第12話 ただ、すき焼きを食べる

 店舗は商業地区にしかない、などという馬鹿な造りではもちろんないので、住宅街のほぼ中央に、生鮮食品などを扱うスーパーマーケットがある。たしか競合させた上で、出店を許したチェーン店なので、営業努力も怠っていないのだろう。


 だろう、というのは梢には食材の善し悪しなんかは、さっぱりわからないからだ。同性であるという点だけで、この分野におけるライバルと目される優芽の方もせいぜいが、日付を確認するだけで、大した差はなさそうだが。


 ちなみに太一は最初から戦力外通知である。完全に荷物持ちとして妹に同行していたらしい。今は携帯相手に何事かを話している。自分という飛び入りの客が増えることを家に連絡しているのだろう。


 一瞬、難色を示されることを期待した。そうなれば、後はこの店の場所を双華に告げるだけで迎えが来る。


 だが、特に問題なく話がついたようで、


「先輩、肉どのくらい食います?」


 などと、携帯をしまいながら数値化しにくいことを無邪気に尋ねてくる。


「普通に一人前で良いわよ。あまり私のことは気にしないで」

「そんなわけにいきませんよ。……ところで先輩、すき焼きの一人前ってどのぐらいですか?」

「は?」

「いや、ウチでしばらくすき焼きやった覚えがないんで、見当もつかないんですよ」


 そういうことを真面目な顔で尋ねられても。


「太一君、いいからその辺は私に任せて。それより梢さん、麩入れますか?」

「ふ?」

「そうです。お味噌汁の実に使ったりする、“麩”です。すき焼きに入れるって話を聞いたことがあって」

「ああ、入れるわね」


 次から次へと、どうでもいいようなことを聞いてくる兄妹だ。しかも梢がそう答えた途端、


「見なさい太一君。麩、入れるでしょ!」

「ええ~。ぜってーおかしいって。あんな濃いタレ吸い込んだ麩なんか食えねぇじゃねぇか」

「そこは卵が上手く仕事をするのよ。ね、梢さん」

「ごめんなさい、私はあんまり好きじゃないの」

「いやぁ、先輩気が合うなぁ。だからおかしいって、麩を入れるのは」


 ブチッ。


 確かに何かが切れる音がした。優芽の瞳の奥でグラグラと煮立つ血液が光彩に揺らめきを与えていた。


「良いから買っていくわよ! これから月に一回は食べる事になるんだから、色々試していかなくちゃならないのよ!!」


 優芽の怒りはある程度予想していたので、梢は他の言葉に引っかかった。


「七草君、月一ってなに?」

「ああ、ウチの母の主義主張で『裕福な家庭は月に一回、すき焼きを食べるモノ』らしいんで、これからそういうことになるかと」


 一瞬、裕福なの? と、とんでもなく失礼なことを反射的に聞き返しそうになった梢は、どうにかこうにかその言葉を飲み込んだ。そして、七草家が裕福な理由が、この街の事情――ひいては太一にあることに思い至る。


 それに、この話題で一番問題なのはわけのわからない主義主張を展開する七草・母ではないだろうか?


                  *


 必要な材料を買い足して、スーパーマーケットを出ること十分、葉が丘でも南側の区画に梢は案内された。ここはつい最近まで宅地造成が成されていた区画だから、家族を丸ごと引っ越しさせるとなると確かにこの辺りになるだろう、という理論的帰結に梢は満足した。


 家の方は二階建ての建て売り一戸建て。同じ家がずらっと並んでいる区画なので、ある意味、無個性にも見える。一階が四部屋、二階が三部屋といった造りだろう。


 ガレージには白の軽乗用車。これは前に住んでいたところから持って来たのかも知れない。他にも並べられたプランターが見え、個性の獲得に熱心な様子が見受けられるが、引っ越してきて一月もしないウチでは、まだ努力が結果に結びつくまでには早すぎる。


 梢はそういった視覚的情報をざっと眺めて獲得した後は、とりあえず自分のやるべき事を頭の中でシミュレートしてみる。


 まず電話を借りて――携帯電話を使いこなす自信は、もちろんない――家に連絡を入れる。恐らくすぐに迎えは来るだろうが、ここまで来ていきなり帰る、というのも礼を失する話だろうから、三十分ほどは付き合うことにしよう。


「あら、まあ! 凄い可愛い子!!」


 出し抜けに調子外れで、脳髄に直接突き刺さるような声が梢の耳朶を打った。


 声の方に目を向ければ、玄関から半ば身を乗り出すようにして、笑顔を輝かせる一人の女性――女性?


