第29話 棋譜の発明は素晴らしい
梢の見るところ、浩文の基本的な将棋の力量はそれほど高くない。だからこそ、能力を使っているのだろう。
そこで能力ありの勝負にした上で優芽を呼んで他の生徒の能力者を封じるのが浩文の作戦なのかもしれない。卑怯と言うよりは、太一への勝ちへの執念だろう。
対する太一も、何とか勝ち進んでいた。序盤でお互いにつぶし合いになり、終盤の寄せ合いで太一に一日の長がある分、何とかしのいでいるというのが現状だったが勝ちは勝ちである。こちらも執念の産物だ。
そうやって二人は、櫓の端と端から上り詰めて遂に山の頂、決勝戦で向かい合うことになった。予定調和とも言えるし、意外な結末とも言える。
――いや、結末はまだだ。
「会長、一つ言っておくけどケケがこっちにいるのは、俺のせいじゃない」
「へつにそっひにいても構わん。ヘヘはまったく戦力にならない」
「会長、差し歯間に合わなかったんだ」
太一がそう言うと、浩文はモゴモゴと口を動かして、
「……つまり、ケケなんかいらない」
「考えてみれば俺と会長の一騎打ちだ。どのみち誰が何処にいても関係ないか」
言いながら駒を並べようとする太一を前に、浩文はそれを手で制す。
「その前に少し聞いて貰いたい。七草だけじゃなくて、この場にいる皆にもだ」
その言葉に太一は視線を上げた。もちろん、二人の周りの生徒達も浩文を見る。
「今から始まる俺たちの戦いが、仕切り直しだと思っているなら間違いだ。もちろん梢さんを賭けての戦いなどというものではない」
その言葉に、ざわざわと周囲から声が上がる。特にそこまでの経緯をまったく知らされていなかった優芽は、周囲の生徒達が一歩引くほどの怒気を発した。
「要するに前回のが不完全燃焼でな。お互いに決着を付けたいというわけだ。そうだな、七草」
「そういうつもりは全然無かったけど、言われてみれば、そういう部分もある」
「……相変わらず人の戦意を砕くのが得意だな」
「大丈夫。俺のやる気は一杯だ。第一、会長勝ったら賞金自分で取ることになるじゃないか。そんな馬鹿げた事態にならないよう俺は頑張るぞ!」
そう言って太一は再び駒を並べに掛かる。浩文も諦めたように駒を並べようとしたが、ふと思いついたように手を止めて、
「生徒会の予算はまだあるし、他の連中も自分の得意な分野でこんな風なイベントを開きたいなら言ってくるといい。俺たち生徒会に勝ったなら許可してやろう。七草みたいにな」
その言葉に周囲から恨めしげな声が上がる。
「悪の生徒会としては、学校生活にハリを持たせるために、これぐらいはサービスだ」
笑みを浮かべる浩文に、太一も笑みを見せ、そしてそれを合図に決勝戦が始まった。
*
浩文の戦法は居飛車に矢倉。簡単に言うと、飛車を初期配置の場所から動かさずに攻撃し、王を左側に寄せて守るという戦法だ。ごくオーソドックスな戦法と言える。
対する太一も実は居飛車で戦うが、これはいち早く攻撃できるからという理由で、深い理由は全くない。王の位置はそのままである。
居飛車で初心者でも容易に使える戦法というと、棒銀という戦法だろう。これは字面のまま銀がまっすぐに敵陣めがけて突入してゆくという戦法で、上手くつぼにはまるとその破壊力は尋常ではない。相手の陣の半分を壊滅状態にまで追い込むことが出来る。
が、そこまで上手くいくことはほとんど無い。棒銀に対しては割と簡単に防御態勢を整えることができるのだ。それに対して攻め手が戦力を集中させることも出来るのだが、これまた防御側もそこに戦力を集中させてゆくことも容易で、結果盤面の片方にエネルギーが飽和して、一触即発の緊張した睨み合いの戦場が形成される。
