第3話 賢者の子

「外来種の討伐のはずがとんでもないものを拾ってしまったな。

 この闘気の波長……間違いなくあの方の因子だ」

「にわかには信じ難いな。

 あれだけ距離があっても感知できるだけの大魔術を使えるクセにどうしてドブ掃除なんか」

「……このお付きの者のせいだろう。どうする?」

「殺すのが確実だが、これから我らが使える御主人様の不興を買うのは避けたい。

 持ち物の始末は本人にお任せするさ」



 まぶたが開かず、指一本動かせない状態で聞こえてきた男達の会話。

 まったく何がなんだか分からないのに、とても不安になる。

 思い出すからだ。

 あの家で暮らしていた頃。

 クローゼットに隠れてユキと一緒に聞いてしまった大人たちの会話。

 怖かったからそばにいるユキの手をギュッと握った。


 ユキの顔が見たい。ユキの声が聞きたい。ユキに触りたい。


 それだけで俺は――――



「いい加減起きろ! クソガキ!」


 野太い男の声で起こされた俺は自分がベッドの上に寝かされていることに気づいた。

 久しぶりのベッドの柔らかい寝心地を堪能したい欲求よりも焦りが先に立った。


「ここはどこ? ワタシは誰?」

「呆けてんじゃねえよ。

 ちょっと足噛まれた位で重傷ぶりやがって」

「ちょっと……じゃなかったけどね。

 まあ、運が良かったね。付き人チャン」


 ぐらぐらと揺れる視界は安定しない。

 だけど、目に映る物を判別することはできる。

 木板で作られた壁、天井、光晶石で作られた室内灯、俺を取り囲むように椅子に座る男たちが四人。

 それと……


「ユ……キ? な、んだ……その格好?」


 ユキは見るからに高級で質の良さそうな豪奢なローブを纏っていた。

 雲のように真っ白で金銀の糸で刺繍が施されている。

 服装だけじゃなく、汚れ放題荒れ放題だった肌は張りと潤いを取り戻している。

 髪の毛も天使の輪ができる程に艶めき、目鼻を隠していた前髪も眉毛の辺りで切りそろえられている。

 こんなにキレイだったか? って俺ですら驚くほどの美貌をさらけ出していたユキは気まずそうに小さく俯いた。


「コウ……で良いんだな。

 お前の小さそうな脳みそじゃ考えるだけ無駄だから俺の話をよーく聞いとけ」


 周囲を囲む男の中の一人、目つきの悪い色黒の男が明らかに侮蔑を込めた視線を僕に向けてきた。


「俺たちは帝国騎士だ。

 もっとも、あの皇帝暴君に忠誠を誓った覚えはサラサラねえ。

 俺たちの主君はただ一人、そこにおはせられるユキ様だけだ」


 なにを言っている――――


「『何を言っているのか分からない?』

 なんてくだらねえ感想をのたまうんじゃねえぞ。

 お前みたいな雑魚冒険者が話しかけて良い人間なんてここにはいねえ。

 俺たちの話すことを黙って聞いて、質問されたことだけに答えろ」


 高圧的……というより俺を人間として見ていない。

 帝国騎士――――この国の軍の中核であり、貴族相等の権力を持つ者。

 世情に疎い俺でも彼らが俺たちのような平民以下の人間とは身分が違うということは分かっている。

 ユキ、どういうことだよ?

 なんでお前がそっち側の人間みたいな顔してるんだ?


