第5話 弟子入り

 ドサッ。


 サンドラに放り投げられた俺はベッドの上に落下した。

 ヤツは閉じ込めるように扉の前に椅子を置いてドッカリと腰を下ろして足を組んだ。


「あ、あの! 俺は、その、あなたの趣味ではないかと思うんだが」

「あらぁ、会って間もないのにアタシの趣味が分かっちゃうの?

 相性抜群ね、アタシ達」


 蠱惑的……というよりは野獣的な笑みを浮かべるサンドラに俺は気圧されていた。


「さて、と。冗談はここまでにして本題に移りましょうか、コウ。

 あなたこれからどうするつもり?

 手切れ金で盛り場に入り浸っても長続きしないでしょう」


 急に真面目な顔して……調子が狂うなんてものじゃない。


「アンタ何者だよ。あのヴェルディとかランジェロの一味か?」

「フフン。残念ながらハズレよ。

 でも、事情は把握してるわ。

 今は亡き六天賢者の忘れ形見で皇帝の血を引く御子。

 血統的に恵まれた約束された英雄――――ユキ、なんて陳腐な名前にしておくのは勿体無いわね。

 いずれ改名するかもしれない」

「どいつもこいつも……ユキがそんなに凄えヤツなわけねえだろ!

 アイツは弱っちくて泣き虫で俺以外には自分の思っていることもロクに口にできないヤツだったんだぜ!」

「だった……のかもね。

 昔のことは知らないし必要ないわ。

 幼馴染のあなたが大切に思い出として抱えてればいい。

 でも、今のユキちゃんは紛れもなく英雄の片鱗を見せ始めている。

 あなたも見たのよね。

 あの子がこの世ならざる場所から炎を引き摺り出すのを。

 現世の炎を使った火遊びを魔術とうそぶいているような魔術師とは格が違う。

 鉄でできた巨人ですら焼き尽くす超常の焔。

 たとえ英才教育を受けていたって十三才の子供が扱えるものじゃない。

 田舎育ちの平民のあなたからすれば血統なんて気にかけるようなものじゃないだろうけど、戦を生業にする者や王侯貴族はその価値を知っている。

 子猫から虎が生まれないように、英雄は英雄の資質を持った親からしか生まれないの。

 帝国騎士はもちろん、上級冒険者に至るような奴は名門貴族家や名だたる武人の血が流れているってのは上流階級では常識よ」


 サンドラの言うことが本当なら辻褄が合う。

 底辺の冒険者と上級冒険者とではその力に雲泥の差がある。

 鍛錬の多寡、経験の有無、そんなものでは説明がつかない。

 言ってみれば生物としての種が違う位の。

 俺は一年、必死で戦ってきてもドブ掃除から抜けられなかったが、一ヶ月で悪魔狩りを始めた者もいる。

 安全を優先していた、なんてのは建前だったのかもしれない。

 自分の非才から目を背けるための。


「これからユキちゃんは物凄く強くなるわ。

 六天賢者の弟子達は師から受け継いだ者を惜しみなく授けるでしょうし、折を見て戦場にも出る。

 一攫千金の浪漫に満ちた冒険者の集る狩場ではなく、人類種の存亡をかけた本物の戦場に。

 その中で研ぎ澄まされていくことでしょう。

 英雄という名の殺戮兵器として」


 サンドラの目に少し翳りが見えたが、すぐに人を喰ったような表情に戻る。


「それに、子供もたくさん作らされるでしょうね。

 さっきも言ったように英雄の子は英雄になれるんだから、あの子が望む望まないは関係なく、周囲が縛り付けてでもそうさせるわよ。

 ユキちゃんの上に下に屈強な英雄達が出入りするの!

 あぁ! 私もひと口味わいに行こうかしら?

 どう? 幼馴染的には胸が苦しい?」

「今すぐアンタを叩きのめしたくなるくらいには」

「ヌフフ。できないわよね。

 あなたは血もなければ実力もない。

 運命に選ばれることもないただの子供だもの。

 どれだけ悔しくても、あなたはあなた。

 それが分かったのなら駄々こねて酒を浴びるのはもうおしまい。

 マーサ姉さんに頭を下げて助けを乞うといいわ。

 あの人は情が深いから面倒見てくれる。

 この街の一市民として生きていけるよう、立ち上がりなさい。

 そうすることをユキちゃんも願っているわ」


 それは、とても優しい死刑宣告のようだった。

 ユキに捨てられる前からずっと、生きているのが苦しかった。

 飢えと惨めさに蝕まれ、先の見えない未来に怯える。

 それが終わるのなら放浪の終着点としてまずまずの出来だ。

 俺はユキのように、英雄とやらにはなれないのなら……


「分かった。酒は辞める。

 もともと美味しくて飲んでいたわけじゃないし」

「そう。良かった――――」

「だけどっ!」


 バンっ! と俺は金貨の入った袋をサンドラの足元に投げつけた。


「マーサの頼りにはならない……

 一市民として生きていく?