そしてリアルの戦場ではない先手後手という、いわゆるターン性で戦う将棋のルールだと、先に手を出した方が必ず負けるのだ。
王を守らない分、太一の方が攻撃側として銀を繰り出す攻撃側の立場になることが出来たのだが、浩文は矢倉を組みながら棒銀に対する布陣を整える。太一も今まで戦った経験を生かして、ありとあらゆる方向から戦力を集中させていく。もちろん浩文もそれに対応させて、戦力を集中させ、戦場は完全に飽和してしまった。
(歩を突っかける、取られる、桂が行く、取られる、銀が行く、取られる、飛車が行く、取られる)
太一が頭の中で先を読んでいくと、最後に残るのは浩文の角だ。で、自分の陣地の右半分からは駒がほとんど無くなる。どう考えても不利だ。同じようにほとんどの駒が無くなるにしても、最後に残るのが自分の飛車で無ければならない。もう一つ、この全ての駒の力が集中する一カ所に駒を効かせたい。
自分の陣を見る。使えそうな駒は金ぐらいしかないが、そこまで使うつもりがなかったから、もの凄く出遅れている。この金を前線にまで持って行く間に、浩文も準備を整えるに違いない。それに逆側、浩文の飛車のある方も緊張が高まっている。
「あ!」
と、後ろで見ていた梢が思わず声を上げる。頭から煙を吐き出した太一が、負けるとわかっているだろうに、歩を突きだしてしまったのだ。
浩文相手ではまずミスは望めない、と言うよりはここまで舞台が整っていると、誰がやっても自動的に事が進むだろう。つい先ほど太一が頭の中で思い描いていたとおりに駒が動き、結果もそれに準じた。
太一の陣の右半分から何もなくなって、浩文の矢倉はほとんど無傷のまま。しかも角という大駒が残っている。
梢は太一の方を盗み見る。顔も見ていないのに脂汗を流している表情をありありと想像できた。思わず笑みがこぼれる。さすがに攻撃しか出来ずに道場で一番弱かったと言うだけのことはあった。次の部活では鍛え直す必要がある。
太一の攻撃を受けきった浩文は、自陣の飛車を動かした。前にではなく、一つだけ左へ。
「へぇ」
と、また梢は声を出してしまった。古い戦術だが初心者の太一相手には有効だろう。それにしても、こんな戦術を知っているとはなかなか将棋への造詣が深いと見える。
太一は慌てて相手の飛車筋の歩を突く。図らずもこれで太一の角が自由に動けるようになったわけだが、今の今まで太一は角道を開けていなかったということになる。それを見た浩文は先ほどの防御の時に使った角を、太一の陣に成り込ませる。
初期配置の弱点、王の真上にだ。太一は慌てて右側の金を王の上に上げて防御する。すると浩文はあっさりと成った角、馬を自軍へと撤退させた。それは元の位置に戻すのではなく、先ほど動かした飛車をフォローするかのように、逆側に下げたのだ。
歯がみする太一。その視線の先は浩文の王だ。
(明らかに劣勢なのに、まだ攻めることを考えてるの?)
太一の攻めっ気の強さに呆れる梢。釣られるように浩文の陣を見て、その表情が凍り付く。そして太一の持ち駒を見て、確信した。上手く進めれば、太一は勝てる。これは太一の得意な詰め将棋だと言ってもいい。
だが、太一はそこでらしくもなく浩文の馬に対する防御を固めようと、角の横に銀を並べた。思わず歯がみする梢。もっと良く盤面を見れば、突破口はあるのに。
すると、浩文は太一をさらに混乱させる目的なのか全然関係がないと思われる左側の歩を突いた。太一はそれも防御しようと、持ち駒に手を伸ばす。何しろ右側は壊滅状態で駒がほとんど残ってない。
ダメだ――
と思ったときには、梢は太一の右肩を掴んでいた。
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