第9話 話を聞かない上に理論武装も行う
竹史が腰を低く落とし、睨め上げるような視線で太一を睨む。その姿は獲物に飛びかからんとする肉食獣そのままだ。
対する太一の構えは、人間の英知が作り上げた戦闘準備態勢。好対照とも言える二人の姿勢を、流美は止めようともせず、それどころかむしろ薄ら笑いを浮かべて傍観を決め込むつもりらしい。
姿勢の違いで、竹史を見下ろす形となった太一はある部分に異変を感じた。自分の目の高さ、本来なら竹史の頭があるあたりに何かが出現しようとしている。
それがおかしな物言いだということは、太一は十分理解していた。
けれど、そうとしか事態の説明のしようがない。
それはやがて円形を成し、何処かで見たような図形を描き出そうとしていた。
尻尾のある珠が三つ。それぞれがそれぞれの尻尾を追うようにして――
「はい、そこまで」
シャッと手入れの行き届いていないカーテンが開かれ、そこに男子生徒が現れる。太一も知っている顔。一年B組、九条信夫だった。
「……九条、てめぇか」
「ああ、僕だとも。ここで君の力を使うつもりか? おちおち寝てられやしないよ」
竹史の殺気には気付いているだろうに、信夫は平静を通り越してどこか呑気ささえ感じられるような、間の抜けた声と口調だった。
そんな信夫に太一が尋ねる。
「九条、知り合いなのか?」
「ああ、そうだね。知り合いぐらいの距離だね。当然、ケケ君も僕がエクストラ・スリーだということを知っているよ」
「ケケ?」
「あ、そっちに食いつくんだ。彼は石倉竹史。竹を分解してケケ史。さらに縮めてケケ」
その竹史――ケケはほとんど屈辱的とも思えるあだ名が告げられたというのに、ギリギリと歯ぎしりするだけで、それについては何も言うつもりはないらしい。
頭上にできかけていた何かも、とうに消えて無くなっていた。その存在を疑えるほどに。
竹史はそのままスッと上体を起こし、スタスタと保健室の扉へと向かう。そのまま出ていくかと思われたところで、首だけを振り返らせ、
「一つだけ確認だ。太一とか言ったな。お前、転校生なんだな」
「そうだ」
「じゃあ、今度会うときは俺は敵だ」
竹史はそう言い残すと、太一が入ってきた時と同じぐらいの勢いで扉を開けて出て行った。
「さて――」
その退場劇には委細構わず、信夫は太一に声を掛けてきた。
「聞くともなしに聞いていたけど、怪我の方はあんまりたいしたことなさそうだし、一緒に帰らないかい。僕も十分に睡眠時間は取り戻せたしさ」
「お前ここで寝てたのか」
「優しい柳井先生のお計らいでね。でも先生――」
すだれみたいな前髪の下の視線が動いた気配がする。
「さっきのは止めないとまずいと思うよ」
「そうね」
肩をすくめて流美は応じる。
「今度からは気をつけるわ」
まったく誠意の感じられない声が、空虚さの増した保健室に響いた。
*
下りのエスカレーターを降りて、しばらくの間は無言のまま歩いていた。いくらかは日差しも弱まっているが、まだまだ暑い。
「お前の家はこっちなのか?」
手でひさしを造りながら太一が信夫に尋ねた。本来なら一緒に帰る前に聞くべき事柄ではある。
「ああ、そうだね。白鷺荘っていう名前の、名前負け確実なアパートが僕の家。ちなみに一人暮らしだよ。もっともウチの学校のほとんどの生徒は一人暮らし――寮住まいだけどね」
それを聞いて太一は首をかしげる。
「寮には住まないのか? 一人暮らしよりは便利だろう。よく知らないけど」
「あれは僕には不便なんだ。いや、合わないと言った方が良いかな」
「先輩――薬袋先輩は?」
「彼女は自宅から通ってるよ。立派なのがあの辺に建っている」
そう言って信夫が指差した先は、学校が建っているのとは別の山の中腹辺りだった。目を凝らしてみれば、木々に埋もれるようにして平屋の日本家屋が建っている。
「……やっぱりお嬢様なんだなぁ」
そんな太一に、思い切ったように信夫が切り出した。
「さて――いつまでも外堀の周りをぐるぐる歩いていても仕方がない。聞きたいことがあるんじゃないのかな?」
「いや、特にはないな。先輩のことは先輩から聞くのがルールだと思うし。さっきのは少し反則だけど、別にストーカーするつもりはないからいいよな」
その答えに、明らかに信夫は意表を突かれていた。足が止まり、太一の背中を見送ってしまう。
「……え、でも、見たんだよね。ケケくんの力を」
「わけのわからん模様が浮かびそうになったのは見た。それが学校やら、この街の事情とやらに関係してるらしいってのも見当はついている」
「事情を知りたいとは思わないのかい?」
必死と呼んでも良い勢いで信夫が言い寄るが、太一は逆に冷淡と言ってもいい口調で、こう切って捨てた。
「間違っている事情を知りたいとは思わない」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
とりつく島もない太一の反応を前にして、さすがに信夫も慌てた。この街に事情があるということには早々に気付いていたみたいなのに、太一は全くの無頓着だ。
それに加えて、その事情を「間違っている」と言い切ったのである。
その事情を受け入れ、あまつさえ積極的に協力していると言ってもいい信夫としては、反論の一つも試みたいところだ。だがそれをするための基礎が相手にはない。いや、そもそも基礎が成ってない相手に間違っていると言われるのは、あまりに不条理すぎないか。
「……君はこの街の事情をどういう風に捕らえて居るんだい?」
だからこそ信夫としてはこう訊かざるを得ない。
「先輩……薬袋梢を笑えなくしている事情だ」
いつの間にか、太一が振り向いていた。そしてその瞳は怒りに燃えている。信夫は思わず息を呑んだ。
――その太一の瞳に気圧されたわけではない。
太一の頭上に浮かぶ、一本の剣を見てしまったから。
そしてそれが、自分の知らない「家紋」だったから。
「女の子を一人笑えなくしてるんだぞ! そんな事情は間違っているに決まっている!!」
固まっている信夫に、熱い言葉を叩き付けて太一はそのまま先へと向かう。
「ま、待ってくれ。間違っているとして、君はどうするつもりなんだ?」
「全部ぶっ壊して、先輩に笑ってもらう。お前気付いてるのか? 先輩、学校じゃ全然笑わないんだぞ!」
言うだけ言うと振り返りもせずに、太一はずんずんと進んでいく。信夫は不本意ながらもその背中に追いすがった。
「それは困るんだ。この街はその事情で出来上がってるんだよ。それを壊されたら、僕や他のみんなも行き先を失ってしまうんだ――世界が無くなってしまう」
「そのために、女の子一人犠牲にしても良いっていうのか?」
振り返りもせず、太一は告げた。だがその口調は随分と静かだった。だから、信夫も咄嗟に反論できなかった。太一の言葉が信夫の“役割”を浸食してしまったからだ。
「お前も、おかしいと思ってるんだろ?」
太一は声はさらに続く。
「え?」
「じゃなきゃ、俺に先輩の居場所教えてくれわけないもんな」
そう言いながら、太一は振り返りニッと笑って見せた。
信夫は、その笑みに恐怖を感じた。
なぜならその笑みはあまりに魅力的すぎたからだ。
――鉄の乙女すら陥落させてしまいそうなほどに。
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