 疑問を口に出すことすら許されないまま、目の前の男は面倒そうに語り始める。


「俺たちの所属は六天騎士団。

 賢者という高等魔術の使い手で編成されている。

 もっともここ十年あまりの間は冷や飯食らいの扱いだがな。

『六天賢者』という名を聞いたことはあるか?」


 男の問いに俺は首を横に振る。

 男は呆れたようにため息をついた。


「ハア……本当に何も知らないんだな。

 六天賢者といえば帝国史上最高の魔術士であり、俺たち六天騎士団の創始者だ。

 名前はサラサ……俺たちの長であり、師であり、母であり、姫……まあ、それくらい大事だったお方だ。

 俺たちだけじゃない。

 強く聡明で優しかったあのお方のことを誰もが愛しんでいた。

 あの皇帝さえも……

 もし、皇帝の寵愛さえ受けなければ暗殺されるようなことはなく、今でも世のために力を振るわれていただろう」


 暗殺。その単語が発された時、この部屋にいる男たちは怒りや悔しさの表情を浮かべた。


「当然、俺たちは首謀者を見つけ出して仇を撃つことを企てていた。

 何度も言うが、俺たちにとってはサラサ様が絶対。

 そのサラサ様に手をかけた者を殺すためならば宮廷に火を放つことも辞さない。

 もし、サラサ様が極秘裏に御子を産み落とされていたことを知らされなければ、復讐は決行されていたことだろう」


 男は後ろにいるユキに目をやる。

 俺は嫌な予感がした。


「御子は俺たちの仲間の一人が連れ出して辺境の村に落ち延びた。

 それを知った俺たちは御子が成人されるまでは短慮な行動に出ないと心に誓った。

 あのお方が遺された忘れ形見……ユキ様のお力になることも、生きてさえいればあるだろうと」


 頭の理解が追いつかないが、この人が勘違いしているのは間違いない。

 だってユキは俺の幼馴染でずっと一緒に育ってきた……いや、ユキの父親がそのナントカっていう賢者の弟子で、ああ、そういえばユキも魔術の修行を受けて……


「正直、お前は百発ぶん殴っても怒りが治らねえよ。

 ユキ様を拐かした挙句、村の外に攫い出して、挙句やっていることがドブ掃除だ。

 このことがそのまま皇帝の耳に入ればテメエの首どころか村ひとつ焼き払われてもおかしくねえんだぜ? わかってんのか」

「拐かしたって……そんなんじゃない!

 あの村にユキの居場所はなかった!

 だから、俺がユキを助け出すために――」

「ドブ掃除専門の冒険者に落とすことが助けるってことか? あ!?」


 ぐぅの音も出ない……

 街の状況を知らなかったとはいえ、俺のやったことはユキの命をいたずらに危険に晒すことだった。


「ユキ様の保護者である仲間が亡くなったという情報は掴んでいたんだ。

 その後、代わりを務めてくれた者――お前の父親だな。

 それとも連絡を取り合っていた。

 こちらの事情を把握した上で、こまめに連絡を取ってくれていた。

 だが、いざユキ様を迎えに行こうとしたらその者は死んでいて当のユキ様はそいつのガキと駆け落ちまがいの真似してるんだ。

 ふざけてるよな、本当に」


 男は三白眼で俺を睨みつける。

 怒りというより苛立ちに近いようだが俺が萎縮するには十分な圧力だった。

 重くなった空気を揺らすように柔らかな語り口で別の男が話し出す。


「と、まあこれがここまでの経緯だ。

 これからの話をしよう。

 ユキ様は六天賢者の後継者として我々が教育する。

 永遠の忠誠を誓ったお方の忘れ形見だ。

 全てをかけて守り抜くと誓う。

 ランジェロはああ言っていたが、仮にも君はユキ様の幼馴染だ。

 礼節を欠くような真似はしないよ」


 そう言って、金貨の入った布袋を俺に握らせた。

 柔らかな口調と態度だが明らかに俺を侮蔑しているのが分かる。


「それだけあれば身を立て直すこともできるだろう。

 そしてユキ様のことは全て忘れるんだ」

「手切れ金……ってことか」

「口止め料込みのな。

 然るべき時が来ればユキ様は六天賢者の後継者として表舞台に立ってもらう。

 新しい英雄譚は打ちひしがれている人民の心に火を灯す。

 その英雄譚に汚点はいらない」

「底辺冒険者だったということを隠したいということか?」


 俺の問いに男は嘲るように口元を緩めて首を横に振る。

 そして、


「君のことだよ。ユキ様にとっての汚点とは」

「ハアッ!?」

「幼馴染とはいえ男女の冒険者が連れ添って暮らしていたんだ。

 聞いた時には足元から崩れそうになったよ。

 賢者たる者は清廉であるべきなのに、あんな糞尿の匂い漂う馬小屋で獣のように交わるなど」

「ご、誤解だ! 俺とユキはそういう関係じゃ――」

「そう見られること自体が問題なんだ。

 さっきもランジェロが言った通り、君も村も皆殺しにしてしまった方が禍根を残さないのかもしれない」

「全部俺のせいにするなよ。

 お前だって本気で企てていただろうが」


 ランジェロという男は呆れるように笑う。

 きっと、彼らなら容易いことなのだろう。

 帝国騎士の戦闘力は底辺冒険者100人に勝るという。

 こうやって口で説明してくれるだけでも温情ということか…………だが、ふざけんな。


「勝手なことばっかり言うな!

 なんで俺とユキが縁を切らなくちゃいけないんだ!

 皇帝もナントカ賢者も知らねえよ!

 そんなの俺たちに関係ない!」


 思っていた以上に傷は癒えているようで普通に起き上がれた。

 見渡すように男達を睨み、叫ぶ。


「俺とユキは死ぬまで一緒だ!

 そう約束してあの村を出たんだ!

 子供ふたりで生まれ育った村から飛び出すことがどれだけ怖かったか……

 でも、そうするしかなかった。

 俺たちにはお互いしか信じられる人がいなかったからだ!

 あんたらが何者だろうが俺たちを引き離すつもりなら全力で抵抗するぜ」


 拳を握り込んで顎の位置まで上げる。戦闘態勢だ。

 しかし、男達はつまらないものを見せるな、と言わんばかりの表情。

 そして、ユキは、


「コウ。やめてよ。

 そんなことしても無駄だから」


 と沈痛な表情で言う。


「あきらめるなよ!

