第二章 群星、回り出す。
第7話 詰め将棋。「王」と一緒に、梢を詰める
信夫が「要は特別教室の集まり」と言っていた東側校舎。その最上階の一番南端に生徒会室があった。校舎自体の立地も良く、日当たりも悪くはないのだが、今は厚手のカーテンをびっちりと締め切っている。
これは部屋の主である生徒会長、津島浩文の指示だった。カーテンを閉め切ったのは外から見られては困る会議を今からするから。この学校では外から見えると言うだけで機密が漏洩するおそれは十分にある。
浩文は伍芒高校二年B組。百八十cmを越える長身の持ち主だが、横幅も十分にありいわゆる巨漢である。クーラーの恩恵を人並み以上に感じることが出来る体格と言えるだろう。ちなみに四角い顔の中の目鼻立ちはくっきりしており、早い話が暑苦しい。
「津島、あの名ばかりの副会長はどうした?」
と、その暑苦しい会長に呼びかけたのは書記の筑紫光一。こちらは二年A組で、津島とは同学年。ちなみに梢と同じクラスということになる。
「お前が言うとおり、名ばかりの副会長だから欠席だ。第一、あいつが居たところで会議が建設的な方向に向かうわけがない。だからいらない」
はっきりきっぱりと酷いことを言う津島に、光一は思わず沈黙した。光一もまた百八十には届かないものの、長身の持ち主だ。しかも横幅も目鼻立ちも暑苦しくない。十分に美男子で通るだろう。ただ、椅子に腰掛けているのにはっきりわかるほどの姿勢の悪さが印象を随分とマイナス方向に修正していた。
「じゃあさ、コウちゃんを副会長にしてよ、会長さん」
光一の腕に自分の腕を絡め、身体まで密着させた女生徒があっけらかんと浩文に声をかけた。そのあまりの密着振りは、光一の姿勢の悪さ一因になっていることは想像に難くない。
女生徒の名前は古川ちえり。一年A組で生徒会での役職は会計。全体的な印象は子供っぽく、ベリーショートの髪型がその印象をさらに強めていた。顔立ちも悪くはないのだが、どこか少年じみた印象を与える少女だった。
「それはできない。あくまで強い順で役職が決まる。お前たちはケケの奴に二人がかりでも敵わない。だからあいつが副会長で、お前達が書記、会計」
つまり一番強いのは俺だ、と言わんばかりの浩文の言葉にちえりは、ぷぅと頬を膨らませるが、光一の方は我関せずとばかりに浩文に先を促す。
「それは、もう良いよ。それよりも僕たちを集めたのはどうしてだ? 僕だって暇じゃないんだ」
「例の転校生の件だ」
浩文はあっさりと切り出した。さすがに二人の顔色が変わる。
「前後の事情がよくわからんが、七草太一という転校生は囲碁・将棋部に入り込んでいるらしい。入部届もこの通り」
浩文は一枚の紙切れをぺらぺらと振ってみせる。
「良く彼女が許したな。それにあの部は不可侵じゃなかったか?」
すぐさま光一が応じると、それに負けない速さで浩文が被せてくる。
「実は明文化してない。と、言うか明文化の仕方がわからん」
「そこは彼女がさぁ……」
「薬袋先輩じゃなくて、それはその転校生に問題があると思うのよコウちゃん」
今度はちえりが応じた。
「他人の話を限りなく聞かない人みたいなのよね、その転校生」
「そもそもだ。理事長はどうした?」
光一は矛先を変えた。すると今度は浩文が返事をする。
「出張だ。九条の話だとどうやら長期になるみたいだな。例の事件の件かも知れん」
「ああ……」
「ということは、彼女の守護は俺たちの仕事、ということになる」
「は、それこそ副会長の出番だ」
結論が出たと言わんばかりに、光一は席を立ち上がろうとする。もちろん腕に絡みついたままのちえりも一緒だ。
「……話はそう簡単ではないぞ」
浩文が外見に似合った重々しい声を出した。
「転校生がこの学校にいるのは事実なんだ。この学校に」
*
それと同じ疑問を薬袋梢も抱いていた。どうして、七草太一はこの学校にいるのか?
