第11話 テンプレと言うには暴力的に完璧な存在

 さらに忌々しいことに、自分が危機的状況だと気付いて以降、頭の中にちらちらと浮かんでくる顔がある。


 確かに、前回こういうような状況に陥ったときに助けてくれた相手だが、今はまずい。朝も嫌味を言われたばっかりではないか。第一、こんな時に偶然出会ってしまったら、運命とでも勘違いしてしまいそうだ。


「あれ、先輩ですか?」


 背後から掛けられたその声に、梢は文字通り跳び上がって驚いた。悲鳴をかろうじてこらえることが出来たのは、半ば心の中でこういう事態を想像していたからかもしれない。


「やっぱり先輩だ。どうしたんです、こんなところで」


 続けて掛けられた声に、さすがに振り向かざるを得ない。


「あ、何処かにお出かけだったんですか。そういう格好も可愛いですね」


 振り向いた瞬間にいつものお世辞だ。そういう太一――もちろん声を掛けてきた相手は太一なわけだが――は前に会ったときとあまり変わらないような格好だ。


 いや、そんな事はどうでもよくて、振り向いたことによって増えた情報の中で、もっとも問題なのは、太一が女連れだったと言うことだ。


 しかも、もっの凄くグレードが高い。洒落にならない。戦えといわれたら、白旗を振りながら全速力で逃げ出したくなるような、美貌の持ち主だった。


 論理的に考えると、きっと太一の妹だ。記憶を辿れば優芽という名前も思い出すことができる。いや――名前はこの際重要ではない。


 我ながらわかりやすく混乱しているな、と頭の中の冷めた自分が指摘してくる。

 いや、冷めた自分などと言っている時点ですでに十分おかしい。


「先輩、そろそろ言葉のキャッチボールをしましょうよ。なんで固まってるんですか?」

「え、えーと……そうね……」


 それどころではない。目が綺麗だとか、唇が色っぽいとかそういう描写では追いつかない。きっと黄金律とは、この太一の妹に捧げられるために生まれてきた言葉なのだろう。


 そう、何もかものバランスがよいのだ。


 だが、右側に偏って束ねられた髪型――いわゆる横ポニ――が、あえて全体のバランスを崩している。それが隙となって、完成されているが故に近寄りがたい、といったような雰囲気を和らげていた。これが計算ならまったく持って侮れない。


「その……妹さん?」


 まずは仮定を、事実として確定させることにした。


「え、ああ。優芽って言います。仰るとおり妹ですから、安心してください。俺は先輩一筋ですよ」


 のほほんといつも通りの戯言を並べる太一だったが、梢はそれどころではない。妹――優芽が太一の言葉を聞いた一瞬、凄絶といってもいい、怒りの表情を見せたからだ。


 だが、それも一瞬。


 次の瞬間には、完全に計算され尽くした社交的な笑みを梢に向けてきた。


「太一君、私にも紹介してよ。この人が太一君の話してくれる“美人”で“可愛らしい”先輩の薬袋さんなんでしょうけど」


 どうすれば、これほどあけすけに他意を込められるのか、いっそ感心してしまいそうになる口調で優芽は太一に話しかける。


「ああ、そうだった……って、全部自分で言ってるじゃないか。そう正解だよ。この方が話題の薬袋先輩だよ」


 それと同時に梢は反射的に会釈。度重なる公務が、いらない習慣を身につけさせてしまったらしい。


「どうも。太一君から、お話はかねがね。教えていただいたケーキ屋さん、とても美味しかったですよ。あの時は太一君が居なくなって大変でしたけど」


 そう言いながら近づいてくる優芽のプロポーションを見て、梢はまたもや絶句する。


 太一が高校一年生だから、妹と名乗る優芽は物理的に最高でも中学生ということになる。そのくせになんだその胸は! 腰は! 足は!


 自分も多分人並みにはあるはずで、それがあまり目立たないのは着やせする性質を持っているからだ。ただ、それを計算してもこの中学生には勝てそうもない。


 淡いピンクのキャミを下から押し上げるバストは、着やせなどという概念をあざ笑うかのように自己主張している。

 兄とお揃いに見えなくもないジーンズは、お揃いに見えないほどに腰の辺りが充実している。それでいて、足首はキュッと締まっている。


 この完全生物――きっと真空中でも生息できるに違いない――を毎日、目にしておきながら、人に可愛いだのなんだの好き勝手にほざいていたわけか。


 なんという説得力の無さ。今までさんざん聞かされてきた賞賛の言葉は、結局は全て気を引くためのお世辞――いや、待てよ。


 これは別角度からの情報を元にしているので信頼できる情報だが、太一が嘘が苦手というのは本当だ。この後輩の言動には本当に裏表がない。


 ということは、太一の内面世界では、自分はこの完全生物と最低でも対等のビジュアルを有しているらしい、ということになる。だからどうだというわけではないが。


 ――やはり悪い気はしないものだ。


「薬袋さん?」


 これだけの思考の果てに、いきなり口元を緩めてしまえば、腫れ物を触るように声を掛けられても仕方のないところだ。ここは譲歩するべきだろう。


「梢でいいですよ、優芽さん。あの時はごめんなさい。お兄様を連れ回して。でも、私も事情を知らされてなかったものだから……」

「ええ、それはいいんです。おおむねのことは太一君が悪いんですから。気にしないでください、梢さん」


 笑顔と同じに、判で押したかのような社交的な挨拶。


「ところで梢さん、夕食ご一緒しませんか?」


 その優芽からの突然の申し出に、梢よりも先に太一が先に反応した。


「おい、急に何言ってんだ? 先輩にだって事情が……」

「いいじゃない。今日ウチはすき焼きだし、ちょっと戻って材料買い足せば、なんにも問題ない。何より母さんが喜ぶわ」

「そりゃ、ウチの事情だろ」


 太一にしては、珍しく良識的な反応。やはり妹の前ではお兄さんぶりたいものなのだろうか。実際問題として、梢の方もお呼ばれするつもりはなかった。

 これ以上、太一に関わったら、後で双華にどんな嫌味を言われるか計り知れないものがある。


「そ、そうね。せっかくのお誘いに申し訳ないんだけど……」

「それに、梢さんだって自分がどこにいるかちゃんと連絡できるのは良いことだけど思うんだけど」


 ぐ……そうだった。自分には迷子寸前という現実問題があったのだ。


 それにしても兄よりよほど手強いではないか、この妹は。

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