第6話 最長記録、自己記録更新

 それから太一は質問攻めに会うこともなく、ごく無難に放課後までの時間を、教室の一番後ろの席で乗り切った。いや、ただ漫然と時間が経過するのを眺めていた、といった方が正しいだろう。


 太一の収穫といえば、授業の進み具合はあまり変わらなさそうだな、という怠けるに十分な確証を得られたことだけだ。


 さて――


 と、今日一番の目的を果たそうと太一が腰を上げかけたとことで、声が掛かる。


「七草君」


 見上げると自己紹介の時に一人だけ自分を見ていた、長髪の男子生徒。外見に合わせてのことか少し甲高くも聞こえる中性的な声だった。だが、名前を呼ばれただけでは特に返事のしようもなく黙って続きを待っていると、


「校内を案内しようか。割と施設が充実している分、知っておくと得することが色々あるよ」


 思いも寄らぬ――というと、失礼かも知れないが好意的な申し出。太一は席から立ち上がると、


「ありがとう。でも、案内してくれる人にアテがあるから」

「え?」


 長髪の男子生徒は、完全に意表を突かれたように驚きの声を上げた。


「詳しいみたいだから聞くけど“みないこずえ”さんって人にはどこに行ったら、会えるのかな?」

「何だって?」


 目の前の相手はもう一度声を上げた。それどころか、教室に残っていた全員が、驚きの表情を浮かべている。


 そこで太一は初めて自分がクラス中の注目を集めていたことに気付いた。今まで無視しておいて、いきなり自分が視線を集めるとは思えないから、この長髪男子に行動に皆が注目していたことになる。


「……七草君、彼女を知ってるの?」


 その長髪男子が恐る恐るといった感じで確認してくる。


「ああ、背が俺と同じぐらいで、そうだ変わったヘアバンドをしていたな。そういう人なんだよな、みないこずえさん」

「ヘアバンドじゃなくて、カチューシャね。確かに君は知ってるみたいだけど……」

「じゃあ良いじゃないか。どこにいるのか教えてくれ」


 周囲の困惑を全て無視して、太一は結果だけを要求した。そして、その周囲はまるで縋るかのような視線を長髪男子に向けている。太一はそこから連想される長髪男子の立場を、本人に確認することにした。


「ところで君は委員長なのか?」


 その太一の言葉に、長髪男子は髪をかき上げながら後ろを振り返る。ようやく見えたその容貌は実は美男子――などというベタな落ちもなく、ごくごく平均的な顔立ちだった。


「……ああ、違うよ。ちなみに僕の名前は九条信夫。“しのぶ”っていうのは”のぶお”って書いて“しのぶ”」


 複雑な自己紹介に、太一はしばらくの間、顔をしかめていたが、やがて理解に至ったのか大きくうなずいた。


「じゃあ九条、教えてくれ。知り合いみたいだし」

「あ、あのねぇ七草君。転校してきたばっかりの君に説明するのは難しいんだけど、薬袋先輩は……」


 そこで信夫は太一から視線をそらし、うーんと唸って、わかりやすく逡巡してみせる。

 が、やがて吹っ切れたのか、太一の腕を掴んで窓際へと引っ張っていった。そしてこの校舎とは別の棟の建物を指差す。それもどうやら一階部分を指差していた。


「あっちの校舎は要するに特別教室が集まっていてね。一階に地学準備室っていうのがあるから、そこに行ってみると良いよ」

「おい九条!」


 そこで初めて他の連中から声が上がった。声だけでなく、表情も実にわかりやすく怒っていた。まるで信夫がよほど重要な秘密を漏らしたとでも言うように。


 だが、元々自分に無関心だったクラスメートの言うことに注意を払う太一ではなかった。


「あ、そう。ありがとう。知り合いみたいだから、何か伝えることがあるなら――」


 そこで太一の口が止まった。そして、まじまじと信夫を見て、


「――まさか、薬袋先輩と付き合ってるんじゃないよな?」

「は?」


 今度もまた、完全に虚を突かれた信夫だったが、今度はすぐに立ち直った。


「いやいやいや、僕にはちゃんと彼女がいるよ」

「へ?」


 今度は逆に太一が驚いた。だが信夫の方はあるいはこういう反応になれているのか、ごく自然に流して逆にこう尋ねてきた。


「そんなことわざわざ僕に聞くなんて、まさかとは思うけど七草君――」

「ああ、告りに行くんだ。昨日は出来なかったから」


 あっさりと答える太一の言葉に、今度こそ教室中の空気が凍り付いた。


                *                


 果たして信夫の言葉に嘘はなく、誰かさんとは違ってまともな方向感覚を持ち合わせた太一はあっさりと目的の地学準備室にたどり着くことが出来た。


 たどり着いてから、なんだって彼女は放課後にこんな所にいるのだろうか、太一はと疑問に思う。が、それも一瞬で忘れた。


 太一にとって重要なことは梢にもう一度会い、告白することで、そういった細かな疑問は全部後回しにしたわけだ。


「失礼します!」


 と元気よく声を上げると、なんの遠慮もなくガラガラと扉を開ける。勢いのつきすぎた扉は、そのまま反対側にぶつかって、まるで爆発したかのような音を立てる。


 この騒音を、あっさりと見過ごせる者はほとんどいないだろう。信夫の言うとおり室内に居た梢も、もちろん例外ではない。目をまん丸にして扉の方――太一の姿を見つめている。


 その太一の方は改めて制服姿の梢に見とれてしまって、咄嗟に反応できないでいた。


 白いカッターシャツに、紺のプリーツスカートは太一の目から見れば、昨日の出で立ちと大差はない。ただ、昨日とは徹底的に違うのは一本の紺のネクタイ。


 制服の付属物といってしまえばそれだけだが、梢の凜とした雰囲気に一本芯を通すようで、太一は満足げに大きくうなずいた。それでいて、蒔絵の施されたカチューシャが光を反射して、女性らしい彩りも完璧だ。


「あ、あなた――」


 驚きから立ち直った梢がようやく声を発した。


「へぇ“みない”って、そういう風に書くんですか。くすりふくろ、で薬袋ですか」


 次に太一が注目していたのは梢が律儀に胸に付けている名札だった。そうと気付いた梢が思わず胸元を隠すように身をよじる。そして目だけを太一に向けて、


「どうしてここにいるのよ――って言うか来たのよ!」

「えっと、九条って奴に聞きました」

「九条君? 彼がどうしてこんなことを――」

「あ、そういう話はもういいです」


 ざっくりとした笑顔を浮かべて、太一が梢を制止した。


「何だか事情があることはわかりますけど、誰も教えてくれませんし、はっきり言ってそういうことはどーでもいいんです」


 その太一の言葉に、思わず言い返そうとする梢だったが、太一の言う“事情”をどうやって説明したものか――いや、それ以上に説明して良いものかどうか――その判断がつかなかった。


 そして、梢がそれを説明する機会は次の瞬間に永久に失われることとなる。


 ――なぜなら、


「薬袋梢さん、好きです。一目惚れっす。友達からなんてまどろっこしいところは省略して俺と付き合ってください」


 まるでブルドーザーが通っていったような、何もかもを根こそぎにする太一の告白を前にして、梢はそれどころではなくなってしまうからである。


 時に西暦二〇XX年九月十八日(月)午後二時五十三分三十一秒。


 かろうじて昨日の出会いから二十四時間経過していた。これは太一が恋に落ちてから告白に至るまでの最長記録だった。


 ――すなわち自己記録更新である。


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