第16話 揺れる梢が動き出す

 この街に引っ越ししてきてから、ずっと晴れが続いているような気がする。最初は盆地特有の猛暑にやられっぱなしだったが、慣れてくると青空の下身体を動かしたくなってくるから不思議だ。


 元々、太一は夏が好きな質で、汗をかくことも嫌いではない。

 考えてみると前の学校では放課後ともなると、運動場一面を使って運動部の面々が活動していたのだが――この学校には“それ”がない。


 高いところにあって見晴らしがいい分、校庭の空虚さがやけに目につく。身体を動かしたくなるのは、きっとそのせいだろう。

 このまま叫びながらグラウンドを十周ぐらいしたいところだが、ここはぐっと我慢する。


 すでに地学準備室には、難しい顔で王を追い詰め続ける梢がいるはずだ。余計な心配をさせないためにも、出来るだけ早く部室に行くべきだろう。

 それに今日は一つ梢に提案がある。


                  *


 地学準備室の扉を開けると、そこにはやはり難しい顔の梢がいた。

 盤上に並べられている駒の数は、本番の将棋と変わらないほどの数だ。相当に難しい問題に挑んでいるらしい。太一自身は七手詰めの問題に挑み始めたところだ。


「先輩、おはようございます」

「おはよう。他の部活でも、こういう挨拶なのかしら。もう昼過ぎなんだけど」


 視線だけを動かして、梢が太一に挨拶を返してくる。あの日以来、特に梢の態度に変化があったわけではない。ただ、挨拶には今のように、何かしら会話が続けられるような一言が付け足されていることが増えた。


「そうですねぇ。前に通っていた道場では『ちぃーっす』でしたから。あれは“こんにちは”の変化でしょうから、おはようじゃないですね」


 鞄を置きながら応じると、頬の辺りに視線を感じる。


「あ、道場って言うのは剣道の町道場でしてね。小学校までは通ってたんですよ」


 恐らく視線の意味はそういうことだろうと、太一が見当を付けて話してみると、正解だったのか梢から反応があった。


「じゃあ、結構強いのね」

「いや、それが全然」


 太一は笑いながら手を振る。


「どうも小難しいことが覚えきれなくて、ずっと負けっぱなしでした。俺は上段に振りかぶって、思いっきり叩き付けるだけだったんで」


 頭をかきながら、照れくさそうに話す太一。梢は、盤上の飛車を動かしながら、


「……話を聞くだけだと、示現流みたいなやり方ね」

「示現流?」

「薩摩の――ある程度、学力がある前提で話すけどいいわね」

「うっわ、凄い失礼ですね。ええっと、九州のどっかですよね」


 礼を失せられても仕方のない学力を披露した太一に、梢は冷たい視線を送る。


「薩摩、昔の鹿児島の呼び名ね。そこに昔から伝わってきた剣術が示現流」

「それが俺のやり方に似ているんですか?」


「主体を入れ替えた方がいいと思うけど、まぁ、そうね。上段に構えて初太刀に必殺の気合いを込めて振り下ろす、という剣術だと聞いてるわ」

「振り下ろした後は?」


「そういうことは考えないみたいよ。ああ、たしか振り下ろす時に『チェスト』って叫ぶみたいね」

「先輩、そのかけ声もうちょっと気合いを込めて言ってくださいよ。絶対にそんな言い方じゃないでしょ」

「いやよ」


「まぁ、それはともかく、確かに似てますねっていうか、俺好みの拳法ですね」

「拳法じゃなくて、剣術。あなたはいいわね好みのモノが世の中に溢れていて。優芽さんとは大違い」

「ああ、あいつはね。いつも何だか文句を言ってますね。先輩と話をした時もそうだったんですか?」


 梢の手が止まる。一瞬、複雑な表情を浮かべるが、


「おおむねそんな感じだったわ」


 といつも通りの声で、かなり大雑把にあの日の会見を総括して見せた。詳しく内容を話すと色々と問題がある。ありすぎる。


「そう言えば、津島君のところは示現流が伝えられているのかも」


 話題を変えるために、少々強引に話題を戻す。


「誰です?」

「この学校の生徒会長よ」

「生徒会? そんなものがあるんですか?」


 言われると、確かにこの学校には不釣り合いな組織だ。それに気付くとは、太一も染まってきたということなのかもしれない。しかし、この学校の生徒会は別に生徒の自治のためにあるわけではなくて、単純に生徒達のリーダー集団に付けられた呼称だ。


 もちろんエクストラ・ナンバーズと、みそっかすの自分は別だが。


「まいったな。そうなると筋としてはそっちに話もって行かないとダメか」


 その太一の言葉に、梢は眉根を寄せる。


「……今度は何を思いついたの?」

「大会があるらしいんですよ。出ましょう」


 梢は瞑目する。やっぱり染まってない。いくら何でも野球大会に出ましょう、というほどにはズレていないだろうから、将棋の大会。地区予選か何かだとしても、二人で出場できるものでもないだろう。


 話の最初から無理のある話だ。

 それを告げようとすると、その前に太一が情報を追加してきた。


「実は九条の奴が教えてくれましてね。やっぱり、あいつも俺と同じなんじゃないかな」

「九条君が?」


 エクストラ・スリーにして、もっとも能力に目覚めた男。

 だからこそ、能力者のための揺りかごとも言える、この街の崩壊に手を貸すとはとても思えない。


 となると……


「大会に出る出ないはともかく、とにかく前準備として生徒会との折衝は必要ね」


 これは嘘だ。生徒会がどんな結論を出そうとも、大会に出るつもりはない。そもそも会長の津島が絶対に首を縦に振らない事を確信している。


 だが――


 私は今、ずるいことをしようとしている。けれど――


「先輩?」


 私は、この後輩に期待しているのだろうか?

 現状で自分のパートナーに一番近いところにいるのは生徒会長、津島浩文だ。その津島に太一を直接ぶつけるような状況を作れば、事態は何か動き出すかも知れない。


 ――そう。


 私は事態が動くことを望んでいる。

 確かにそういう想いがある。それは認めなければならない。


「……七草君、生徒会室に行って話を通してきてくれない?」

「お、俺がですか?」


 梢は唾を飲み込む。落ち着け。適当言うたびに緊張していては、これから先――


 ――これから先?


「任せたわよ、副部長」


 いきなり放たれたその言葉に、太一は一瞬後ろを振り返り、誰もいないことを確認してから、何かに気付いたように自分を指差して、


「そ、そうか。二人しか部員がいないんなら、俺が副部長になりますよね。よし! 行ってきます!!」


 そう言って出て行った太一が、生徒会室の場所を聞きに戻ってくるまでの時間を、駒を動かすことで計り始める梢。


 先ほどから、頭の中に浮かぶ顔がある。

 情報の蒐集家、傍観者を気取る男、九条信夫。


 もし、彼が自分の持つ情報に方向性を持たせることを意図したならば? 


 

 

 

 


 

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