 今までのことも全部無かったことにして?

 冗談じゃない、冗談じゃないぞ!

 親の出来が平凡だからって何故俺が諦めなきゃならない!

 やってみなきゃ分からねえだろ!」

「やってみた結果が今じゃないの?」

「やり方が足りなかったってだけだ!

 ああ、そうだ。飯が食える程度の小銭を稼いで眠ってを繰り返すだけで強くなれるなら誰だって英雄だ。

 もっともっと、命を賭けるだけじゃ足りない。

 命を使い切るつもりで俺は自分を鍛えなきゃいけなかったんだ!」


 今になって自分の甘さを痛感する。

 ユキがいるから、ユキを危険な目に合わせたくない、ユキを守らなきゃ……全部自分の身を守るための言い訳だ。

 そうやってぬるま湯に浸かり続けてきた報いを今受けている。

 サンドラの言うとおりなら、これからユキを待つのは今までとは比べ物にならない過酷な日々。

 それを知りながら自分だけ逃げるわけにはいかない。

 ユキが村から飛び出してこの街にやってきたのは、なんだから。


「で、どうするつもり?

 御大層な覚悟があっても行動が伴わなきゃ呑んだくれと変わらないわよ」

「…………分かってる。

 多分、俺が一人で修行しようが冒険者稼業を続けようが大して強くはなれない。

 だから!!」


 床に膝をついて、サンドラに頭を下げた。


「お願いしますっ! あなたに弟子入りさせてください!

 俺に強くなる方法を教えてください!」

「……へえ。あなたの中では私は強者に数えられているの?」

「だってさっき、その……ユキと子供を作るのどうのの話の時にちゃっかり自分のことを入れていたじゃないですか。

 それって、自分が英雄に相当するものだって思っているからでしょ?」


 サンドラは目を丸くした後、口元を隠して笑い始めた。


「フフ、これは一本取られたわね。

 あなた粗野っぽいけど冷静……いや、粗野っぽく演じているのかしら?

 なるほど。それもそうか」


 一人納得したように何度もうなづいた後、サンドラは、グシャリ、と俺の髪の毛を掴み、顔を覗き込む。

 近い距離にハラハラしてしまうが動揺を顔に出さないように心がける。


「才能は血で決まる。これは世界の定説。

 覆すのは容易じゃない。

 だけど――――」


 前置きをしてサンドラは俺の目を真っ直ぐ見つめて語り聞かせる。


「才能で強さが決まるわけじゃない。

 強さで戦功が決まるわけじゃない。

 でも、努力や禁欲ごときで覆せると思わないで。

 全てを賭けた上で、運や巡り合わせみたいに自分でどうしようもないものも味方につけて、ようやくあなたはスタートラインに立つことができる。

 そんな馬鹿げた賭けに乗る覚悟はある?」


 その問いに俺は躊躇いなくうなずく。

 サンドラはニンマリと笑い、金貨袋を拾って懐に入れた。

 弟子入りを認めてくれた、と受け取っていいのだろう。


「しかし、いったい何がアナタをそこまで駆り立てるの?

 騎士の誇りも、貴族の矜持も関係のない平民の子。

 もしかして、ユキちゃんの事が恋的な意味で好きだから!?

 キャッ! だから苦難の道を行くあの子を一人にできないとか!?」


 はしゃぐサンドラに俺は首を横に振って答える。


「いいや、俺にとってアイツはただの幼馴染。

 一人にできないっていう責任感はあるけど……今やよくわからないです。

 だって、俺よりアイツの方がずっと強いし」


 多分、俺は思ったより小さな人間という事だろう。

 『住む世界が違う』『釣り合いが取れない』

 そう言って俺を捨ててどこかに行こうとしているユキにムカついているんだ。

 俺はずっとユキの前を進んで手を引いてやっていると思っていたから。

 すべて、勘違いだったけど――――


「でも、俺はユキにだけは負けたくない。

 俺を捨てた幼馴染ユキを英雄になんかさせない。

 俺がアイツを押し除けて英雄になるんだ」


 そして、アイツに言ってやる。

 驚いた顔をするアイツの前に堂々と立ち「ざまあみろ」って。

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