 大人なんて俺たちのことを食い物としてしか見ていない。

 それを嫌って程思い知ったからふたりで頑張ってきたんだろうが!」

「そういう大人もいるのは分かってる。

 だけどこの人達は違うよ。

 父さんから彼らのことは聞かされていた。

 信用に足る方々だ」


 コイツ……寝ている間に何を吹き込まれたんだ!?

 俺はユキの弱気な言葉に苛立つ。


「そんなのどうだっていいんだよ!

 俺はお前と一緒にいるって……それをジャマする奴はみんな敵だッ!

 お前に指一本触れさせやしない――――」

「だから、もういいって」


 ……あれ? ユキ?


「アハっ……カッコつけ過ぎだよ、コウ。

 私と二人だけの時なら良いけど人前で見せられると、こっちまで恥ずかしい」


 前髪で隠れていないユキの瞳は美しかったが、とても冷たい。

 憐むように、蔑むように、悲しいものとして俺を映し出している。


「私たちの旅はここでおしまいだよ。

 ヴェルディの言うとおり、そのお金で人生を立て直せばいい。

 できれば冒険者以外で。

 君は向いてないもの。悲しいくらい」

「おいおい……コイツらに言われた事を真に受けて自分が強くなったつもりかよ!

 賢者って言ったって治癒の魔術が少し使えるくらいであとはからきしだったじゃんか!

 俺が身を挺して前に出て戦っていたからお前は」

「デュフフフフフ! あ、失敬…………プヒィ!」


 男達の一人、よく太った男が気持ち悪い笑い声をあげた。

 そして、ヴェルディとかいう伊達男がキザったらしく俺を指差して口を開く。


「まさか本気で気付いていなかったとはな。

 てっきり、気づいているけど気づかないフリしてドブ掃除に甘んじていると思っていたが。

 つくづく度し難い愚か者だよ、貴様は」

「どういう意味だ?」


 ヴェルディに代わってランジェロが口を開く。


「テメエに知られないようにユキ様はわざと力を隠していたんだよ。

 荒削りとはいえユキ様の戦闘力は瞬間的に俺たちに匹敵する。

 そんな力を持っているとどこぞの底辺冒険者のガキが知ったら良いように利用されるに決まってるからな!」


 ランジェロは腹を抱えて大笑いし出した。

 だけど、そんなことはどうでもいい。

 ユキが、俺に嘘をついていた?


「おい……ユキ、どういうこと?」

「ふたりの言ったままだよ。

 コウには本当の力を見せないようにしていた。

 だけど、気絶する前に見たんじゃないの?」


 ふと脳裏に蘇る光景。

 不死身かと思われるアリゲーターを一撃で葬り去ったとんでもない攻撃魔術。

 アレがなければきっと俺は……


 黙りこくった俺にユキは浴びせかけるように罵倒してくる。


「君に合わせて力をセーブしていたのは、私の力に頼って無茶なモンスター討伐なんかの仕事を受けさせないため。

 貧しくて惨めな暮らしでも痛くて死ぬよりはマシだから。

 それでもドブ掃除をこなしている内にある程度のレベルまで上がってまともな仕事ができるようになるのを期待していたよ。

 それに合わせて私も力を解放していくつもりだったけど、そうじゃなかった。

 一年近く経ってドブ掃除でもがいているようじゃ未来はない」

「ちょ、ちょっと待って!

 お、俺は――――」

「コウ。私と君とは住む世界が違うんだよ」


 ユキは笑みを浮かべて子どもをあやすように語りかける。


「たまたま一緒に育って、幼馴染という間柄になって、君が私に好意を持ってくれていたことも知っているけど…………何の力も努力も示さない人に私は自分の人生を預ける気にはならない。

 それに私には使命がある。

 志半ばで亡くなった母の意志を継ぎ、この世のために全てを捧げる。

 君が私の人生に関わる余地は、もう無いんだ」

「…………な」

「ん?」


 …………るな、…………けるな、ざけるな、ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるなふざけ――――


「うああああああああああああああああああああああああああアアアアアアッ!!」


 激情に突き動かされて俺はユキに飛びかかった。

 だが、ユキから放たれた閃光のようなビンタを頬に受けて床をボロ雑巾のように転がる。


「理解した?」


 …………理解したさ。

 術がなくても単純な身体能力でも俺はユキに及ばなかった。

 前に立って戦う? 冗談キツいな、とんだ道化だ。

 男達が部屋を出て行く。

 ユキも追うようにして最後に部屋の外に向かう。

 扉の前で一瞬立ち止まり、俺の方を向く。

 そして、


「君と私じゃ釣り合いが取れないんだよ」


 肉も骨も心もぶった斬るような決別のセリフを残してアイツは去っていった。

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