第2話 灼熱の槍
昼前に降りた下水道の中は妙に静かだった。
ガサガサと這い回るネズミの足音はなく、俺たちのような底辺冒険者が徘徊している気配もない。
「何かおかしくない? 引き返した方が」
「バカ言え。ネズミが大量に湧いてるならともかく、その逆だぞ。
何をビビることがある?」
「そうだけど……地震の時はネズミが家から逃げるって言うじゃない。
これもそういうことなのかも」
ユキの悪い想像に背筋がヒヤリとした。
あたりを見回すと普段以上に辺りが暗く空気が澱んでいるように見えなくもない。
だからといって引くわけにはいかない。
今の俺たちには手持ちの金がない。
飯すら食えない状況で依頼から逃げれば、明日の仕事はさらに厳しくなる。
「何がヤバいのか分からねえのに引き返すバカはいねえよ。
怖いなら一人で帰れ!」
自分を奮い立たせるためにユキを怒鳴りつけ、歩きだす。
待ってよう、と情けない声を上げてユキは俺を追ってきた。
ユキと俺の足音が同じリズムになり、ホッとした瞬間――
ザバッ!!
横に流れている下水の河から聞き慣れない音がした。
思わず振り向くと、眼前には巨大な顎を大きく開けた何かが迫っていた。
『SHAGAAAAAAAA!!』
「キャアアアアアッ!!」
「危ないっ!」
俺はユキの下敷きになる形で床に倒れ込んだ。
先程まで俺がいた場所を猛烈な勢いで通過していったのは……なんだ、アレは?
デカイ蜥蜴のようだが突き出した口は棍棒のように長く太く鋸のような細かく鋭い歯がビッシリ生えている。
その身体は鎧のような鱗で覆われており、尻尾も含めた体長は3メートルはある。
そしてとんでもなく獰猛。
頭の横についた目で俺たちを見つけると鼻を鳴らして再び飛びかかってきた。
「な、なんだぁっ!? コイツは!!」
「アリゲーター……だと思う!
コウ! 逃げよう! 私達の手に負える相手じゃない!」
ユキの提案には全力で賛成したいが状況がそれを許してくれそうにない。
ここらを這いまわっている大ネズミや巨大ゴキブリのような俊敏さで体格ははるかに大きい。
逃げてもすぐに追いつかれる。
そう判断した俺は短剣を入れていた鞘を投げ捨てる。
「時間は俺が稼ぐから逃げろっ!」
振り向かずアリゲーターに向かって突進する。
ユキの叫び声を背中に受けた気がしたが、すぐに意識の外に消える。
自分の身体がなくなっていくような錯覚を覚えた。
手足に重みはなく、顔に触れているはずの風の感触もない。
感じられるのは心臓の高鳴りと呼吸によって行き来する体内の空気。
だが、意識はハッキリしている。
――――目の前のコイツを殺せ。
右手に握り込んだ短剣でアリゲーターの背中を斬りつける。
しかし硬く柔らかい感触に押し返され歯が立たない。
ならば、と襲いくる噛みつき攻撃を避け、床を滑るようにして敵の腹に斬りつける。
微かだが手応えがあった。
証拠に短剣に奴の血が張り付いている。
攻撃が効いたことに自信を得た俺は、何度も何度も同じようにしてアリゲーターの腹を斬りつける。
『GYAAAAA!!』
その悲鳴と血飛沫が俺を更なる集中の奥底に引きずり込む。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ねっ!!
風が壊れた扉を繰り返し叩き続けるように俺は絶え間なく目の前の敵を呪い続ける。
弱っていく敵の姿が自分が圧倒的な力を振りかざす英雄であるかのような快感を与えてくれる。
だが、その傲りは文字通りへし折られる。
バキィン。
金属の割れる音とともに、ズンと身体が重くなる。
身体だけじゃない。
攻撃手段を失ったことを認識した瞬間、怯えと焦りが噴出する。
「あ………ああっ!!」
情けない声を上げて手元を見つめる。
指先程度の刃しか残っていない短剣の残骸が握られていた。
『WGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』
抵抗する術を失った獲物を逃すまいとアリゲーターは渾身の力で飛びかかり、俺のスネに噛みつく。
「アアアアアアッ!!」
下半身から脳に稲妻が駆け上がるように痛みで身体が支配される。
さらにアリゲーターは身体ごと捻るようにして飛び上がり、俺を地面に叩きつけた。
顔面を打ったせいで鼻の奥に広がる鉄の味に刺激され、涙が溢れてきた。
「痛いっ! 痛い! 痛いよぉ!」
ああ、ダメだ……
無力な子どもに戻ったみたいに無様に悶えてしまう。
誰か助けて…………誰か!?
「コウっ!!」
何回も、何万回も聞いた声。
小さな頃からずっと聞かされつづけた声。
今の俺を作ってくれたその声。
「ユ……ユキ…………」
グラグラと揺れる視界の中、幼馴染(ユキ)の顔がハッキリと見えた。
勢いよく駆けてくるユキの前髪が上がりその目鼻がさらけ出される。
ああ、本当にキレイ…………キレイだ。
切れ長で大きな瞳は星を閉じ込めたように煌めいていて、高貴さを感じさせる鼻梁に統率されるように整った美しい顔貌。
誰にも取られたくなくて俺が盗み出した宝物。
だから――――
「に、逃げて…………ユキ」
振り絞るようにそう言った。
臆病で人見知りが激しいか弱い幼馴染。
俺が守ってやらないといけないからいつも傍に置き続けた。
それも終わり……
だけど、どうかユキ。お前だけは無事に――――
「カッコつけるな! このバカ!!」
…………え?
「《開け、熾天の孔――――裁きの光を落とせ、我が意のままに》【
突き出したユキの掌から馬上槍のように巨大で鋭い火柱が放たれる。
それはアリゲーターの脇腹を貫いたかと思うと、まるで油紙を燃やすように容易く巨体を灰になるまで焼き尽くした。
不思議なことに密着していた俺の身体は火傷ひとつない。
俺はユキに目を向ける。
泣いているように潤んだ瞳で俺を見下ろしていたが、ふいにまぶたが閉じられるとその場に倒れ込んだ。
俺は抱え起こそうとしたが駆け寄ることができない。
そうだった。
俺の脚……噛みつかれていたんだっけ…………
大量の出血と危機が去った安心感により俺の意識は途切れた。
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