第5話 転校初日で確認すべきは校則の緩厳

 翌日の月曜日――


 母と妹からの責め苦を、賄賂のケーキでなんと緩和させる事に成功した太一は、無事に翌日の朝を迎えることが出来た。そして今日は転校初日。


 太陽は相も変わらず朝から絶賛営業中で、いい加減在庫切れでも起こしてくれないかと、誰もが真剣に願っていたが、どうやら聞き届けられそうもない。

 気温は早々に三十度を突破していた。


 新しく通うことになる高校の名は伍芒高校。昨日帰ってから調べてみて、校名が葉が丘高校ではないことを太一は意外に思ったが、何も地名を付けなくてはいけないルールもないだろうと思い直した。


 事前に通学路を確かめるなどという手間はかけない主義の太一は、学校までの道のりを新鮮な気分で歩いていった。しっかりと区画整理された葉が丘市の住宅街から目指す学校に向けて、ひたすらに坂を登ることになる。目指す学校が盆地の北側の山の中腹にあるからだ。


 狭い盆地とは言っても歩くとなると話は別で、太一は早くもイライラし始めていた。新鮮な気分など、夏の太陽の前には無力なものだ。


 これは大変なところに転校することになったな、と朝からうなぎ登りの気温と共に、太一の不快指数も上昇していく。だが、幸運にもそんな太一のストレスは一瞬で拡散することになった。通学路を調べなかったことが、ここでは幸いしたのだ。


「どっひゃあああああ!!」


 なんと山の入り口辺りから、遙か頭上に見える校舎までエスカレーターが設置されていたからである。確かに叫び出したくなるような光景ではあるのだが、実際に声を出してしまうのが、いかにも太一である。


 エスカレーターに吸い込まれる直前の、伍芒高校の生徒らしい幾人かが、奇異の眼差しと共に太一を振り返る。制服はどうやらブレザーのようだ。男子も女子も、夏服らしい白いシャツに紺色のネクタイを着けている。


 ちなみに太一の格好は前の学校の夏服、白のカッターシャツである。見た目ではそれほどの差異はないのだが、いかんせん言動に差異がありすぎた。通学途中の生徒達がちらほらと太一の方を見ているが、太一はまったく意に介さなかった。すっかりエスカレータに心を奪われていたからである。


 太一はどきどきしながらエスカレーターに足をかけた。屋外に設置されているエスカレーターなので、無論野ざらしではない。半透明のチューブ中を進む形になるが、そのチューブの中がもう涼しいのだ。単に陽の光を遮っているから、という理由ではない。


 即ち、このチューブには空調が効いていた。


「うぉぉぉぉぉぉ~~~!!」


 あまりに贅沢な状況に、太一は再び吠える。さすがに今度はほとんどの生徒たちが太一に目を向けるが、それでも太一はまったく気にしなかった。


 何しろ田舎の町で育った太一にとって、学校生活という自分の日常に、都会が入ってきたのだと、はっきりと理解できた瞬間だったのである。しかも向かう先には昨日出会った梢がいることがほぼ確定しているのだ。


 彼女は高二と答え、しかもこの街に高校はこの伍芒高校しかないのだから。太一のテンションが上がりっぱなしになるのも無理はない。


 期待に胸を膨らませながら、エスカレーターに身を任せて校舎を目指していくと、さらにテンションの上がる出来事が太一を待ち受けていた。


 それは葉が丘を一望できる大パノラマ。高く登れば登るほど景色が良くなるのは自明の理で、そういう観点に立てばこの伍芒高校というところは、葉が丘で一番の場所に建っていた。


 エスカレーターを降りた太一は、自分の足下にまで広がる青の濃い空にしばし見とれた。それから、この学校よりもさらに上で建設中の何かに目を奪われる。とても人が通えそうもない急な斜面に四基ものクレーンがへばりついて、人工物を作り出そうと奮闘していた。


 そして山の濃い緑。この気温の高さでは紅葉の兆候すら見あたらない。


 最後にこの目が眩みそうなほどの鮮やかなコントラストを描く全景を目に収め、改めて校舎への道を進む。転校生の倣いとして遅れて到着してもいいことになっているが、早く着いて悪いということもないだろう。


                  *


 伍芒高校は大きさで言えば、太一が通っていた田舎の高校と変わらなかった。教室へ向かう道すがら、担任となる佐久間という教師が話してくれたところによると、生徒数は全部で百二十。しかも新設校なので現在の所、一年生と二年生しかいないらしい。


「しかし、転校生が来るとは思わなかった」


 見事に突き出た下腹を揺すりながら、佐久間が感慨深げに太一に告げた。軽い既視感。この学校は――いや、街は妙に閉鎖的な部分がある。

 太一が首をかしげると、佐久間もまた首をかしげた。


「……理事長から聞いてないのか?」

「理事長? いえ、会ったこともないですよ」

「君の本校への転校は、理事長からのお声掛かりだと聞いているんだが……」


 さらに首を捻る太一をよそに、二人は目指す教室に着いた。上を見ると、表札には一年B組。一学年に二クラスということなので、少し先を見ればそこには一年A組の表札。


 リノリウムの廊下がその先にまで続いているところを見ると、拡張の予定はあるらしい。


 ちなみにここは三階で校舎の最上階にあたる。以降、学年が上がるごとに階数が下がっていく造りらしく、つまりこの校舎の一階部分は今は職員室を除いて無人ということになる。


 教室の扉がガラガラと開けられて、佐久間に続いて教室に入る太一。何となくざわついている教室を想像していた太一だったが、教室の中は水を打ったように静まりかえっていた。真新しい校舎のせいか、明るさで言えば太一が今まで通っていた学校よりは随分とましな印象なのに、どことなく沈んだ雰囲気。


 ――警戒されているように思えるのは気のせいだろうか。


「え~、聞いているとは思うが、転校生だ」


 まったく歓迎していない口調で、佐久間が太一を紹介する。


「七草太一です。どうぞよろしく」


 やりにくさを感じながら、型どおりに挨拶すると、教室のあちこちからひそひそ声が聞こえてくる。格好良い、とか、格好悪いとか、そういう声かと思っていたら、反応していたのは太一の“七草”という姓だった。


 確かに珍しい姓だと、太一も自覚していた。おおよそ親戚以外では聞いたこのとがない姓だということも十分理解している。

 だが、いきなりその姓だけで一斉にひそひそ話が起こるという事態は、予想の範疇を越えていた。


 が、そうと悟った瞬間に太一は考えるのをやめた。範疇を越えているのなら、そもそも考えても仕方がない――太一はそういう体質だった。


 そんな新しくクラスメイトの中に一人だけ、太一に目を向けている者がいる。

 これが女生徒なら、心に決めた女性あいてがいる太一とはいえ、ときめかざるを得ないシチュエーションではあったが、残念ながらその視線の持ち主は男子生徒。

 ただ、女生徒と見紛うほどに前髪も後ろ髪も伸ばし放題に伸ばした長髪の持ち主だった。


(ははぁ、校則は緩そうだな)


 それが、彼を見たときの太一の一番最初の感想だった。


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