 エプロン姿から推察するにこの兄妹の母親と思われるのだが、ひどく若く、いや幼く見える。背丈は玄関前に固まる三人の誰よりも低いし、その笑顔にもまったく邪気がない。


 しかも、それでいて優芽の美貌の遺伝提供者であることが十分に納得できるだけの、ビジュアル的優位性も確保している。


 この家は甲子園以上の化け物屋敷か――と、梢が圧倒され掛かっているところに、


「さあ、あがってあがって。太一君も家に彼女を連れてくるなんて、高校生らしくなってきたわね~」

「な!」

「違うよ母さん。先輩はまだ先輩」


 あまりフォローになっていないようなことを太一が告げるが、当の母親の方は委細構わず梢の背を押すようにして、キッチンと一体化している食堂へと、案内する。


 おおよそ見かけ通りと言ってもいい、八畳ほどの食堂の中央にはテーブルがあって、そのまた真ん中には、ガスコンロの上に乗っかったすき焼き鍋があった。


「いらっしゃい。急な話でご迷惑だったんじゃないかな?」


 部屋の隅には立って出迎えてくれる中年の男性。黒縁の眼鏡を掛けたあまりさえない印象の人物だが、この人が恐らくは七草家の家主なのだろう。普通すぎるほどの外見の持ち主に、むしろ意外性を感じる。


「こちらこそ、突然お邪魔しまして、ご迷惑をおかけします」


 かろうじて社交辞令をクリアすることが出来た。


「定道さん、そんな他人行儀な挨拶はいいのよ。梢さんもさぁ、掛けて掛けて」


 突っ込めるモノなら突っ込みたい部分はいっぱいあるが、初対面ではそれも出来ない。


 そうやって思い悩んでいるウチに、買ってきた材料を優芽が切りそろえ始め、男組二人が、さっそく袋の中から肉を皿に盛りつけ始めていた。

 この家庭内における、母親の立ち位置がなんとなく見えてくるような光景だ。


「よしじゃあ、まずは油をしきましょうね。脂身、脂身」


 と、言いながら皿の中央に盛られた、脂身の塊を十分以上に熱せられた鍋の上で滑らせてゆく。そして油が回ったところで、肉を鍋に強いて焼き始めた。


「先輩、紹介が遅れましたけど父の定道。そっちのやかましいのが母の百恵」


 きっぱりと悪口だったが、肉の焼ける音がそれを上手い具合に遮ったようだ。その音が奏でられる事実に、梢はふと小首をかしげる。


「どうも、私の知っているすき焼きとは作り方が違うみたいなんだけど」

「えい!」


 と、調理には不適当なかけ声と共に百恵が鍋に割り下を投入する。すると、課程はともかく梢の見知ったすき焼きの姿になった。


「へぇ、こういう作り方があるのね」

「これはね、七草家の作り方なのよ。定道さんが教えてくれたの」


 恐らくは惚気ているつもりの百恵の言葉に、定道が軽くうなずいてみせる。


「いきなり始めないでよ母さん。さ、肉を寄せて。あんまり煮ると堅くなるから、白菜の上に乗せるわよ」


 と言いながら、優芽は情け容赦なく切りそろえられた野菜を投入。その上に割り下を掛けてゆく。


「太一君、器と卵を持ってきて」

「よしきた」


 と兄妹の活躍ですき焼きがドンドン形を成してゆく。その傍らで百恵が何だかつまらなさそうにエプロンをくわえているのも、この家の家風なのだろう。


「息子が、色々とご迷惑を掛けているようで、申し訳ない」


 出し抜けに定道が話しかけてくる。


「わかって貰えるとは思うが、我が家は女性陣が色んな意味で強くてね。自分を押し通すために、あまり人の言うことに耳を貸さない性格になってしまった」

「はは……」


 愛想笑いを返すことしか、思いつくことがない。


「だけど、お招きに応じてくれたって事は、さほど致命的なことにはなっていないようだね。親として一安心だよ」


 それはあなたの娘の方が策略を巡らせたからですよ、と心の中で呟いて、肝心なことを忘れていたことに気付く。家への連絡だ。


「あ、あの……」

「さぁ、出来たわ。さ、梢さん卵割って割って。この日一番の肉が行くわよ~」


 百恵の持つ菜箸には、すでに肉塊と呼んで良いほどの量がぶら下げられている。梢は慌てて器の中に卵を割った。溶きもしないうちに肉塊が器の中に放り込まれる。


「さぁ、たくさん食べてねぇ」


 まるで大食い選手権に出場する選手を見るような眼差しで見つめられて、梢の額に一滴の汗が流れた。


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