この伍芒高校はきわめて特殊な学校だ。葉が丘という盆地の中心であり、太一がこの学校に転校してきたということは、家族ごとの引っ越しである事はまず間違いなく、太一をこの学校に転校させるための処置のおまけに違いない。
「先輩、碁はしないんですか?」
当の本人はあっけらかんと、梢にどうでもいいようなことを尋ねてくる。おおよそ起こりうるはずのない、この学校への転校という現象を引き起こした重要人物にはとても思えない。
「碁は知らないの」
素っ気なく梢は答える。いやそもそも、放課後同じ部室にいることだけでも問題があるのだが、太一は幾ら断ってもこの部室にやってくるので、一週間も経つ頃には梢はすっかり諦めていた。
要は自分の心の持ちよう次第だ。
最初は図々しくも「梢さん」と呼んでいた太一に、ブリザードのごとき先輩風を吹かせて、きちんと「先輩」と呼ばせるようにしたのがその現れである。
「将棋だって知っているようには思えませんよ」
「将棋はわかるわよ。じゃなきゃ、そもそも詰め将棋なんかできないのよ」
二人がこんな会話をしているのは、薬袋梢が放課後に囲碁・将棋部として活動しているからだ。部員は彼女一人で、当然部長も彼女である。
活動内容は、梢がひたすらに問題集の詰め将棋を解いていく、それだけであった。
――七草太一が現れるまでは。
「俺が相手しますって。将棋は知らないけど」
「無茶苦茶言ってるの、わかってる?」
「先輩には俺に教える義務がありますよ」
「どうして?」
「入部届出したでしょ」
「私は認めてない」
「生徒は自由に部活動を選べるんでしょ。生徒手帳に書いてありましたよ」
「じゃあ碁でもやってなさい。私に関わらないで」
「自分だって知らないのに、そりゃ酷い。それに素朴な疑問なんですが、碁には詰め将棋みたいなのはないんですか?」
打てば響くように返していた梢の対応がそこで淀んだ。
「……ええ、あるわよ。そのまま詰め碁っていうのが」
「そっちはやらないんですか?」
「あっちは好みじゃないのよ」
「好み?」
「詰め将棋はね、どんなものでも相手の王なり玉なりを詰め――追い詰めたら勝ちなの。でも詰め碁は、生き残るのが命題のものがあるの。それが好みじゃないわけ」
随分と物騒なことを言っているように聞こえる。太一もそう感じたのか、ほんの一瞬だが言葉を選ぶように黙り込んだ。
だがすぐに言葉を継ぐ。
「……まあいいや。部長の方針には従いますよ。教えてくださいよ将棋」
「だから――」
「自分を“先輩”って呼ばせるのなら、それらしいことしてくれても良いじゃないですか」
見事なまでの正論に、梢は初めて目に見えて慌てた。そして、しばらく目を閉じた後、鞄の中から一冊の本を出す。
「最初の数ページだけで良いから読んで。駒の動かし方が載ってるから」
太一に渡された本のタイトルは『今日から始める将棋入門』
「で、私がこっちで駒を並べるから、王を追い詰めて。その本見ながらで良いから」
「ちょ、ちょっと先輩?」
あまりに突き放した指導方法にさすがに太一が文句を言いかけると、
「これ以上は譲歩しないわよ。これは部長である私の方針なの」
すぐさま、用意していたような答えが返ってくる。頑なとも言えるその態度に、今度は太一が折れた。
渡された本を開き、駒の動かし方を確認する。その間に、梢の方は盤上にてきぱきと駒を並べていった。最後に「金」と書かれた駒と、「銀」と書かれた駒を太一に渡す。
「これは?」
「どこでも好きなところに置ける駒よ」
「そんな駒があるのなら、話は簡単じゃないですか。こうやって――」
本を片手に、太一は盤の一番後ろに陣取る「王」の真上に「金」を置いた。
「金」という駒は本によるとすぐ前と、左右斜め前、さらに横に動けるからこれで「王」の逃げ道は無くなったことになる。
勝った、と確信した太一だったが、梢の方は深くうなずくと「王」を一歩前進させて、あっさりと太一の置いた「金」を排除した。
それを口を開けたまま呆然と見送っていた太一は、
「先輩、そりゃずるい」
「何がずるいのよ。どれだけ都合の良いこと考えてたの? 相手の反応を考えて追い詰めていくのが『詰め将棋』なのよ」
「あ~、待ってください。それじゃこうだ」
今度は「王」に直接攻撃せずに、少し離れた場所に「銀」を置いた。こうしておいて改めて「金」を「王」の真上に置けば、今度は「王」が「金」を取るわけにはいかない。
「銀」が「金」を守っているからだ。一般的には「金」に「銀」が効いている、という状態である。太一はそれを目論んだのだ。
「考え方には進歩が見られるけど、この手はダメ。反則」
しかし梢は冷酷とも思える声で、太一の手を否定した。
「なんで? どうして?」
「『詰め将棋』のルール。攻撃側は必ず毎回王手――「王」に直接攻撃を仕掛けることね――をかけること。君のこの手は王手がかかってないのよ」
そう言いながら、梢は太一が置いた銀に人差し指を突きつける。
「な、なんだってそんなルールがあるんです」
「さあ? そうね例えば、自分の『王』があと一手で負けるような状況に追い込まれているとか、そういう設定なんじゃないかしら。だから必ず相手を追い詰め続けなければ、自分が負けちゃう……」
「いいですね、それ!」
突然、太一が勢い込んで梢の考えに賛同した。
「そういうギリギリの状態からの逆転劇って、バッチシ俺の好みなんですよ。先輩がバッチシ俺の好みなのと一緒です!」
ズビッと親指を立てる太一の勢いに押されるようにして、梢は上半身をそらす。その頬が朱く染まっているのは、決して暑さのせいだけではないだろう。
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