よ。

 守る対象が見えている分やりがいもあるし、感謝されることだってある。

 探索クエストも悪くないわ。

 未知の場所の探索は人間の欲求だもの。

 でも、討伐アタックはろくなもんじゃない。

 依頼を受け取るのは大抵が被害を受けた後だもの。

 被害を拡大しない為の討伐は必要なことだけど、負け戦の処理なんて虚しくて心躍らない。

 今の時代、冒険者の英雄なんて現れないでしょうね」


 サンドラの言うとおりだと思う。

 基本的に冒険者はギルドが提示する仕事を受けることしかできない。

 そしてギルドにモンスターの討伐依頼がやってくると言うことは被害者が生まれているということだ。

 一方、騎士団や軍は国を挙げた情報収集により得たモンスターの潜伏先や大量発生に対して集団で先制攻撃をかける。

 そうやって被害を未然に防ぐことに力を注いでいる。

 まさに人の世を守る仕事だと言える。

 昔、国の力が弱かった頃は冒険者の活躍は目立っていたらしいが、今は騎士団の討ち漏らしを拾うような依頼がほとんど。


「となると、俺は騎士団に入った方がいいんですかね?」


 聞く人が聞けば「武人の血も引かない平民が不遜なことを言いやがって!」と怒り出すだろう。

 だけどサンドラは、


「そうね。英雄になりたいのならそうするべき。

 もっとも騎士団に入るのにはコネが必要だからね。

 そしてコネを見つけるのも使わせてもらうのも実力と実績が伴っている必要がある。

 しばらくは嫌な仕事頑張らないとね」


 と俺の言ってほしいことを全部言ってくれる。

 彼……彼女? は、俺のことを軽んじたり蔑んだりしない。


 サンドラに弟子入りしてから一年と半年が経つ。

 俺の見込みどおりサンドラは相当の手練れらしく、様々な武術や学問に精通しており、顔も広かった。

 そして教え上手だったように思う。

 才能のない俺に最適化された仕上がり像を描いて、それに迫るべく訓練をしてくれた。

 最近では実戦経験を積むために冒険者ギルドのモンスター討伐依頼を片っ端から受けている。

 しかし、これはただ依頼を達成すればいいというものじゃない。

 サンドラは毎回俺の行動や装備を制約したうえで戦わせる。

 今回のゴブリン退治は剣を使わずに殲滅するというものだった。

 こうやって仕事の難易度を調整することで様々な状況に対応できるだけでなく、油断を挟む余地をなくしているのだという。

 厳しくて無茶な修行だと思うが、それを貸したサンドラの期待に応えたいと思う。



 帝都に戻ってきた時には既に日が暮れかけていた。

 ギルドに報告するのは明日に回して数日ぶりに部屋で休もうと思う。

 俺の住処はマーサがやっている酒場の二階。

 夜遅くまで酔っ払いの声が聞こえてくる騒がしい場所ではあるが居心地が悪いというほどじゃない。

 サンドラに出会った日から一度も酒を口にしてはいない。

 そんなことをしたら命に関わる、というほど鍛錬は厳しいものだったからだ。


 部屋の扉に鍵をかけると軽量鎧と鎧下を脱ぐ。

 下着を残して裸になった俺はマーサに用意してもらった桶に入ったお湯で清拭し始めた。

 サンドラの教えの一つに「出来る限り身体の清潔を保て」というのがある。

 これは単純に身嗜みや感染症対策の問題ではなく、「戦いを生業にするのなら汚れ一つ許さない濃やかさを以て身体を手入れする精神を持て」ということらしい。

 たしかにこうやって身体を拭いていると色々と考えが巡る。

 一年半前に比べて栄養状態が良くなったため肉付きは良くなったが鍛錬で絞るところは絞っている。

 手足の長さも手のひら一つ分は伸びた。

 身体つきが子供のものから大人のものに変わりつつある。


「アイツも、そうなのだろうか?」


 ふと至った考えはとても恥ずかしさを掻き立てるものだったので、俺は頭を振って外に追いやった。

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