交差する、星々
第15話 日本に絡みついた藤の新しい形
盆地のほぼ中央に位置する、その建物は一見すると古い蔵にも見える。瓦葺きの屋根に漆喰で固められた壁は完全に和風の佇まいだ。窓も随分と小さい。古い、というのは漆喰の壁がベージュ色を通り越してほとんど黄土色になっているからだ。
それでいて、その壁には堂々と「白鷺荘」と掲げてある。
詐欺と鷺を引っかけた洒落にも思えてしまうのがいっそう哀れだ。そして“荘”と名乗るからには、ここはいわゆる賃貸複合住宅で、住人ももちろん存在する。
……一人だけではあるのだが。
*
時はほぼ真夜中と言ってもいいだろう。少し前に日付が変わったところだ。昼の熱気はすでに夜にまで持ち越されることもなく、この時刻になれば随分と過ごしやすくなってきている。
だからこそ、と言うわけでもないだろうが白鷺荘唯一の住人、九条信夫は未だ布団に横になっては居なかった。ただ布団はすでに敷かれている。その横には古くさい――ある意味ではお似合いの――ちゃぶ台があって、その上には食器が重ねて置いてあった。
そしてその周囲には、読み広げられた雑誌に、発泡スチロールの容器。典型的な男の一人暮らしの部屋だ。広さは六畳ほどだが、それ以上部屋があっても汚れが拡大する一方だろうから、適当な大きさなのかも知れない。
信夫の彼女が前にここを訪れてから三日も経過してはいないのだが。
部屋の主はその汚れの中心、そして唯一汚れのない布団の上で、目を瞑り座禅を組んでいる。その頭上に輝くのは“下り藤”の家紋。やがてその輝きは減衰してゆき、それに連れて信夫の長い髪の先から何かが伸びてゆく。
伸びてゆく髪は途中で蔓のように小さな葉を生やしながら、布団の中や畳の中にまで侵入してゆく。もちろん、それは実体を持った蔓ではない。
エクストラ・スリーと呼ばれる、信夫の特殊能力が顕現しているのだ。
その場に地中にも視線を通せる者がいるならば、信夫の髪から伸ばされた蔓がさらに複雑に絡み合いながら広く深く進んでいく様が見られただろう。
伸ばされた蔓はそのまま日本国中に張り巡らされ、あらゆる情報を信夫へと送ってくる。
これが信夫の特殊能力。
戦闘能力は全くないが、他にはない唯一の能力で、この街ではVIP扱いされている。
単に珍しい能力と言うだけでなく、信夫はこの能力を駆使して葉が丘の経済的発展を手助けしているからだ。
この街がスポンサーに対して、ある程度自由に振る舞えているのは信夫の存在が大きい。
つまり信夫はこの街を支える人材であり、それも中心人物と言ってもいい。
つい先日も、さるコンツェルン会長の愛人宅から、大規模な企業買収の情報を入手し、それを利用して株を売り抜け、五十億近い利益を上げた。もちろんこれは一番安易な使い方で、一番有効な使い方は情報を通じてコネを作ることだ。
結局は人と人のつながりが一番力を持つ。それが今の社会の仕組みだからだ。
しかし、今信夫が追いかけているのはそういう有益な情報ではない。
知りたいことはただ一つ。
七草太一。
その情報だ。
自分と違って理事長――薬袋宗昭は独自の情報網を築いている。自分も万能ではないから知らない情報や、逃してしまった情報も、もちろんあるだろう。
そういった情報の中に太一の情報が紛れ込んでしまった可能性は――無論ある。
ただ、自分がピンポイントでその情報を欲したとき、それが手に入らないなどということは……
そう、七草太一という人物には調べきれないところがある。
生年月日に家族構成、前の学校での成績、そんなものは簡単だ。
ただ一日、今年の七月二十八日の七草太一。それだけがわからない。
その次の日から太一は一月ほど入院している。そして、退院して間もなくこちらに引っ越してきている。それから考えると引っ越しが決まったのは太一が入院中の間だろう。
ということは、何もかもの原因は七月二十八日。
けれど、その日のことだけがわからない。
蔓を伸ばしても、手応えを感じた瞬間、まるで焼き切れたかのように反応が途切れてしまう。意図的に情報が遮断されていると言うよりは、そこで何かが飽和していて侵入できない、という感じだ。
信夫は目を開く。その瞬間、髪の先から伸びていた蔓が消え失せる。ここ数日何度も同じコトをしているが、結果はいつも同じだ。恐らく自分の能力では探り出すことは出来ない。理事長は無論何かを知っているのだろうが――
この情報を得るための手段が一つだけある。
そう、本人に聞けばいい。
*
その太一本人がここ最近何をしているかというと、学校中の女子に声を掛けまくっていた。もちろん、わざわざ能力を使って調べたりはしていない。太一が目の前で堂々とやっているからだ。
たまたま近くでその現場を目にすることがあって、聞くともなしに聞いていると、どうやら何かのアンケートをしているらしい。
後で、その内容を女子に聞いてみても、誰も教えてくれない。
この情報は無論能力で調べようと思えば調べられることだ。だが、どれもこれも太一本人に聞けば済む話ではある。
だが、信夫はあの日以来何となく太一を避けていた。話せば話すほど太一のペースに巻き込まれるような気がして、思い切って話しかけられないのだ。
情けない話だと自分でもわかっているが、こちらの準備が整っていないまま太一と対面するのは避けたいところ。
謎の転校生、謎の能力、おまけに人の言うことを聞かない。
手持ちの札が悪すぎる。
ジョーカーを相手に引かせる――つまりこの街の事情を詳細に説明する、という方法も思いつきはしたのだが、それは早々に太一に拒否されている。
意図して、そう宣言したのなら大した策士だが、恐らくは偶然だろう。どうも流れが太一の方にあるようだ。
「どうしたものか……」
信夫が思わず呟いたところで、チャイムが鳴った。何時間目だったかと窓の外見ると、二年B組の面々が校庭に出てきていた。今日は金曜日だから……四時間目か。
三々五々、校庭に湧き出してくる生徒達の中に、梢の姿を見つける。
この街の中枢。最奥のお姫様。そして一人では意味を成さない者。
(まさか、七草君を“勝手に”選んだんじゃないだろうね、梢さん)
太一の言うように笑顔のない彼女。同じ姿をした他の生徒達からも一人浮き上がっているように見える。
太一の方に目を遣ると自分と同じように窓の外を見ていた。その表情は硬い。それを見ているだけで、何だか悪いことをしているような気分になってくる。
自分は今のこの街の形を維持することになんの異存もない。だからそんな感傷は全くの無駄である、と理性が心の中で囁いている。
だが、その理性に従うとなると、現状では傍観しているだけではまずいだろうという推測も立つ。太一がそのまま突き進んで行くとなると、近い内に混乱が起こることはほぼ確実だ。
(見ているだけではなく、自分で動かないとダメか)
その結論に憮然となる信夫。オルガナイザーのような技能は自分にはない。
どうして、こんな事態になったのか? もちろんはっきりしている。あの時太一に梢のいる場所を教えたからだ。それならば、なぜ教えたのかというと……
耳の奥で太一の言葉が蘇る。
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